(4)
マリナの家で暮らすようになった子どもふたりは、すんなりというわけではないが生活に慣れていった。
馴染むのに時間がかかったのは、なにも出来ないのに尊大なティエリアではなく、実際的なことはなんでもそつなくこなせる刹那のほうだった。
刹那には可愛げがない。それなのになぜか女の子達には親切にされる。これは男の敵だろう、と離れて見ていたロックオンは思ったが、実際そのとおりだった。
マリナに見つかると悲しい顔をされるので、喧嘩は大体隠れて始められた。そして数人がかりで仕掛けても刹那には勝てないことが、次なる紛争を呼ぶ。
「バッカだな、おまえ。そんだけ強いんだから、あいつら全員子分にしちまえば簡単なのに」
頬に絆創膏を張ってやりながら、ロックオンは姑息な大人の入れ知恵をした。
「子分なんていらない」
「じゃあ仲間だ」
「くだらない」
手当てを受ける刹那の横に、ティエリアが立っていた。男女別の作業の時間以外、ふたりは一緒にいる。
こりゃ妬けるよなあ。とロックオンは男の子達の視点に立って思った。
ティエリアは女の子達とは打ち解けたが、男の子には近寄ろうともしない。
変わり者とはいえどティエリアは綺麗だ。高嶺の花に愛想がない場合、嫌われるか好かれるかの分かれ目は曖昧だが、ティエリアは嫌われはしないほうで、そういう点でも刹那は男の子達の敵だった。
「おまえもいっつも見てるんだから、たまには止めに入れよ」
「刹那は悪くない」
「正しくても悪くても、争いは止めなきゃなんねえんだよ」
ティエリアはロックオンの手を見た。銃を扱うために皮の手袋に保護されている手だ。
「ま、俺が言うと説得力ゼロか」
素直に頷くティエリアに、ロックオンは苦笑した。
ちょっとした事件は同じ日の夜起こった。
就寝時間が近づき、いまだ女の子部屋で寝ている刹那に、誰かが絡んだのがきっかけで、いつものいざこざだった。
違ったのはいつもは傍観者であるティエリアが、止めに入ったことだ。それが思わぬ事態を引き起こした。
「やめろ」と割り込んだタイミングが悪かった。
刹那の肩を突き飛ばそうと振り上げていた手が、妙なふうに反応して肘がティエリアの顔に当たった。
「ティエリア!」
叫んだのは刹那だった。
「わーっ!」
悲鳴を上げたのは、肘鉄を喰らわした男の子だった。
当のティエリアは、床にぽたりと落ちた血を不思議そうに見てから、のろのろと鼻に手をあてた。
「弾みとはいえ、女の子に手を上げるなんて!」
食堂に集められた男の子全員、刹那含む、は一列に並べさせられ、順番にシーリンの拳骨を喰らった。
「今までもつまらない喧嘩を繰り返していたことを、知らないとでも思ったの? 男の子だから多少は仕方ないかと目を瞑っていたけれど、いい加減に反省なさい!」
本気で怒るシーリンほど怖いものはない。男の子達は縮こまった。
「どこに行くの、刹那。まだ終わってないわよ」
「ティエリア」
「マリナが手当てしているわ。あなたはまだここにいるのよ。協調性がなさすぎるわ。わかるまで話合いましょう」
無表情がトレードマークの刹那の頬が、僅かに引きつった。
その少し前。
「ロックオン、ロックオン、ティエリアが大変よ」
納屋で農機具の手入れをしていたロックオンの元に、女の子が走ってきた。
引っ張られて医務室として使っている部屋に行くと、鼻に詰め物をしたティエリアが寝かされていた。
「わっ! どうしたんだ、おまえ!」
止血を優先したのか、血のついたシャツのまま着替えていない。顔についた血は、濡らしたタオルでマリナが拭いていた。
「鼻血というものが出た」
「そりゃまあ状況からしてわかるが。すっころんだのか」
「喧嘩を止めようとして、肘があたったのですって。痛かったでしょう。無茶をしてはダメよ」
「痛くなかった」
「あらあら」
血はまだ止まらないらしく、マリナは赤く染まってきた詰め物を新しいものに変える。
喧嘩というと刹那とほかの悪ガキ連中か、とロックオンが思っていると、刹那が顔を覗かせた。女の子のあいだを通り、ベッド脇に進む。
「大丈夫か」
「大丈夫だ」
刹那とティエリアは頷きあった。
「俺はこれから反省文を書かねばならない。おまえは安静にしていろ」
ティエリアは顔を顰めたが、仕方ないと思ったのか再び頷いた。
刹那が出て行き、続いて女の子たちも寝室に戻った。
消灯時間はとっくに過ぎている。
着替えたティエリアはしばらく天井を見上げたのち、ふいにロックオンのほうを向いて訊ねた。
「反省文とはなんだ?」
「なんだ、知らないのか? 反省している気持ちを文章にして表すんだよ」
心からの言葉であると認められるまで、永遠に書き直させられるという、シーリンお得意の説教法だ。
「文章、というと、文字を書くのか」
ティエリアは呟くと、突然起き上がって裸足のまま床に下りた。
「あ、ダメよ」
マリナが伸ばす腕の下をくぐり、
「こら! 安静だろ!」
ロックオンの静止を耳にも入れずに、部屋を飛び出した。
「反省文とやらは僕が書く」
高らかに宣言する声は、廊下にまで聞こえてきた。
子どもの足にすぐに追いついたロックオンは、食堂の長い机に並んで座る男の子達が、鼻に詰め物をしたままのティエリアに目を丸くしているのを見た。
「ティエリア」
「君は黙っていろ」
ほかの子から少し離れて座っていた刹那は、ティエリアに押しのけられて席を譲らされた。
「なにを書けばいいんだ」
問われたシーリンは顔を顰めた。
「刹那が書かなければ意味がないのよ」
「僕が書くと言っている」
ティエリアは鉛筆を手に取ると、原稿用紙の升目を無視しているのがわかる勢いでなにかを書きつけ、シーリンに突きつけた。
刹那は悪くない
この状況でなければ誉めてやりたいくらいの、達筆だった。
シーリンが唖然としているあいだに、ティエリアは刹那の手を引いて出て行ってしまった。
「なんなの、あの子達は!」
ロックオンは頭を掻いた。ロックオンに遅れてやってきて、成り行きを見守っていたマリナが、困ったように笑った。
「今日はもうみんな寝ましょう」
救いの手が差し伸べられて、男の子達は涙目になった。
「あなた達は明日の朝ごはんまでに、ティエリアに謝って、刹那と仲直りすること。出来るわね?」
もとよりマリナの言葉に逆らう子などいない。うんうんと頷く頭のひとつひとつを、マリナは優しく撫でた。
「みんないい子ね」
シーリンはため息をついた。
「ティエリア、そのまんま寝たらお布団が汚れちゃうよ。ちゃんと血を止めなきゃ」
ロックオンが様子を見に行くと、女の子達の寝室で、ティエリアが甲斐甲斐しく世話を焼かれていた。
「あ、ロックオン。ティエリア、血、止まんないよ」
「じっとしてねえからだよ」
寝ていないどころか、ティエリアはベッドをおりようとしていた。
「僕はこれから裁縫の自主練習を」
「ねえよ」
ロックオンが肩を軽く押すと、ティエリアのからだは人形のようにベッドに仰向けになった。詰め物を取り替えて寝間着に着替えさせる。
「おまえらももう寝な。夜更かしするとお肌に悪いぞ」
きゃはは、と笑ってから、それぞれのベッドに女の子達は納まった。最後にロックオンは、ひとり部屋の隅に立っている刹那の背中を押した。
「俺は」
「今日は全員消灯。姫さんがそう決めたんだよ」
刹那はロックオンを見上げた。
「おら、もう寝ろ」
「わかった」
全員がベッドに入ったのを見届けて、ロックオンは明かりを消した。
翌日。朝食が終わって、男の子は農作業をしに外に出る時間。一番あとに食堂を出て行こうとした刹那は、マリナに呼び止められた。
マリナは多忙で、その上新参者の刹那とティエリア以外の子どもにいつもまとわりつかれている。だから刹那はマリナとほとんど話をしたことがなかった。
常ならばやっかまれるところだが、昨日の今日でなにかいう子はいない。ティエリアは足を止めたが、行け、と刹那に顎を動かされ従った。
つい先ほど、男の子達はティエリアに鼻血を出させたことを謝り、刹那にとりあえずの休戦を申し入れてきたので、そちらの問題は解決している。
刹那は朝食の食器が片付けられたテーブルの、マリナの前の席に座らされた。
「答えたくなければ、それでいいのだけれど」
前置きしてから、マリナは言った。
「刹那あなた、学校に行ってなかったのね」
そのことだろうと思っていたので、刹那は頷いた。
戦争の前段階の紛争が激しくなった頃から、学校どころではなくなった、と説明した。
多少省略したが嘘ではない。
マリナは穏やかな顔のまま頷いた。
「じゃあお勉強しましょう。学習の時間は丁寧に見てあげることが出来ないから、特別授業を」
大人達は年齢がまちまちの子ども達を個別に指導している。マリナやシーリンは見るからに教師に向いていそうだが、意外なことにロックオンも教えることが上手かった。
「そうね、就寝の前に、ティエリアが裁縫の練習をしている同じ時間はどうかしら」
刹那とティエリアは来たばかりということで、生活に馴染むことを優先に、学習の時間はこれまで自由にさせられていた。
だから大人達にはわからなかったのだ。
刹那が読み書き出来ないことに。
聞かれもしないのに、そんなことをわざわざ申告することもないと刹那は思っていたので、ティエリアにも言ったことがなかった。
それなのに、いつから気づかれていたのかわからないが、ティエリアは刹那が反省文を書けないことを知っていた。
からかわれようと馬鹿にされようと気にしないが、庇われると面映かった。
「だが今は勉強などしている場合では」
「どんなときでも学ぶことは大切よ」
「戦禍が迫っている」
「やがて平和のときが来るわ」
真顔でそんなことを言うマリナを、刹那は見つめ返した。
行っていいと言われて食堂を出た刹那を、ティエリアが追いかけてきた。女の子の作業を抜けてきたらしい。
「叱られたのか?」
ティエリアの口調に心配そうな響きが混じっていた。
「大丈夫だ」
「すまなかった。僕がもっと上手くやれていたらよかった」
刹那は表情をほとんど変えなかったが、それは一体どのことを指しているのだろうとおかしく感じた。
「ティエリア」
「なんだ」
「ここは妙なところだな」
ティエリアは顔を顰めて周囲をぐるりと見渡したあと、
「そうだな」
と言った。
「だが悪くはないと、僕は思う」
「そうだな」
と刹那は同意した。