ラストミッション
出撃前の最後の機体チェックが慌しく行われている。
ぎりぎりまで休んでいろとイアンに言われたティエリアは、控え室でコーヒーを飲んでいた。
インスタントではあるが、自分の淹れるコーヒーは美味しい、とティエリアは思っていた。
意外な特技だな、とラッセに誉められたこともある。
ミルクも砂糖も入れなくなったのは、ロックオンを真似てだ。
苦味に隠れる微かな甘さが舌でわかるようになるには時間がかかったが、今では馴染んだ。
ふと右手を見て、手袋が黒く汚れているのに気づいた。
どこかで機械油がついたらしい。
すぐパイロットスーツに着替えるし、ほかを汚す前に外してしまおうと、ティエリアはカップを置いた。
「なにしてるんだい?」
穏やかな声に振り返ると、アレルヤがいた。
「ああ、コーヒーか。いい匂いだ」
危機的人手不足のトレミーで一人何役もこなしていたティエリアと、恋人のことで手一杯だったアレルヤが向き合うのは久しぶりだ。
「いいのか。こんなところにいて」
「ひとりにして欲しいって言われたんだ」
苦笑するアレルヤのために、ティエリアはコーヒーを淹れた。
アレルヤはミルクなしの砂糖を少し。
カップを受け取ってからアレルヤは首を傾げた。
「手袋をどうしたの」
「汚れたから取った」
コーヒーの温もりの残る手を、ティエリアは目の高さまで上げた。
「なに? どうかした?」
「いや」
「もしかして、怪我をした?」
「違う。思い出しただけだ」
ティエリアは自分の手を見たまま答えた。
「昔、ロックオンに、女の手だと言われた」
アレルヤはティエリアの白い手と白い顔を交互に見て、それからかすかに眉を寄せた。
「それ、どういう状況で言われたのか聞いてもいい?」
「聞きたいのか?」
真顔で確認され、アレルヤはすぐに首を横に振った。
「いや、…ごめん、いいよ」
指の隙間から天井の照明が漏れる。
たくさんのことを、このからだで感じた、と思う。
だからきっと忘れないだろう。
からだを失っても。
「アレルヤ、ティエリアを知らないか、っと、なんだここにいたのか」
ドアの開く音と共に、今度はライルが現れる。
「イアンがセラフィムの調整を見てほしいから、来てくれってさ」
ケルディムのチェックが済んで、最後のセラヴィーの番が回ってきたらしい。
了解、と呟いてティエリアはライルの横を通り過ぎようとした。
「なあ。セラヴィーじゃなくて、セラフィムの調整ってなんだ?」
さらりと、しかし探る言葉にティエリアは壁に手をついて進行を止めた。
アレルヤが取り成すように手を上げる。
セラフィムの機体特性については、カタロンからアロウズに漏れる可能性を考えて、ライルには伏せられていた。
「トライアルシステム。
条件が整えば、セラフィムはヴェーダとリンクするすべての機体を制御することが出来る」
あっさりと機密を暴露したティエリアに、ライルだけでなくアレルヤも口を中途半端に開けたままになった。
その様子がおかしくてティエリアがくすりと笑うと、ライルはさらに目を丸くした。
「行ってくる。そのまま出撃準備に入る」
「僕らもすぐ行くよ」
アレルヤに見送られて、ティエリアは休憩室を出た。
「…笑った顔を初めて見たぞ」
ドアが閉まってから、ライルは呟いた。