愛のことだま
刹那がティエリア宅を訪ねたのは、ある差し迫った必要があったからだった。
放浪癖がついて、世界中、あるいは宇宙にまでふらふらと風の吹くまま気の向くまま、な旅人と化している刹那が元気な姿を見せて、ティエリアは喜んだ。
ロックオンは仕事で留守で、刹那にとっては丁度良かった。
「ティエリア。おまえに聞きたいことがある」
子どもが手伝いをするような手つきでお茶菓子を用意するティエリアを、刹那は自分のほうへ向かせた。
「どうした。なにか問題でも」
問いかけるティエリアを、刹那は遮った。
「ティエリア、おまえ、ロックオンに愛していると言うことがあるか」
大きな赤い瞳が人形の仕掛けようのにゆっくりと瞬いた。
「…なに?」
「ロックオンにあ…」
ティエリアは掌を刹那の口の前に差し出した。
「質問は聞き取れた。二度言わなくていい」
「そうか。ならば答えを」
刹那も視線を逸らさないので、ふたりはしばし見つめ合うと睨み合うの中間の感じで互いを見合った。
恋人でもない男とこうしている無意味さを、先に感じたのはティエリアだった。
「刹那。なぜそれを質問するのか、まずそこから聞かせてもらいたい」
ソファに座らされ、出されたミルクを刹那は文句も言わずに飲んだ。
「ミルクには鎮静効果がある。落ち着いたか」
「俺は端から落ち着いている。
俺がおまえに先ほどの質問をするに至った過程を、今説明しよう」
「そうしてくれ」
刹那は放浪している。
ひとつところに定住しない。
だが心が帰っていく場所がある。
それはマリナ・イスマイールの元だ。
マリナ・イスマイールもそれをわかっている。
だから刹那はこれまで一度も言葉でそれを伝えたことがない。
「ふと思ったのだ。
それではいけないのではないかと。
気持ちは言葉にしなくては、相手に伝わっているかどうかわからないのではないかと」
刹那が説明し終えたとき、ティエリアは顔を手で覆っていた。
「ティエリア?」
「…なんでもない。ちょっと恥ずかしかっただけだ。君ののろけが」
「のろけではない。俺は真実を述べている」
「…そうか」
ティエリアは眼鏡の下の目を閉じて、軽く深呼吸してから目を開けた。
「質問に至る過程は理解したが、なぜそれを私に問う」
「アレルヤが頻繁に言っているのは、見ていたから知っている。
ロックオンも言いそうだ。いや、むしろ得意だろう」
覚えがあるのか、ティエリアはなにもないところを見た。
「…それで私に聞くのか」
「そうだ。ティエリア。おまえまでもが口にする言葉ならば、俺もしなければならない」
ティエリアは人差し指でぐりぐりと眉間を押した。
「答えを。ティエリア」
「…言ったことはない」
「そうか」
なぜか刹那は安堵の表情を浮かべた。
だが、と続けようとしたティエリアは、玄関が開く音に反射的に腰を浮かせた。
「帰ってきた」
誰だ、などと聞くのは愚かだ。
ここはティエリアとロックオンの住まいなのだから。
今時の防犯体制としてはどうなのかという、アナログなキーをがちゃがちゃさせてロックオンが姿を見せると、ティエリアは跳ぶように近づいていってロックオンの首の後ろに両腕を回した。
ただいま、と頭を引き寄せてロックオンはキスをする。
「ひとりで寂しかったかい、子猫ちゃん」
「寂しくなかった。刹那が来ている」
ああ?とロックオンに視線を向けられたとき、刹那は背中がひやりとした。
ティエリア、その言い方はまずい。
そこは嘘でも寂しかったと言っておくべきところだ。
刹那の心中のアドバイスは、当然ティエリアには届かなかった。
「刹那、おい、久しぶりだなあ!」
ロックオンの人好きのする笑顔は嘘の匂いしかしないと、刹那はとっくに知っている。
「ロックオン、おまえの留守中に上がりこんで悪かった」
「気にすんなよ。ティエリアに用があったんだろ?」
「そうなんだが」
建前的に兄貴的立場を崩さないロックオンがやや怖い。
こいつは前からこんな男だっただろうか。
だったんだろうな。人間そうそう変わるもんじゃない。
などと考えながら、自分とティエリアはあくまで家族的親愛感情を共有する間柄なのだと、どう理解させようかと思案する。
「ロックオン。刹那は私に質問があって来たんだ」
「質問?」
ティエリアはロックオンのシャツの腰のあたりを握り締め、真面目な顔で頷いた。
ざっと説明を聞き終えて、ロックオンは呆れ顔になった。
「おまえ、そんなこと聞きに来る暇があったら、彼女んとこ行ったらどうだ?」
「迷いがある状態では行けない」
「あっそ。言えばいいじゃん。こんな感じで。
ダーリン、マイハニー、マイエンジェル。愛してるよ。俺の世界の中心はおまえだ。おまえがいるから今日も世界は薔薇色に輝いているよ」
ロックオンは後半部分を向かい合うティエリアの瞳を覗き込みながら言った。
「大安売りだな…」
「言われて悪い気はしねえよ。な? ティエリア」
ティエリアは同意せず、代りにロックオンの両腕に自分の手を置いた。
「私も、言う」
「なにを?」
「愛の言葉を。私も、あなたに伝える」
ティエリアは真剣な顔でロックオンへと身を乗り出した。
「ロックオン。私はあなたをあ」
いしてる、と続けたいのだろうが、ティエリアは固まった。
照れているとかそういうのではなく、言葉が舌から離れないといったふうだ。
あ、あ、あ、とティエリアは必死に音にしようとするが、どうしても出来ない。
「ロックオン・・・っ!」
「無理すんなって。おまえ、心臓にえらい負担がかかってるぞ、きっと」
確かに言葉に出来ない気持ちが全身から溢れ出していて、ティエリアは首まで真っ赤になって呼吸も乱れ始めていた。
「ちゃんと知ってるから。おまえが俺を愛してるって」
ロックオンの言葉に許されたかのように、ティエリアは脱力してその腕に倒れこんだ。
「す、すまない…。やっぱり言えなかった…」
「いいって。こんなことに命を賭けるこたねえよ」
頭をよしよしされて、ティエリアははにかむように微笑んだ。
「ところで刹那、おまえどうすんだ。泊まってくか?」
馬鹿っぷるの愛の小劇場を目の前で見てしまった刹那は淡々と言った。
「さっさと帰れと言ってくれてかまわない」
「そうか。気をつけて帰れよ」
ロックオンに頭を抱え込まれていたティエリアが、ぱっと顔を上げた。
「帰るのか、刹那」
いやだから。そういう言い方はまずい。その実に寂しそうな表情もまずいぞ、ティエリア。
俺はこの家を出た途端ロックオンに狙い撃たれるかもしれない。いや、むしろきっと撃たれるに違いない。
「帰る」
「そうか…早くマリナ・イスマイールに会いたいんだな」
それならば仕方ないと納得するティエリアの誤解を、本当は泊まっていくつもりだった刹那は解かなかった。