天然少女
「ライル、いる?
お菓子焼いてきたの。お口にあえばいいんだけど」
満面の笑顔でドアを開けたアニューは、鏡の前の椅子に座っている男を見て、一瞬のうちに表情を変えた。
「なんだ、ニールか」
声のトーンまで一段低くなり、両手に抱えていた可愛いラッピングをぞんざいに化粧机に投げる。
「なにしてるのよ。ここ、ライルの控え室よ」
あまりの態度の変わりように気を悪くした様子もなく、ニールは笑った。
「次の回想シーンの打ち合わせ。
ちょろっとですむから、わざわざ部屋用意してくんなくていーから、つうことで」
「それで弟の控え室を使ってるってわけ? ライルは?」
「別室にて雑誌インタビュー中」
ちっ、とアニューは舌打ちした。
「あーもう、損した!
せっかく超絶可愛いモードで来たのに!」
「すっげえ可愛い感じだったけど?」
「だからニールに見られても意味ないし!」
やってらんないわ、とアニューは髪をかき上げた。
アニュー・リターナーは明るい性格と可愛い仕草で、人気急上昇中のアイドル女優だ。
出番はそう多くはないが、セカンドシーズンでライル・ディランディ演じるロックオン・ストラトスと絡む大切なキャラクターを演じていて、実生活でもライルと付き合い始めたばかり。
まさに仕事もプライベートも絶好調だが、唯一の誤算は、ずっと以前に共演したことがあり、そのとき呆気なく本性を見破られたニールが、ライルの双子の兄だったことだ。
「打ち合わせはもう終わったの?」
「ああ」
「じゃあさっさと帰りなさいよ。
あっ! まさかライルとどっか行くつもりじゃないでしょうね!
ダメよ! ライルは私とご飯食べに行くんだから!」
はいはい、とニールはどうでもよさそうに片手を振った。
「どこにでもどうぞ。
俺はティエリアを待ってるだけだから」
「ティエリア?」
「さっき偶然会ったら、今日はもう帰るって言うからさ。
俺は車で来てるから、送ってこうと思って」
「ふうん」
アニューの目が剣呑な光を湛えた。
アニューはティエリアが嫌いだ。
愛想もクソもないくせに、なぜだか皆に大事にされていてムカツク。
アニューは愛されるためにこんなに頑張っているのに。
「ニールってさあ」
「ん?」
「ティエリアと付き合ってるの?」
「いいや」
「ふうん」
ファーストシーズンからの出演者はとても仲が良く、ニールも今日のようになにかにつけて現場に顔を出したりするが、 それとは違ってティエリアはニールを好きだとアニューは思っていた。
いつもつんとすました態度が、ニールの前でだけごくごく微妙に変化する。
一方ニールがそれをどう思っているのか、誰に対しても当たり障りのない態度を崩さないので、尻尾を掴むことが出来ない。
ぷうと頬を膨らませたアニューは、ドアの向こうからの、人が近づいてくる気配に気づいた。
ティエリアが来た!
アニューは先ほど自分が投げ出したラッピングを徐に掴んだ。
ライルのために未明に起き出して焼いた菓子だが、この際ティエリア憎しを優先させる。
「ニール! 甘いもの好き?」
「いや、あんまり」
即座の否定を全開の笑顔でさらに打ち消す。
「好きよね! よかった!」
がさがさと包みを解いたアニューは、なかからハート型のクッキーを取り出して、ニールの目の前にずいっと差し出した。
「はいっ! あーんして!」
アニューファンなら感涙に咽ぶ「アニュースマイル」で、ニールの口にクッキーを突っ込もうとしたそのとき、ドアが開いた。
さあ、ティエリア・アーデ! 泣いて走り去るがいいわ!
アニューは心の中で高らかに勝利の喝采を上げた。
が、
「アニュー、なにしてんの?」
ドアに背中を向けていたアニューの耳に届いたのは、目の前の男と同じだが、どこかのほほんとした声だった。
ぴき、と音を立てて自身の笑顔にひびが入った気がしながら、恐る恐る視線を前方の鏡に向けて、アニューは驚愕した。
「ラ、ライル…っ!」
「兄さんとなにしてんの?」
衣装のままインタビューを受けていたのか、CBの制服を身に着けたままのライルに、アニューは返す言葉が出てこない。
「あー、なんでもないない。
ライルは甘いもん好きだから。よかったな、アニュー」
ほとんど押し倒されている格好から抜け出したニールは、固まってしまったアニューの背中をライルのほうへ押した。
「え、なに。なんか作ってきてくれたの、アニュー」
「え、ええ! そうなの!」
ダメージから素早く這い上がり、恋する美少女の皮を被る。
「あなたのために、クッキーを焼いたの!」
「へえ、嬉しいな」
ライルはアニューには笑みを浮かべて、
「兄さんにはあとで話を聞くとして」
ニールには低い声で囁いた。
「なんもねえって。俺もう行くから」
開いたドアの向こうにティエリアが、トートバックを肩からかけてちょんと立っているのを指で示すと、ライルは不満げではあったが頷いた。
ドアが閉まってから、ライルは大きく息を吐いた。
「ライル?」
おっかなびっくり呼びかけるアニューは、ライルに呆れたような目を向けられた。
「アニューってさ。自分で思ってるよりドジだよな」
「そ、そうかしら」
どうしよう。嫌われたかしら。
びくびくしていると、さらに言葉が重ねられた。
「まあ、そこが可愛いんだけど」
「そ、そうかしら」
天にも昇る心地で、アニューは赤くなった頬を両手で挟んだ。