(3)

 ティエリアが買い物から帰ってきたとき、ニールは受付の椅子に座って煙草を吸っていた。
 喫煙は習慣ではなく、チェックアウトする客からたまたま貰った。
ティエリアは驚いた顔をして、次に灰皿代わりにしていたコーヒーカップに目線を移動させ、非難するようにニールを見つめた。
「あー、えーと、灰皿がないからさ」
「客室にある」
「いや、手近に」
 買い物袋を床に置くと、ティエリアは受付を出て行き、灰皿を持って戻ってきた。
「カップは食器だ」
 ニールは首を竦めた。
「怒んなよ」
「怒ってない」
「睨んでんじゃねえか」
 言われて、ティエリアは目を逸らせた。
「そっくりだったから、つい見てしまっただけだ」
 灰皿の上に長く伸びた灰が落ち、ニールは煙草を揉み消した。
 そっくりだとか瓜二つだとか、一覧性の双子であればつきまとう言葉だ。
 だがティエリアの口から出るのはおかしい。ティエリアはニールが双子であることを知らないはずで、知っていたとしてももうひとりを見たことがないはずだ。
 失言に気づいたティエリアは口を閉じた。
「俺が誰にそっくりだって?」
「なんでもない。カップを洗ってくる」
 背を向けたティエリアに、ニールは畳み掛けた。
「ライルか?」
 肩が動いた。
「なんでおまえがライルを知ってる?」
 立ち上がり腕を掴むと、ティエリアはからだを捻った。
手からカップが滑り、床に落ちて割れる。
「ティエリア!」
 派手な音に刺激されてシャツの襟を掴むと、意志を湛えた瞳と視線がぶつかった。
 秘匿義務。
 ティエリアの顔は、使命を持ったマイスターのものになっていた。
さらにかっとなって捨てるように突き飛ばすと、ティエリアはよろめいたが姿勢を立て直し、割れたカップを拾おうとした。
「触んな! 手ぇ切るだろ!」
ティエリアがここに来てから、声を荒げるのは初めてだった。
項垂れたティエリアは、受付を出て行き、取り残されたニールは、感情のままに拳で壁を殴った。
狙撃手でない今、利き手がどうなろうとかまわないはずなのに、無意識に左手を使っていることにまた腹が立った。
 なにかに責任転嫁したくて、やはり煙草など遠ざけておけばよかったと、灰皿ごと吸殻を袋に詰め、自分の短慮の象徴のような割れたカップを片付けた。
 頭を冷やす時間が欲しかったが、それでは遅いと直感が告げる。
「どけよ、邪魔だ」
 裏口の階段に座り込んでいるティエリアの肩を、足で蹴った。
「嫌がらせかよ。俺が締め出したみたいだろ」
 ティエリアは膝に乗せていたベビーピンクのブランケットを、胸に抱いた。
 目の縁に涙まで溜めて、わざとらしい、と思うだろう。ティエリア以外がそんなふうにすれば。
「二、三日待ってくれ。今行き先を考えている」
「なんの話だ」
「もう僕の顔を見たくないだろう」
 ゴミ箱の蓋を開けてゴミを捨ててから、ニールは鼻で嗤った。
「考えてどうする。行くとこねえから、俺んとこ来たんだろ」
 腕を引っ張り上げると、ブランケットが落ちて、ニールはそれをわざと踏んだ。
あ、とティエリアが声を出した。
「新しいのを買ってやる」
「これがいいんだ」
 屈んでブランケットの端を引っ張るティエリアに、ニールは足を上げた。
「ありがとう」
 そこは礼を言うとこじゃねえだろ、と思ったが、泣きそうな顔で汚れた部分を必死で撫でるので、再び取り上げた。
「返せ。僕のだ」
「洗ってやるっつってんだよ。暗くなってきたからなか入れ。ちょっと喧嘩したくらいで、いちいち出て行く算段つけてんじゃねえよ」
 動かないティエリアの背中を、ニールはブランケットで叩いた。
 受付に戻ったティエリアは、ブランケットを持つニールの手元を見つめた。指を一本、不自然に上げていたからだ。
「血が」
「切ったんだよ」
「カップの破片で? 僕に怒鳴ったくせに」
「俺は気が短くて怒りっぽいんだ。覚えとけ」
「…自覚があるのか」
 ほっとしたような呟きを、ニールは聞かなかったことにして、ティエリアの目の前に指を突きつけた。
「ちゃんと消毒をしたほうが」
「黙れ」
 ティエリアは諦めたのか目を伏せ、ニールの指に唇をあてた。
 血の球を赤い舌がぺろりと舐め取る。
 さらに傷口を塞ごうとするかのように、ねっとりと指に絡められる舌を、ニールはじっと見下ろした。
 胸を占めるのが怒りなのか愛おしさなのか、よくわからないまま背中に腕をまわして抱き寄せると、ティエリアは顔を歪めた。
「舐められない」
「もういい。それより、しようぜ」
「なにを」
「仲直り」
 顔を近づけてキスすると、自分の血の味がした。
「もう怒っていないのか」
「ねえよ」
 ニールはティエリアを強く抱き締め、頭に唇を押し当てた。
 ティエリアがニールのシャツの生地を掴んだ。
「ライル・ディランディは元気だ」
 気持ちの整理をつけた途端にこれだ。
 一時にいろんな感情が溢れ出そうになるのを、ニールはこらえた。
秘匿義務は組織を離れたものを守る防波堤でもある。
 そもそも離れる、などということは許されない組織で、あらゆる可能性を考えるならば、中途半端な情報は持たないに限る。
 ニールが思わず震わせた胸から、ティエリアはからだを離した。
「僕が知っているのは半年前の情報だが、彼はロックオン・ストラトスとして、ソレスタルビーイングで生きている」
 なぜだ。どうして。なにがあって。
 ニールは叫びだしたかったが、ティエリアはどこまでもティエリアだった。
「これ以上は言えない」
 その顔には今度こそ、殺されても喋らない決意が現れていた。
「…オーライ。わかったよ」
 どうしてそうなったのかはわからないが、ニールがロックオン・ストラトスだったから、ライルもその道に導かれたのは間違いない。
 俯いたニールの顔を、ティエリアは覗きこんだ。
「泣いているのか?」
「いいや」
 泣く資格さえ失ったニールの頬を、ティエリアは不器用な仕草で拭った。

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Posted by ありす南水