(4)
珍しくニールが買い物に出た。
ティエリアが客にコーヒーを出していたからだが、市場に着いてすぐに後悔した。
「よう、ニール。別嬪さんに出て行かれたのか?」
顔見知りの商店主は誰も彼も同じことを言った。
ニールにとっては面白くない冗談だ。
弟のことで感情的になったあと、その話が蒸し返されることはなかったが、ニールは今でもややばつが悪い。
「うっせーよ。あんたらに関係ねえだろ。引っ込んでろ」
怒鳴り散らしてさっさと帰ろうとすると、通りで古着屋の女主人と出くわして、襟首を捕まれるようにして店に連れていかれた。
古着屋は以前から、ティエリアをめかしこませたくて仕方なかったらしい。
「あの子ったら、いくら言っても興味ないの一点張りよ。どうしてなのか訊ねたら、あなたがなにも言わないからと言うじゃないの」
色とりどりの服やアクセサリーが山積みにされたカウンターの前で、ニールは懇々と説教された。
「せっかくの類稀なる美貌も、着たきり雀では台無しよ。それともほかの男の目を引かないように、わざとそうさせているのかしら? だとしたら無意味なことね。ボロを着ていても美しいものは美しいの。愚かな嫉妬心は捨てて、あるべき姿に装わせてあげるの。それが男の器と甲斐性よ!」
独善的に見せかけて自分のペースに持ち込むのが得意の商店主に、ニールは壁際まで追い詰められた。
「ボロって…。一応洗濯したものを着てるんですけどね、あいつ」
「清潔だったらいいってわけじゃないわ」
これだから男は、という目で見られた。
確かにティエリアはほとんど服を持っていない。
それもすべて同じ形のカーディガンとシャツとズボンなので、色は違えどぱっと見には同じだ。
「今度あなたの別嬪さんを連れていらっしゃい。あたくしが似合う服を見繕ってあげるわ。惚れ直すこと請け合いよ」
この場を逃れたい一心から半笑いで頷き、じゃあこれで、と出て行こうとするニールの袖を、女主人は引っ張った。
「とりあえず今日はこんなのどうかしら?」
にっこり笑った女の口紅と同じ色の、真っ赤なスカーフが差し出されていた。
予定外の買い物をして予定より遅く、ニールは宿に戻った。
ティエリアがコーヒーを出していた客は発ったようで、仕切りは閉じられていた。
「ティエリア?」
ニールは施錠されている受付のドアを鍵で開けた。
折り畳まれたベビーピンクのブランケットが、椅子の背もたれにあり、その下にはニールのジャケットがかかっていた。
ティエリアはどこに行くにもこのブランケットを持って行くので、こんなことは初めてだった。
食材の入った袋を床に置き、床を蹴るようにして歩き奥の居室を見たが、ニールが出かける前となにも変わっていなかった。
渡したかったはずの紙袋を投げ出して、外に飛び出した。
うらぶれた町のうらぶれた路地裏。
どこか遠くで聞こえる生活音。
いつもと同じ光景にないのは、ティエリアの姿だけだった。
走り出したい衝動と、そんなことをしても無駄だという冷静さが、ニールのなかで混ざり合い、足はそれ以上動かなかった。
ソレスタルビーイングの名が再び人の口に上るようになったのは、それからしばらくしてのことだった。