(10)
とても暑い日、元マリナの家、今はロックオンとティエリアの家の前に、一台のオープンカーが止まった。
家の通り一本向こうまで舗装され、前より車は通りやすくなっていたが、すべてのものをなぎ倒す勢いで走ってきたこの車には、関係なかっただろう。
事故でも起こしたのかと思うブレーキ音に、外に出てきたロックオンは、運転席から派手なサングラスを外しながら、女がおりてくるのを見た。
「こんにちはぁ! この家の人?」
なかなかの美人だが、ロックオンの目はタンクトップからはみ出しそうな胸のほうに釘付けになった。
「人を訪ねてきたんだけど、ここにすごく綺麗でお高くて世間知らずな子いる?」
・・・いる。
とロックオンは思ったが、どう答えるべきか迷っていると、ティエリアが飛び出してきた。
「スメラギ・李・ノリエガ!」
「ティエリア! まあ、あなたったら、そのまんま大きくなっちゃって!」
女は両腕を広げたが、ティエリアはその胸のなかには飛び込まなかった。
「相変わらず可愛げないわねえ」
ティエリアはロックオンを通り越して女の前まで行くと、滅多に見せない笑顔を見せた。
女は元ティエリア付筆頭侍従、ティエリアと刹那が収容所破りを企てた、その原因となった人物だった。
「釈放されたあと、旅していたのよ。そしたらあなたを知ってるっていう男の子と会って」
「刹那!」
「そうそう、刹那。それでここがわかったの。彼がこれをあなたに渡してくれって」
スメラギは一枚の写真を、ティエリアに見せた。
遠い国の町が映っている。
受け取ったティエリアが裏返すと、郵便で届くいつもの写真と同じように、刹那の字が息災を伝えていた。
「彼はあなたのきょうだいなんですってね」
「弟だ」
「ふうん」
保護者の顔で、スメラギは微笑んだ。
「で、そちらの人は?」
リビングの隅にいるロックオンを、スメラギは胸で示した。
「家族」
この場合、恋人と答えるのが正しいのか、ロックオンには判断出来なかったが、
「ふうん」
とスメラギは先ほどとは明らかに違う調子で、相槌を打った。
「ティエリア、あなた、人はよく見なくちゃダメよ。それで間違ったって気づいたら、誤りは正さなきゃダメ。それは失敗じゃないわ。勇気ある撤退よ」
大真面目な進言に、ティエリアは大真面目に答えた。
「ロックオンが欠点だらけだということは知っている」
「あら、そうなの?」
ティエリアは頷いた。
「だから僕が守る」
「あら、そうなの」
スメラギは一瞬だけ鼻で笑い、それから真顔になった。
「よかったわ。あなたが生きていてくれて。私の作戦ミスで死なせてしまったって、ずっと後悔していたの」
「あなたこそ、僕のせいで何年も投獄されてしまい、申し訳なかった」
「いいのよ、そんなことは。あそこはあそこで悪くなかったし」
「地獄の収容所だとリジェネが言っていた」
「住めば都よ」
政治犯収容所の悪名の高さ有名だ。既に過去のこととは言え、なかなか言えない言葉だ。
「ねえティエリア、この家ってお酒ないの?」
「ない」
スメラギから疑わしそうに見られたので、ロックオンはへらっと笑った。
「こいつが嫌がるから」
今度はスメラギは口をへの字に曲げたティエリアに、顔を顰めた。
「お酒は神の水なのよ、ティエリア」
確かにそう言われていて、神殿では酒を作って販売している。
ティエリアはなにか言いかけたが途中で止め、スメラギをアレルヤの店に連れて行ってほしいと、ロックオンに頼んだ。
「だったらおまえも行こうぜ。アレルヤも喜ぶし」
僕ってティエリアに嫌われてるのかなあ、とアレルヤが呟いたのは、前回ロックオンが店を訪れたときのことだ。
「僕は酒は飲まない」
「ジュースもあるさ。刹那お気に入りのミルクも」
「刹那の」
どんなに誘っても興味を持たなかったくせに、刹那の名前が出た途端に態度が変わった。
スメラギは飲みに飲んだ。
「こんなにお酒が好きな人が、投獄中は飲めなかったなんてね」
余計なことを言ったアレルヤがティエリアに嫌な顔をされたが、酔っ払ったスメラギはけらけらと笑いながら否定した。
「飲んでたわよー? 収容所でも」
「え?」
スメラギを除く全員が訊き返した。
「さすがに戦争中は無理だったけど、終わってからはちょっと管理が緩んだから、入手ルートを確立させて、月に一度は楽しいパーティ」
「看守は…」
「時には隠れて、時には一緒に」
「さすがはスメラギ・李・ノリエガ」
「ありがとー、ティエリアー! あなたも一口どうー?」
「謹んで辞退します」
ロックオンとアレルヤは口を半開きにしたまま目を合わせたが、互いに言葉は出さずに手持ちのグラスに口をつけた。
スメラギは翌日、旅に戻った。
「また来るわね!」
ティエリアに元気に別れを告げる声が寝室にまで聞こえてきたが、ロックオンは二日酔いでそれどころではなかった。
「ティエリアが初めて店に来てくれた記念に、今日は僕の奢りだよ」
と気前の良さを見せたアレルヤの店は、売り物の酒をあらかた飲みつくされてしまったので、今日は営業出来ないだろう。
おしまい