天使と嵐
窓を叩く雨の音が激しくなったのに気づいて、ティエリアは端末から目を離した。
いつの間にか暗くなっている。
カーテンを閉めながら、そういえば今夜は荒れるのだと予報を思い出した。
外にあるゴミ箱を、なかに入れておいたほうがいいだろうか。
一人暮らしも長くなると、いろいろ気が回るようになる。
最初の頃のなにも出来なかったっぷりを思い出しながら、裏口のドアを開けた。
吹き込んでくる雨に顔を背けながら、ゴミ箱に手をかけて、その横に人がいるのに気づいた。
膝を立ててうずくまっているのが誰だかわかって、ティエリアはゴミ箱を放り出した。
「ロックオン」
感覚として自分より一回り体格のいい男を運ぶのは、なかなかの苦労だった。
右脇腹から流れ出る血が点々と床を汚したが、傷の状態を見るのが先だ。
濡れ鼠をそのままベッドに上げるつもりもなく、シャツとズボンを脱がせる。
「そういうことは、もっと艶っぽくやってくれないかな」
脱がせにくいことこの上ないジーンズを力任せに引っ張ると、減らず口を叩かれた。
「生憎艶っぽいことをやっているつもりはない」
「そりゃ残念」
幸い傷はそう深くないようだった。
医療キットの入った鞄を開き、ティエリアは処置を施していく。
こんなふうに彼が時々転がり込んでくるおかげで、もぐりの医者でも出来そうな知識と技術が身に着いてしまった。
「ナイフか」
「ああ、ちょい、油断した」
「あなたらしくもない」
最低限しか麻酔をかけていないので、痛みは相当あるだろうに、ロックオンは口の端を上げたままだ。
「悪りぃなあ、迷惑かけちまって」
「思ってもないことを口にするな」
縫合を完了させて、医療用グローブを外したティエリアは、その手でロックオンの額の汗を拭った。
傷のせいで発熱している。
「こんな時でないと来ない」
「弱ると、天使の顔を拝みたくなるんだよ」
額、頬、顎、と指を滑らせるティリエアの顔に表情はない。
「弱っていないときは、必要ないということか」
「理由が欲しいんだよ」
なんのために、と思うが、聞いてもわからないのでティエリアは聞かなかった。
ロックオンには彼なりの行動理念があり、「それは男の美学だよ」とアレルヤは困り顔で言ったことがある。
薬が効いて眠りに落ちた男を、ティエリアはベッドサイドから眺めた。
ひとつしかないベッドを譲っているので、どの道今夜はここで寝るしかない。
傷は二週間もすれば癒えるだろう。
そして最後の晩、ティエリアを抱いてから翌朝ロックオンは出て行くのだ。
毎回そうなので、今回もそうだろう。
治療費代わりのつもりなのか、とこれは一度問うたことがあるが、それは違う、と否定された。
天使、という言葉はロックオンが使う以外は、ティエリアにとっては皮肉か嫌味でしかない。
ティエリアのからだは特殊で、性別の判定がつかない。
幼い頃は男性的特徴がなかったせいで女の子と思われていてそのように育てられたが、二次成長がなかったことから検査を受けて、 どちらでもないことが判明した。
容姿が整っていたので大事にされることの多かった幼少期から、以降の扱いは一転し、ティエリア自身も自分を軽く見ている。
「天使みてえ」
ロックオンに最初に言われたとき、変わった人だ、と思うと同時に嬉しかった。
その気持ちがまだ続いているので、こうして医療キットを用意して、現在の収入からすると安すぎるボロ屋から引っ越さずにいる。