(1)
この国が戦争を始めてから何年も経つ。
複雑な同盟や条約が絡みすぎて、国民には自国が勝っているのか負けているのかさえわからない。
それでも戦争は続いていた。
数ヶ月前に空爆を受けたこの町では、最近になって闇市が立つようになり、配給で手に入らないものを求める人で、繁盛していた。
ふたつ隣の町から来たロックオンの背負うリュックも、ずっしりと重い。
帰路を急ぐため早足になろうとしたとき、瓦礫の山に登り、なにやら掘り返している子どもの姿が目の端に入った。
「おーい、危ねえぞ」
声をかけると、子どもが振り返った。
十歳かそこらの汚い身なりの少年だ。
「めぼしいもんはもうねえだろ。探してるのは食いもんか?」
ロックオンがジャケットのポケットを探ると、少年は威嚇する猫のように身構えた。いい反射だが、ロックオンが取り出したのは銃ではない。
「ほらよ」
チョコレートバーは放物線を描き、少年の手のなかに納まった。少年はそのまま素早い動作で、瓦礫の上から飛び降りた。
もとより礼など期待していなかったので、小さな背中を見送るつもりだったが、まだ視界にあるうちに少年は足を止めた。路地の影に仲間が待っていたようだ。
少年は菓子を仲間に見せると、包装を歯で破って齧り付いた。分け与えないのだろうかと見ていると、何事かを仲間に告げてから差し出した。
仲間が一口齧り、残りを少年に返そうとすると、もっと食べろというように押し返した。最初の一口は、安全を確かめるためのものだったらしい。
「毒とか、入ってねえよ」
苦笑するが、子どもを攫う輩は多い。浮浪児であろう彼らが警戒するのは、正しいことだ。
がんばれよ。
無責任にエールを送って、立ち去ろうとしたそのとき。
「おい、おまえたち、そこでなにをしている!」
高圧的な声に、ロックオンの足は引き止められた。
声はロックオンにかけられたものではない。
慌てて振り向くと、大人三人に囲まれて、子どもの姿は見えなくなっていた。
「なんだ、その菓子は。どこから盗んできた!」
「ティエリアを離せ! それはもらったんだ!」
「嘘つけ。このご時勢に誰がおまえらみたいな汚い子どもに、恵んでくれるってんだ」
腕を引っ張られて足が宙に浮いている仲間を、少年が助けようとして、別の男に押さえつけられた。
男達は警察官の制服を着ている。警察などとっくに機能していないのに制服を着ているのは、ありもしない権力をちらつかせ、ろくでもないことをする連中だけだ。
「それは俺がそいつらにやったんだよ。だから離してやってくんないかな」
ロックオンが瓦礫を踏み越えて近づくと、男達は笑った。ロックオンは細身で優男だ。そんな反応も無理はない。
「兄ちゃん、よそ者だな。さっさと帰んな。このあたりは日が暮れたら危ないぜ」
「そうするつもりだが、子どもが濡れ衣着せられてんのを、そのままにしておけないだろ」
ロックオンが引かないことを理解して、男達は顔を歪めた。
「わかったよ。こいつらは泥棒じゃない。だが子どもをこんなところにほうってはおけない。だから俺達が保護しよう」
「保護、ねえ」
逃げようとする少年達を、それぞれ男達が抱え上げていた。
まんま人攫いじゃねえかよ。
「離せっ!」
少年が叫んだ。
「って言ってるぜ」
「兄ちゃん、あんまり深入りしないほうがいいぜ」
「そうかい?」
ロックオンはジャケットの内ポケットに手を入れた。
これで身を立てていたのはほんの短いあいだだったが、自分でも才能があったと思う。
相手が気づいてナイフを取り出す前に、額に銃口を突きつけた。
「ガキ共を離しな」
「てめえ!」
ほかのふたりが銃を抜こうとするのを、開いている手で制した。
「やめとこうぜ、なあ?」
勝手に口元に笑みが浮かび、銃よりもその態度に男達は怯んだ。
捨て台詞と共に逃げた警官崩れから解放された少年は、力任せに押さえつけられたために、動けなくなった仲間を庇いながらロックオンを睨んだ。
「その態度はねえんじゃないの? 一応助けてやったんだけど」
「あんたもまともじゃない」
「そう言うなよ。昔取った杵柄ってヤツだ」
どれ、とロックオンは膝を折った格好のままの少年に近づいた。
「大丈夫か、ティエリア」
ゆっくりと黒髪が動いた。
「なぜ、僕の名前を」
「さっきあっちの彼がそう呼んでいただろ?」
ロックオンを見上げる瞳は、燃えるように赤い。
「ちょいと触らせてもらっていいか? 折れてないか確かめるから」
「触るな」
ティエリアはよろけながら立ち上がった。
「大丈夫だ、刹那」
いつでもロックオンに飛びかかれるように見守っていた少年に、ティエリアは頷いた。
「おまえら、兄弟?」
「違う」
とティエリアに手を差し伸べる少年。
「そうだ」
とティエリア。
別々の答えが返ってきて、ロックオンは苦笑した。
「まあどっちでもいい。じゃあ行くか。刹那にティエリア」
ふたりの少年は首を傾げた。
「どこへ」
「決まってんだろ。マリナ・イスマイールの家さ」