(7)
丘の上にある墓地は、この季節は一面緑に覆われている。
それはいつものことだが、こんなふうに晴れていることは珍しい。墓参りの日はたいてい雨か薄曇りだ。
ロックオンのあとをついてくるティエリアの手には、白い薔薇が握られていた。駅前の花屋で買った花束を珍しがり、持ちたがったのだ。
食糧事情の改善されたいまだに、マリナの家の庭は野菜中心の畑のままで、花でも植えたらどうかとシーリンに提案したら却下されるだろうか。そんなことを考えながら歩いていたロックオンは、足を止めた。
家族の墓は目の前だ。
背中にぶつかりそうになったティエリアの抗議の声を無視して腕を引っ張り、墓地のなかに一本だけぽつんと立つ木の影に入った。
「あの墓か」
ティエリアが首を伸ばす。
「あなたと同じ姿の男がいる」
見られたか、とロックオンは舌打ちした。双子の弟が墓参していることは知っていたので、鉢合わせしないように注意していた。今年も本当の命日より一日早いのに、どうして弟まで一日早く来るのか。
「なぜ隠れる」
「ちょっと声抑えろ。つうか、黙ってろ」
命令されて、ティエリアはロックオンを睨んだ。
弟はひとりではなく、淡い髪の色をした、優しげな女性を連れていた。
女性は腕時計を示しながら、弟の注意を引いた。
腕を組んで通り過ぎるふたりに見つからないよう、ロックオンはさらにティエリアを引き寄せる。
「挨拶しないのか」
まったく声をひそめる気がないティエリアの口を、後ろから手を回して塞いだ。
寄り添うふたりが完全に見えなくなってから、ロックオンは手を緩めたが、見下ろすとティエリアは怒っていた。いつもの不機嫌とは違う、本当の怒りだ。
慌てて手を離すと、押さえつけられて痛かったのか肩をぐるぐる回し、その勢いで花束をロックオンに押し付けた。矢よりも鋭く心に突き刺さる罵倒を覚悟したのに、無言が続いた。
「…悪い」
ティエリアは口をきかない。
「悪かったよ。機嫌直せよ」
それでもティエリアは口を開かなかった。
墓参は気まずいままに終わり、俄かに翳りだした空に追われるように墓地を後にした。
無理をすればマリナの家のある町へ日帰り出来るが、無理をすることもないので、安宿に部屋を取った。
「おまえ先シャワー使ったら?」
荷物を互いのベッドの上に置いたあと、ロックオンは声をかけたが、ティエリアはズボンのポケットに財布を突っ込んだ。
「外を歩いてくる」
夕暮れまでにはまだ間がある。町が見たいならば、ロックオンが案内してやるべきだし、今朝汽車に乗ったときにはそのつもりだった。
「じゃあ俺も」
「あなたは来なくていい」
にべもなく言い放ち、ティエリアは出て行った。
失ったから大切なのかもしれない、と思うときがある。
家族のことだ。
なくしたから執着するのだ。
取り戻せない家族の分、ひとり残った弟はかけがえがなかった。
ロックオンがどっぷり自分の世界に浸っていると、ドアがノックされた。
そういえばティエリアは鍵を持って出なかった。
「ティエリア、このままメシ食いに…」
言いながらドアを開けたロックオンの前に立っていたのは、ティエリアではなかった。
墓地で見たときのまま、喪服姿の弟は肩で兄を押すようにして、なかに入ってきた。
「ライル」
名を呼ぶと、弟は大きく息を吐いてからロックオンに向き合った。
遠くから姿を見ることはあったが、間近で接する、しかも視線を感じるほど近いのは久しぶりだ。
「気持ち悪りぃ」
いきなりの吐き捨てるような言葉に面食らった。
「なにそっくりなわけ。俺ら」
昔からふたりは、鏡に映したようにそっくりだった。ロックオンは上着を脱いでネクタイを外し、シャツの釦を半分外しているが、やはり喪服だ。
「そりゃ双子だからな」
当たり前のことを口にした兄に、弟は舌打ちした。
「相変わらずむかつく…」
弟も相変わらずだ。
兄と話していると苛つき、最後には怒り出す。今日もやはり革靴の踵で床を叩いた。
「あんた今までどこでなにやってたんだ」
ロックオンは頭を掻いた。
「いろいろと」
「はあ? だからその中身を聞いてんだろ」
「おまえの迷惑になるようなことはしてないよ」
少なくとも、今は。
ロックオンの心は、戦地での経験と両親と妹を失ったショックで、日常から乖離してしまった。つるんで悪さをするのが嫌だったので一匹狼を気取り、ろくでもない世界に身を置いたが、マリナと子ども達の家に流れ着いて、現在に至る。
一方弟は遠方に住む叔父の家に下宿していて、町を壊滅させた空襲には遭わなかった。
「俺は真面目に勤め人やってるぜ」
「知ってる」
「なんで」
「おまえがちゃんと暮してるかは、気にかけていた」
癇癪を我慢する子どものような顔に、ライルはなった。
「あっそ。じゃあこれも知ってんの。俺、結婚すんだけど」
知らなかったが、合点はいった。
「そうか、さっきの彼女と」
ライルはいきなり拳を兄に向けた。からだを引いて、左手でそれを受け止めたのは、ただの反射だ。ライルは勢い余ってバランスを崩した。
「あ、悪い」
支えになろうと差し出した手は、払いのけられた。
「もう一回やっていいぞ。今度はちゃんと殴られるから」
「あんた、俺を馬鹿にしてんのか」
意外に冷静な口ぶりだ。
だが次の瞬間、シャツの両襟が掴まれ、耳元で怒鳴られた。
「なに俺のこと影からこっそり見てんだよ! あんたはいつもそうだ! カッコつけすぎでむかつくんだよ!」
そのとおりだと思ったので、ロックオンは謝った。
「…悪い」
「違うだろ! 言い訳しろって言ってんだよ!」
「悪かったよ。連絡しなくて」
「そっちじゃねえよ!」
「えーと…?」
本気でわからなくて目で問うと、弟の怒りは頂点に達した。
「なんで志願したのか言ってみろ!」
ロックオンは言葉に詰まった。
なぜと聞かれれば、弟を戦争に行かせたくなかったからだ。志願しなければ、ライルに召集がかかったかもしれない。
「ごめんな」
弟を傷つけたことにロックオンは気づいたが、どうしたらいいのかわからなかった。
どのくらいそうしていたのか、重い沈黙が満たす部屋のドアがノックされた。
「お取り込み中のところ失礼するわね」
入ってきたのは、先程墓地でライルと一緒だった女性だ。物怖じするでもなく、最初に目の合ったロックオンに会釈して、それからライルに視線を動かした。
「ライル。今日最後の汽車が出てしまうわ」
見た目そのままの柔らかい声に、険しかったライルの表情が緩んだ。
「ああ、そうだな」
「それとも一泊する?」
「いや、明日仕事休めないから」
「どうにかなるでしょう? せっかくお兄さんに会えたのに」
「いいんだよ。話は終わった。じゃあな、兄さん。俺行くから。あんたとはもう二度と会わない」
不貞腐れた様子は子どものときと同じだったが、何年も離れていたあとの別れ際の言葉としては、かなり手厳しかった。
ロックオンは取り残され、空虚に呑まれそうになったが、入れ替わるようにティエリアが戻ってきた。
「愚かだな。仲直り出来なかったのか」
そう言われて初めて、ライルをここに来させたのはティエリアなのだと気づいた。
タイミングから考えればすぐわかりそうなものだが、ティエリアがそんなことをするなどとは、思いもよらなかった。
「なんで」
「墓地で汽車がどうのと言いながら時計を見ていたので、駅に行ってみた」
「じゃなくてだな。なんでおまえが」
「愚鈍なあなたを見ていると苛々するからだ」
そのとおりだと思いながら、ロックオンはベッドに座った。
「メシ、どっかで食ってこいよ。それかなんか買ってこい」
「アニューとお茶を飲んだ。もういらない」
それはまともな食事ではないから、ちゃんとバランスよく食べろ。と普段のロックオンなら言うところだが、今はどうでもよかった。
「じゃあシャワー浴びて寝ろ」
「そうさせてもらう」
ロックオンが自己嫌悪と自己憐憫にどっぷり浸っているあいだに、ティエリアはシャワールームから出てきて、途中から水しか出なくなったとブツブツ言いながら、タオルで髪を拭き出した。
おそらく荷物を小さくするためにかさばらないものを選んだのだろう。ズボンのある寝間着ではなく、膝丈のTシャツを着ていた。
ロックオンが思い込んでいたより、ティエリアは成長していた。刹那ともとっくに違う部屋で寝るようになっているのだから、もしかすると、別々の部屋を取るべきだったのかもしれない。
シングルふたつより二人部屋のほうが安いし、同じ家を出発して別の部屋に泊まるという発想がなかっただけなのだが、次があればそうしようとロックオンは思った。
生乾きの髪のまま、ティエリアは自分のベッドにもぐりこんだ。
「寝る。あなたは寝る前にシャワーを忘れないように」
「おまえさっき、水しか出ないって言わなかったか」
「知ったことか。愚かな上に臭い男など最低だ」
はは、とロックオンは笑った。
「おまえを連れてきてよかったよ」
更なる情け容赦ない言葉が返ってくると思ったが、ティエリアはじっとロックオンを見つめてこう言った。
「そうか」
眠るために目が閉じられた。
「それならばよかった」
数ヶ月後、マリナの家にティエリア宛の郵便が届いた。
不器用ながら人付き合いはこなしているが、手紙をやりとりするような距離に、ティエリアの知人はいない。差出人はほかの町に暮らす、元この家にいた子どもでもなかった。
「アニュー・R・ディランディ…?」
シーリンが封筒の裏に記入された名前を、訝しげに読み上げたところに、ちょうどティエリアが廊下を通りかかった。
「学校に行っていたときの友達なの?」
「違う」
「悪い友達じゃないでしょうね」
「違う」
ティエリアは封筒を持って行ってしまったが、一連の流れを見ていたロックオンは、座っていた椅子から腰が浮いた。
「ティエリア」
しばし迷ったあと、ロックオンはティエリアの部屋の扉をノックした。
「さっきの手紙」
ドアを開けたティエリアは、手に開封済みの封筒を持っていた。
「読みたいのか」
「あ、いや」
そこまでは思っていなかったが、差し出された封筒をロックオンは受け取った。
便箋には丁寧な字で、教会で結婚の誓いをしてきたことと、そのとき贈られたヴェールを着けたことと、その礼が記されていた。
ロックオンの目にまず飛び込んできたのは、同封されていた写真だった。
新郎はロックオンと同じ顔の弟。新婦はアニュー。シンプルなワンピースを着たアニューの頭は、ヴェールで飾られていた。
先日サプライズウェディングパーティのとき、シーリンが着たドレスと揃いのヴェールに似ている。
「もしかして、これは」
「ついでだからもうひとつ作った」
連絡先などいつ聞いたのかと思ったが、ライルがロックオンに会っているあいだ、ティエリアはアニューとかなり話をしたらしい。
「式は挙げずに届けだけ出すと言っていたので、シーリンと同じだと思った」
手紙の最後にはライルの字で、彼からの礼も述べられていた。
ティエリアは写真をロックオンの目の前に突きつけて、胸に押し付けた。
言葉の出ないロックオンに、ティエリアは口を尖らせた。
「欲しくないのか」
ロックオンは困った。
「ありがとうは」
「…ありがとう」
「それでいい」
ティエリアは胸を張った。