はじまりはじまり
その日ティエリアは数年ぶりに実家に顔を出していた。
生活費が尽きたのだ。
自宅は自分名義なので、住むところはある。
元から家庭教師に皿洗いまでアルバイトをかけもちしているので、食べては行ける。
だが奨学金を受け取って専門課程に進む権利を得たティエリアは、研究に没頭するために環境を整えたかった。
実家は大嫌いだ。
背に腹は帰られない、と出向いてきたものの、客間に通され三十分も待たされているうちに、どうしても嫌になってきた。
もういい。学校は諦めよう。
研究を続けたかったが、ほかにもしたいことはある。そちらの道を選ぼう。
そう決意して出た廊下で、父親と鉢合わせした。
「やあ、ティエリア。待たせすぎたかな」
久しぶりの嘘くさい笑顔を見て、やはり来なければよかったと無言で通り過ぎようとすると腕を掴まれた。
「君っ、ドラマに出る気はないかいっ?」
腕を掴んだのは父親ではなかった。
目を輝かせている太った男にティエリアは見覚えがないが、父親の仕事関係の知り合いだろう。
「ないです」
即答して腕を振り払おうとしたが、逆にさらに強く掴まれた。
「リボンズさんっ、彼はあなたのお身内ですかっ!」
彼、と呼ばれてティエリアが眉を寄せたのを父親に面白そうに見られて、不快の度合いが増す。
「ええ、まあ…。監督。ドラマというのは先ほどのオファーの?」
「そうです! マイスター役がひとりどうしても決まらないと、お話したばかりでしたが!
世界中でオーディションをしても見つからなかったマイスターが、リボンズ・アルマーク、あなたの家に!」
「ほほう」
逃げようとするティエリアのもう片方の腕を、父親がなんでもない様子で物凄い力で掴んだ。
「中性的な容貌! 透明感を備えた不思議な存在感! 彼こそ四人目のマイスターだ!」
「だからドラマになど出ないと言っている!」
ティエリアはらしくもなく叫んだ。
両腕をそれぞれ掴まれているので、じたばたすると足が浮きそうだ。
「いいじゃないか、ティエリア。
どうせ今日は金の無心だろう。
ドラマに出たら、まとまった金が手に入るよ」
永遠の少年の顔でさらりと放たれた父親の言葉に、ティエリアは逆上しそうになった。
金の無心だと!? それが未成年の実の子どもに言う言葉か!
生活費はいらないと言ったのはかつての自分だが、だからと言って本当にまったく援助しないこの男の血を引いているかと思うと、死にたくなるほど自分が嫌いだ!
怒りのあまり言葉が出ないティエリアに、リボンズは実に楽しそうに笑いかけた。
「僕も出るんだよ、ティエリア。そのドラマにね。ある重要な役で。
いいね。是非出たまえ。
監督、大丈夫ですよ。この子、演技の基礎はありますから、ちょっとトレーニングしたら使えますよ」
「おお! リボンズ先生のお墨付きですか!」
なにがお墨付きだ。
確かに演技指導は受けた。
だがそれも七歳までのことだ。
説明しようとして、最早監督と呼ばれる男に聞く耳がないことを、ティエリアは悟ってしまった。
「では、この子はうちの事務所でマネージメントしましょう。
新人ではありますが、重要な役どころに抜擢ということで、ギャラは、そうですね、ディランディが出るのでしょう、彼と同じクラスなら、契約書にサインしましょう」
「交渉成立ですな!」
ティエリアの目の前で、ティエリアの意志に関係なく契約はまとまった。
こうしてティエリアはテレビドラマシリーズに出演することとなり、ドラマは大ヒットした。
これが四年前の出来事。
* リボンズ・アルマークは世界中の芸能界を牛耳る超大物ベテラン俳優。
少年から老人の役までこなす演技派。
プライベートは謎に包まれている。