君の求める未来のために 2
小型艇を操縦しながら、ロックオンは数時間前のヴェーダとの交信を思い出していた。
ミレイナをイアンとリンダがブリッジの外に連れ出したあと、スメラギが通信を引き継いだ。
戻ってこられるのなら、戻っていらっしゃい。
ここはあなたの居場所よ。
いいえ。ここでなくても、あなたはあなたの行きたいところで生きることが出来る。
計画からもヴェーダからも離れて、ティエリア・アーデの望むことはなに?
しばしの思考のような時間のあと、返信が来た。
僕はロックオンに生きていてほしかった。
スメラギはキーボードに置いた手を宙に浮かせた。
ディスプレイが一度消え、また新たな文字が浮かび上がる。
だがロックオンは死んでしまった。
だから僕は彼の望んだ世界を彼に代わって作りたいと思った。
ほんの少しだが、それは出来たと思う。
ティエリア・アーデの望みは叶った。
次々と現れる文字を見て、刹那は目を伏せ、アレルヤも遅れて同じように反応した。
スメラギは次の説得の言葉を綴ることが出来なかった。
もし頼めるならば
スメラギとの交信を切る間際、ティエリアはそう切り出した。
小型艇はヴェーダ本体へ向かっていた。
さすがというか本領発揮というべきか、連邦やアロウズの艦隊がほんの近くまで接近していたにも関わらず、 ヴェーダの情報操作のおかげで、まだトレミー以外に本体の位置は確定しているものはいない。
だがそれも時間の問題で、今は連邦政府が混乱しているからいいが、落ち着けば必ず捜索される。
その前の移送の準備は既に進められているが、今ふたりの目的はそれではなかった。
もし頼めるならば、ティエリア・アーデの体を持ち帰ってほしい。
それがティエリアから出された、たったひとつの希望だった。
小型艇を降りたロックオンとアレルヤは、時が止まったような部屋のなかで、無残な姿のまま宙を漂うティエリアを見つけた。
ロックオンがその腕で引き寄せた体には、いくつも銃痕があり、生々しい血痕も丸い粒となって周りに浮かんでいた。
割れたバイザーから覗える顔は血で汚れていて、瞳は閉じているが、唇は僅かに開いていた。
「ごくろうさん…」
ロックオンは労うように肩にそっと手をまわした。
肉体を捨てても精神が生き残る保証はなかったはずだ。
どんなに戦い慣れても死への怯えがなくならないことを、同じ戦場に出ていたロックオンは知っている。
「ティエリア…」
天井部の球体を見つめたアレルヤが呟いた。
周囲は赤い。
ティエリアの瞳の色だ。
この部屋に入ったときから、ロックオンはティエリアの存在を感じていた。
アレルヤもそうだろう。
超兵の脳量子波ではヴェーダにアクセス出来ない。
ロックオンに至っては脳量子波そのものを使えないが、それでもここにはティエリアの気配があった。
アレルヤは哀れむような、慈しむような光をオッドアイの瞳に宿し、ティエリアに向かって声で語りかけた。
「昔君は刹那のことを無茶ばかりすると怒っていたけれど、君も大概だよ」
そのときロックオンとアレルヤは、ティエリアが苦笑したように感じた。
トレミーではミレイナと、彼女に付き添った刹那を除くクルーが待っていた。
ミレイナにはこの状態のティエリアは見せられない。
「私とリンダで清めるわ。男達は席を外してちょうだい」
スメラギが進み出て、頭部の惨状を鑑みると、男がやるべき仕事ではないかとロックオンは思ったが、アレルヤに腕を引かれた。
「任せよう。ティエリアは僕達に体を見られたくないと思う」
パイロットスーツを脱ぐために更衣室へ向かうあいだに、アレルヤは言い足した。
「たぶん、女の子に近い体なんだと思う」
ああ、となにかがロックオンの胸に落ちた。
着替えて戻ってくると、スメラギが皆をティエリアの体を安置した部屋に招き入れているところだった。
宇宙用の棺に入れられたティエリアは、ロックオンの見たことのない、淡いクリーム色のシャツにピンク色のカーディガンを着ていた。
頭の傷は髪でうまく隠されていて、度の入っていない眼鏡が組んだ手のあいだに置かれていた。
「懐かしい格好だな」
イアンが言い、
「ティエリアの私物ってほとんどなかったのに、この服は部屋に残っていたの」
フェルトが人差し指で涙を拭い、
「本当は淡い色の物とか可愛い物が好きなんだよね、ティエリア」
言わないでと約束した秘密を明かしたように、小さく笑った。
「アーデさんは。アーデさんの体は、これからどうなるですか?」
リンダに肩を抱かれ、目を腫らしたミレイナがスメラギに訊ねた。
「基地に移して…それから通常通りに」
処置される、とまでスメラギは続けられなかった。
ソレスタルビーイングで死んだ者は、存在した痕跡を残さないようすべてを消去される。
それは組織に属した者が最初から了承していることで、マイスターといえど例外ではない。
ミレイナが唇を噛み締めた。
また涙が溢れている。
ロックオンは一同をぐるりと見渡し、それから決めた。
「うちの墓に入ればいいさ」
途端にロックオンに視線が集中した。
「墓石に兄さんの名前を入れようと思っていたところだ。
そのとき納棺したら、数は合うから問題ないだろう」
フェルトやミレイナには実感がないのかきょとんとしていたが、年嵩の者達は反応が違った。
「おいおい、それはいくらなんでも問題あるだろう」
「そうよ、ロックオン。数とかそういう問題じゃ」
ラッセとスメラギが立て続けに言うが、ロックオンは事も無げな態度を貫いた。
「どうせ墓なんて生きてるもののためにあるんだし。
そうじゃなかったとしても、俺の家族は俺以外全員大雑把だったから気にしないさ」
兄さん思い出してみろよ、わかるだろ?
付け加えられた一言に妙な説得力があり、なにか言おうとしていたイアンも途中で止めた。
ティエリアの白い顔を見下ろしていた刹那が、ロックオンのいるほうに顔を向けた。
「本当にいいのか?」
「ティエリア・アーデを地球の土に戻してやるのは、我ながらいい思い付きだと思うんだが?」
今は電子の海を漂うティエリアも、ニールの家族と同じ土に肉体が帰るのを、厭いはしないだろう。
アニューの墓も建てよう、とロックオンは思い、今日の俺は冴えているな、と自分を誉めた。
ラッセが肩頬だけで笑った。
「おまえ、兄貴に似てきたんじゃないか?」
ロックオンも笑った。
「かもな」
その時。
さようなら、みんな。
刹那にだけ聞こえる声が、皆に別れを告げた。
だがロックオンを始め、全員がその声を聞いたような気がした。