君の求める未来のために 1
リボンズ・アルマークとの決戦で深手を負った刹那が目覚めたとき、情勢はあらかた落ち着いていた。
どさくさ紛れに姿を消したトレミーを、アロウズに決起した軍、つまりはカティ・マネキンは見逃してくれ、 カタロンは反政府組織の冠を外され、政治を担う一派へと変わっていた。
再生は破壊され、わずかにでも世界は変わった。
「だが終わりではない」
治療カプセルを出たばかりの不自由な体をベッドに起こして、刹那は決意を口にした。
世界は変革を続けていかなくてはならない。
「ソレスタルビーイングはまだ存在している。
やるべきことがあるということだ」
目の前に立つスメラギの顔を見据える。
「仲間達も生きている」
だがスメラギは、沈痛な面持ちで顔を逸らせた。
「スメラギ?」
「帰ってこなかったのよ…ティエリアだけが」
「ティエリア? ティエリア・アーデ?」
皆は、ティエリアが戦死したと思い込んでいた。
「ヴェーダはなにも言わなかったのか」
と、問うた刹那に対し、スメラギは、
「ヴェーダ?」
と、首を傾げた。
刹那はすぐさまヴェーダにリンクした。
かつてのようにトレミーはヴェーダのバックアップを受けて運航されていて、ソレスタルビーイングの活動も綿密なフォローを受けている。
ティエリアについての情報をもたらすくらい、通信回線を開けばすむはずのことだ。
あるいは、ハロを通じて接触することも出来る。
刹那が呼びかけると、ティエリアの意識はすぐに応じた。
なぜ皆に説明しない、ティエリア・アーデ。
ヴェーダは意志を持つべきではない。
脳量子波を持つものからの問いかけには応えるが、それ以外は正式なアクセスによる情報提供しかしない。
明快かつ尤もなティエリアの返事に、刹那は頭を抱えた。
「刹那!? 頭が痛いの!?」
フェルトが飛んできて、刹那は「いや、違う」と眉間を押さえた。
物事には例外が、とか、状況によって判断を変えろ、などとヴェーダの中のティエリアに対して思っても、その生真面目さがまさにティエリア・アーデ。
「わかった。俺が皆に説明する…」
傷のせいではない疲れを感じながら、刹那は呟いた。
ティエリアが人間でないことは暗黙の了解ではあったが、それゆえ詳しいことは誰も知らず、なにゆえヴェーダと直接リンクが出来るのか、 そこから理解してもらうには、刹那は極めて不適切な説明役だった。
一番事情を知らないロックオンにたびたび「はあ?」「だから?」などと聞き返され、遂には元から尤も真実に近い情報を持っていたスメラギが推察を交え 「それはこういうことなの?」「じゃあこうなのね?」と話を補い、ようやく皆に、ティエリアがヴェーダへ帰っていったのだと伝えられた。
一同は当初信じられない、という顔をしていたが、まだ包帯姿も痛々しい癒えきらない刹那が、疲労困憊してする与太話でもない。
信じるしかなかろう、という困惑の空気がブリッジに流れた。
ティエリア・アーデはトレミーで唯一の未帰還者で、マイスターとしては初代のロックオンに続く戦死者として、 この数ヶ月心に刺さった小さな棘のように、何事かにつけ皆の胸を痛ませていたが、まさかそのような形で生きていようとは。
「ということはあれか? ティエリアはまた戻ってこられるのか?」
ラッセの質問に、刹那は首を横に振った。
「肉体は死亡している。体が死んだから、意識がヴェーダに同化出来たんだ」
おそらく別のからだを用意することは可能なのだろうが、ティエリアが現時点でその選択をしないことを、刹那はわかっていた。
刹那の言葉にそれまで目を潤ませていたミレイナが、大粒の涙をぽろぽろと零し始めた。
「そんなの、悲しすぎるですぅ~、ミレイナ、またアーデさんに会いたいですぅ~」
一番年下の女の子が泣き出して、そうでなくてもティエリアが帰ってこなかったことにミレイナが一番泣いていたので、周囲の大人たちは焦って口々に慰めようとした。
だが、ミレイナは突如涙をぐいっと拳で拭くと、通信席へ飛び乗った。
それから戦闘時を凌ぐ勢いで、キーボードを叩き始める。
「ミレイナ!?」
「ヴェーダにアクセスするです!
アーデさんに出てきてもらうです!」
イアンとリンダが止めようとしても、既にその声が耳に入っていない様子のミレイナは、ヴェーダに呼びかけ続けた。
アーデさんはどこにいますか?
アーデさんはそこにいますか?
お願いです、アーデさん、出てきてください。
ここにいるって言ってください。
返事してください。
アーデさん、アーデさん、聞こえていますか?
そんなことを、繰り返し繰り返し入力し続ける。
ヴェーダからはアクセス拒否はないものの、返答は一切ない。
ミレイナの瞳からまた涙が零れ始め、ぼたぼたと手袋とキーボードの上に落ちたが、それでも入力する手は止まらない。
「アーデさぁん…」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったミレイナを、見かねたスメラギが通信席から下ろそうとしたとき、ディスプレイに文字が浮かび上がった。
僕はここに存在する。
「アーデさんっ!」
ミレイナはスメラギの腕を振りほどき、キーボードに向き直った。
皆にはとても感謝している。
「アーデさんっ!」
これからはヴェーダとして皆をサポートしたい。
「戻ってきてっ!」
僕は役目を終えた。
それは作られた命の精一杯の矜持であり、成し遂げた者の胸を張る言葉だった。
その場にいる誰もにそれぞれ込み上げてくるものがあったが、最後の選択は本人がするものだ。
ティエリアがそう決めたのならば、と感傷を飲み込もうとしたとき、ミレイナが叫んだ。
「嫌だもんっ! 私はティエリアが好きなんだからっ!」
ほぼ同時に、同じ内容がインプットされてヴェーダに伝わる。
大人たちは少女の大胆な告白に固まってから、恐る恐るイアンに目をやると、哀れな父親は魂を抜かれていた。
ヴェーダからの返信が来るまでのあいだ、奇妙な空白が生じた。
やがてディスプレイに文字が浮かび上がった。
泣かないで、ミレイナ。
君には笑顔がよく似合うから。
もうタイピングも出来なくなり、ミレイナは号泣した。