彼女のためいき
ドアの開く気配に気づいて、スメラギ・李・ノリエガは目を開けた。
ベッドサイドの時計を見ると、明け方近い。
足音を立てないようにして自室へ入っていくのを確認してから、もう一度目を瞑る。
泊まってくればいいのに、と毎回思う。
十年ぶりに家族と暮らし始めたばかりだろうが、真夜中に恋人とモテルに入ったのなら、朝まで一緒にいるのがマナーではないか、とスメラギはあの子の恋人に対して思っている。
たとえ、帰ったほうがいい、と主張するのがあの子のほうであったとしても。
まさかなにも考えなしでここまで連れてきたわけではないだろうから、と思って今まで黙っていたが、そろそろどうするつもりか問い詰めたほうがいいかもしれない。
なぜならもっと我侭だと思っていたあの子は、自分が恋をしているのだと自覚してしまうと、主張の出来ない子になってしまったからだ。
あの子の恋人はそこをうまく操作している。
半分は無自覚に、半分は意図的に。
目が冴えてしまい、スメラギは起き上がってサイドボードに乗っていた寝酒の残りを煽った。
それから数日後のことだ。
ロックオンに呼び出された、と出かけたティエリアが、夕方青い顔で戻ってきた。
この世の終わりみたいな様子で、ティエリアはこう言った。
「ロックオンに、結婚しようと言われた」
とりあえずキッチンの椅子に座らせ、気付けにミネラルウォーターのボトルを渡すと、 いつもはこの子に水は本当に必要なのか、という無機質さで水を飲む子が、ごくごくと音を立てて飲み干したので、スメラギは興味深く眺めた。
「どうしよう、スメラギ・李・ノリエガ」
「どうしようと言われてもね」
「今からでもやはり断ってきたほうがいいだろうか」
「だってOKしたんでしょ」
「…した」
急に赤くなってティエリアはうつむいた。
じゃ、いいじゃないの。とここで話を終えてしまうには、ティエリア・アーデはややこしい性格だ。
でも、とか、だけど、とか、かつて聞いたことのないような優柔不断な言葉をぶつぶつと呟いている。
「だって、無理だ!」
「なにが?」
「い、いろいろ。書類とか、そういう」
「ああ…そういうことには抜け目がない、もとい、抜かりないわよ、ロックオンは。
大丈夫。婚姻届は出せるわよ。立会人の名前が必要なら、私が書いてあげる」
「そうなのか?」
「そうよ。あなた、年も21歳ってことになってるでしょ?」
それがどう関係するのか腑に落ちない、という顔でティエリアは頷いた。
ロックオン・ストラトスがニール・ディランディに戻るのにはさして面倒はなかったが、ティエリア・アーデには元々の市民登録がなかった。
ヴェーダの介入を持ってすれば、新たに作ることなど造作なかったのだが、そのとき性別は女、年齢は21歳としたのだ。
どちらとも言える性別をあえてそうしたのも、おそらく刹那と同じくらいであろう年齢をあえて引き上げたのも、 決めたのはティエリアだが、誘導したのはロックオンだ。
「彼のお店に出入りしても問題ないし、結婚するのに保護者の許可も必要ない年齢なの。今のあなたは」
「店はこのあいだ行ったら叱られた」
思い出したのか、しゅんとしおれたティエリアに、スメラギは鼻を鳴らした。
「あんなのただの焼餅よ」
ロックオンは自分の店の営業時間中にティエリアが来ることを嫌がっていて、 真夜中の裏通りやくだを巻くチンピラなど、もしティエリアと遭遇したら向こうが気の毒なことになることは、 彼もわかっているだろうから、どうせほかの男の欲望丸出しの視線に晒すのが嫌なんだろうと、 酔っ払ったから迎えに来て、と先日スメラギはティエリアに電話した。
そうしたらそのとおりだったので、笑うのを通り越して呆れた。
ロックオンの言うことには大体黙って頷いているティエリアが、 思わずキレて大喧嘩になりそうなほどロックオンはわけのわからない理屈で怒ったが、 端から見ているとただのくだらない痴話喧嘩だった。
「いいじゃない。結婚でもなんでもしちゃいなさい。
ダメだったら別れたらいいのよ」
「そんな適当に言わないでほしい」
「大丈夫。人生何度でもやり直しはきくわよ」
急にめんどくさくなってきて、スメラギは投げやりに言った。
幸せになればいいのだ。どうせ死んだら地獄に落ちる。