(6)
おそらく動揺していたのだ。自覚なしに。
だから気づくのが遅れた。
肉体を離れヴェーダの一部となったことに動揺していた僕は、リボンズ・アルマークに撃たれたからだを仲間が回収したことは知っていても、その後そのからだが治療ポッドに入れられたことを知らなかった。
完全に生命活動を停止しているものと、思い込んでいた。
実際には、ティエリア・アーデの肉体は、ヴェーダとリンクした瞬間の、その状態が維持されていた。
普通なら一秒も生きていられないままに、僕のからだは保たれていた。
それでもそこから回復するなど、ありえないはずだった。
僕を生かしたのは、みんなの想い。僕を、死なせないという仲間達の意志だった。
刹那ならば、僕はヴェーダのなかに存在しているのだと説明出来たが、生憎彼も戦闘で重傷を負い治療ポッドのなかにいた。
僕より先に、治療ポッドから出た刹那は、隣に並ぶポッドで眠る僕を見て驚き、ヴェーダのなかの僕は、刹那によって自分のからだがそこにあることを知らされた。
正直、困った。
その頃にはもう肉体とのリンクは切れていて、致命的な損傷を受けた脳に、脳量子波を使う力はなかった。
ヴェーダのなかにいる僕は、そのからだには戻れない、ということだ。
やがて目覚めたもうひとりの僕も、同じように困惑した。
ヴェーダにリンクしたところまでは覚えていた。
それからあとは、それぞれの記憶だ。
ヴェーダのなかで僕が思考したことを、リンクの切れた肉体を持つ僕は共有しないので、なにが起こっているかを、刹那が「言葉」でもうひとりの僕に説明してくれた。
ティエリア・アーデのガンダムマイスターとしての資質は、イノベイドというところにあり、ヴェーダとのリンクが切れ、脳量子波が使えなかった期間も、肉体はナノマシンで強化され、ガンダムを操るのに最適な状態に調整されていた。
そのナノマシンも、死にかけた肉体を再生することに機能を使い果たし、本来の役割を果たせないほど劣化していた。
要するに、脳量子波も強化された肉体も失ったティエリア・アーデに、マイスターたる資格はないということだ。
ならばエンジニアとしてでもみんなのために働きたいと願っても、高いIQを誇った人工知能は、その点においても損傷していた。
組織を離れることを「ティエリア」は決断し、仲間達もそれを受け入れた。
「どこに行くというんだ」
ソレスタルビーイングで生まれ、そこでしか生きたことのないティエリアに、刹那は問うた。
ティエリアは答えた。
「ニール・ディランディのところに行こうと思う」
そのときの刹那の顔を、僕はあとから監視カメラの記録で見たが、こう言ってはなんだが傑作だった。
刹那は直接、脳量子波で僕に言いもした。
「まったく、おまえというやつは…」
当然だろう。
そのときまで刹那はロックオンが生きていることを知らなかった。
僕が、教えなかった。
刹那にだけではなく、誰にも。
ロックオンを発見したとき、彼はもう理念のために戦う意志を失くしていた。
そうでなくても、精密射撃の腕を買われてのマイスターだ。その能力がなければ、組織で出来ることはない。
普通の生活など忘れたと彼は嘯いたが、裏社会でさえ私設武装組織ソレスタルビーイングに比べれば、日の当たる世界だ。
いくつかの証明書を偽造し、落ち着くまでの金銭的援助をし、あとは僕を含めてマイスターとして接した誰とも、二度と接触することのないようにした。
僕は今でもそれが正しかったと思っている。
生き残ったのはニール・ディランディであり、ロックオン・ストラトスは戦死した。
「おまえというやつは…」
二度繰り返した刹那が、どういう気持ちでそう言ったのかはわからないが、ニールのことは新たに僕と刹那のあいだの秘密となった。
ヴェーダは情報として人の動きを知ることが出来るが、一般人の日々の暮らしをいちいち検索したりしない。
地上に降りたティエリアがどうしているか、僕にはあまり興味がなかった。
だが時折、思った。
テェエリアは本当にニールのところに行ったのだろうか。
迷惑をかけていなければいいが。
予定外のことが起こったのは、一年前だ。
当面ガンダムが四機揃わねばならないような事態はないと思っていたのに、状況が急変した。
ティエリア・アーデ用の機体はまだ脳量子波で全コントロールが出来るようには改修されていなかったし、当分肉体を得るつもりのなかった僕は、その培養もしていなかった。
とすれば、手段はひとつしかない。
僕は刹那に頼んで、もうひとりの僕を迎えに行ってもらった。
ヴェーダとリンクした状態で、刹那はティエリアと向き合ったので、僕はその様子を知ることが出来た。
「僕が了承した場合、今のこの僕の意識はどうなるんだ」
ティエリアが訊ねた。
「一時的にヴェーダのなかにデータを移す。ことが終れば、また肉体に返す。あるいは、この機会に同期を取ることも出来る」
「同期」
ヴェーダのなかのティエリアと、肉体を持つティエリアの意識を重ね合わせる。
この場合、重複する時間についての記憶は、優先意識であるヴェーダのなかのティエリアのものが採択される。肉体を持つティエリアの記憶は消えるわけではないが、映像を見るように実感の薄いものとなるだろう。
そう説明されて、ティエリアは頭を横に振った。
「同期は拒否する」
少しだけ時間をくれと、ティエリアは言った。
これを置いてくるからと。
刹那の視線が、ティエリアがずっと握り締めたままのブランケットに注がれた。
大事そうに、という印象を刹那が持ったのを、脳量子波を通じて僕は感じた。
「ティエリア」
刹那は呼びかけた。
いいのか、と問いたかったのだろうと、僕にはわかった。
もうひとりの僕であるティエリアは微笑んだ。
「いいんだ」
そしてティエリアは刹那によって、ヴェーダ本体まで導かれ、同じティエリア・アーデである僕らは意識とからだを交換した。
僕の意識は肉体へ、肉体にあった意識はヴェーダのなかへ。
マイスターとして戦うため、脳に一時的な処置を施し、ナノマシンも新たに注入した。
その過程で、僕は地上に降りたティエリアが経験したすべてを知った。
僕の知らない、僕の感情。
愚かで不安定で、それでいて手放したくない思い。
戦闘中になにかあれば、肉体を返せない可能性もあったが、僕は肉体と共に生き延びた。
再び意識を交換する前に、戦闘用に注入したナノマシンを排出し、疲労した細胞を治療するためのナノマシンを注入した。
老化抑制のためのものはとっくに破壊されていて、ティエリアのからだはゆっくりと老いていくが、バランスを崩して一気に死に向かわないための調整を行った。
そのままでは突然死する可能性があることは以前からわかっていたが、マイスターとしての役目を終えたティエリア・アーデは自らの肉体に無頓着だった。
だが今は違う。
ティエリアは少しでも長く、ニールの傍にいたいと思っていた。
さらにティエリアはニールを受け入れられない自分に引け目を感じていたので、構造上は女性となるよう染色体の操作も行った。
受け入れられないことが理由で、彼が自分に興味を失うのではないか、あるいはほかにふさわしい相手が現れた場合、身を引かねばならないのではないか。そう危惧する心理は同じティエリアでありながら、僕にとっては不可解なものだった。
客観的に見てニール・ディランディはとても複雑な男で、ティエリアが危惧するようなことは、起こりえないと僕は思ったが、不安要素のひとつを取り除いてやることにした。
主観で周りが見えないくせに、相手の幸福を願う。どうやらそれが好きという感情らしいので、おそらくこれからまたティエリアは、自ら新たな心配事を発生させるのだろうが、それには「自分で」対処してもらうしかない。
これから先は完全に、僕らは別々の道を生きる。
僕はイノベイドとして人類の運命に添う。
人の枠を越えた長い時間を、ソレスタルビーイングと共にあろうと思う。
だからもうひとりの僕には、人間として生きることを望む。
取るに足らない小さな物語を紡いでほしい。
僕は、ティエリア・アーデの幸せを願う。