ペシミストの朝
太平洋第六ポイントの手前でエクシアとヴァーチェを確認して、ロックオン・ストラトスの緊張は溶けた。
「ロックオン。刹那とティエリアだ」
キュリオスのアレルヤから通信が入る。
彼の声にも安堵が滲んでいた。
15時間を越える戦闘を、四人揃って生き抜いた。
ようやくその実感が湧いてきた。
コンテナに機体を収容するには操作に要する集中力が足りず、四機は砂浜へと降り立った。
「皆、無事だったんだね!」
コクピットから出るなり、アレルヤはそう叫んだ。
さすが超兵の体力は違う。
刹那とティエリアはコクピットから落ちるように出てきたあと、刹那は砂浜に座り込み、ティエリアはヘルメットをむしりとると砂浜に仰向けに倒れた。
「おーい、大丈夫か、おまえら」
ロックオンはいつもの調子を装う。
「…大丈夫だ」
「…問題ない」
どちらの声も掠れて小さかったが、声を出す力は残っているようだ。
「んじゃ、シャワー浴びてとりあえず寝ようぜ。
ほら、いつまでそうしてるつもりだ」
ロックオンが差し出した右手を、ティエリアは素直に取った。
だが自らはまったく力を入れなかったので、ロックオンに全体重が預けられた。
「…れ?」
半日以上ぶりに降り立った地面に、膝が笑いそうになるのをこらえていたのだから、腕に力が入るわけがない。
「うわっ!」
どさっという音と共に、ロックオンはティエリアの上に落ち、う、と詰まった声をティエリアは上げた。
「わりぃ…」
一応謝ってみるものの、腕にも足にも力が戻ってこない。
歪めたティエリアの頬に砂粒がついているのがやけに近かった。
「ティエリア、大丈夫!?」
アレルヤが素っ頓狂な声を出した。
「重い…」
「ほら、ロックオン、どいて」
こいつほんとにどんだけ体力あるんだ、と思うような力で、ロックオンはアレルヤに引っ張り起こされ、続いてティエリアも起こされた。
微動だにしない刹那にもアレルヤは手を差し伸べたが、刹那は顔だけを上げた。
「全員あのガンダムに助けられたのか」
緩んでいた波打ち際の空気に、緊張が走った。
一番顕著に反応したのがティエリアで、すぐになにか言おうとしたが、ロックオンは手を上げてそれを遮った。
「やめとこうぜ、今は。下手な考え、休みに似たりってな」
それは完全な本心ではなかったが、ここで埒の明かない推論で議論したくないというのも本当だ。
アレルヤが同意して小さく頷いた。
「とりあえず僕達生きてるんだから、次のミッションに備えて休もうよ」
刹那もティエリアも不服そうだったが、実際のところ口を開くのも大義だったようで、それ以上言い募らなかった。
自分に与えられた部屋に入ると、ロックオンはパイロットスーツを脱ぎ着る前に眠りに落ちた。
気を失った、というほうが適切だろう。
途中で一度目覚めて、シャワーを浴びて、それからもう一度寝た。
次に目覚めたのは真夜中で、スメラギからのメールが届いたからだ。
「三日くらい寝させてくれよ」
ぼやきながら起こした体は、意外に回復していた。
この島で待機中のモレノ医師のメディカルチェックを受けたあと、マイスターは各自の機体と共に順次トレミーに帰還せよ、との指示だ。
「ロックオン、起きてるかい?」
ドアの向こうからアレルヤの声がした。
「ああ、起きてる」
シャツに腕を通しながら答える。
「メディカルチェック、僕は終わったから。次、ロックオンを呼んでってモレノ先生が」
「わかった、すぐ行く」
元気そうな者から順にメールを届けたらしい、スメラギの配慮に苦笑する。
数十分後、問題があると言えば当然あるが、まあないということにしよう、と適当な診断をモレノ医師から受け、ロックオンはメディカルチェックから解放された。
食事を取ると眠気は飛んでしまい、一番に宇宙に帰ることになったロックオンは、数時間後には出立する。
ベッドであれこれ考えるよりはと、降るような星空を眺めに海岸に出た。
夜目が利くのを最大限に活用して、波打ち際に近づいていくと、そこには先客がいた。
「ティエリア」
ティエリアは驚いた顔をしてから、すぐいつもの顔つきに戻った。
「なにしてんだ」
「別に」
メディカルチェックはロックオンの次は刹那だった。
「もう少し休んでたほうがよかったんじゃないか」
「必要ない。チェックはヴェーダを介して受けた。
ドクターモレノの健診は、俺にとっては形式的なものだ」
それはどういう意味なのか、ロックオンはあえて訊ねなかった。
聞けば存外ティエリアは話すのかもしれないが、聞きたいとは思わない。
それよりも今は、闇にうっすら浮かぶピンク色のカーディガンを見ていたい。
「あんな機体はヴェーダの計画にない」
唐突にティエリアは口を開いた。
あんな機体とは、自分たちを助けた新型ガンダムだろう。
そうか、とロックオンは言った。
今の時点でそれ以外に言葉はない。
ティエリアも答えを求めているわけではないだろう。
「ロックオン・ストラトス」
「んー?」
どこまでも生真面目な呼びかけに、いい加減に返事をした。
ティエリアはロックオンの真正面に立ち、赤い瞳でロックオンを見上げた。
「全員生き残ってよかった」
理解するのが遅れて、間の抜けた表情で見つめ返してしまった。
今ティエリアはなんと言った?
全員なんだって?
生き残ってなんだって?
「…は!」
そんな状況でもないのに浮かれた気分になって、ロックオンは笑った。
「なにがおかしい」
「いや。そのとおりだと思ってよ」
馬鹿にされていると取ったのか、ティエリアは眉間に皺を寄せた。
おまえ、そんな顔ばっかしてると、綺麗な顔から皺が消えなくなるぞ。
軽口が浮かんで、戦闘でささくれだっていた感情が平常に戻っていることにロックオンは気づいた。
やけにはっきり顔が見えると思ったら、空が白み始めていた。
夜明けだ。
「ティエリア・アーデ。メディカルチェックの番だ」
砂を踏む音に気づくと、刹那が近づいてきていてそう言った。
そのとき一際大きな波が寄せて、ロックオンは素早く後ろに下がったが、彼より海の近くいたティエリアは逃げ損ねた。
あ、という顔に、刹那までがなった。
ティエリアの履いていた革靴が、見事に海水に洗われて、ズボンの裾もかなり濡れた。
そんな経験をしたことがないのだろう。
ティエリアは無防備な表情で瞬いた。
ふいにロックオンはおかしくてたまらなくなり、大声で笑い出した。
刹那も堪えるようにして笑う。
「な、なんだっ! なにがおかしいっ!」
「ああ、悪い悪い。そんなとこいると、また波をかぶるぞ。こっち来い」
ロックオンはティエリアの腕を引っ張って、波から遠ざけた。
「なにやってるの。三人で」
アレルヤまでもがやって来て、刹那の目線を追ってティエリアの惨状を見て目を丸くする。
「あー、気持ち悪くない? 脱いじゃいなよ、靴」
「裸足で歩くほうが気持ち悪い」
「どこのお姫様だ、おまえさんは」
だが歩くと音がするくらい海水を吸った靴はやはり不快だったらしく、ティエリアは自ら靴と靴下を脱いだ。
ロックオンはすかさずそれらを取り上げ、靴下を靴のなかに突っ込むと、両手に一足ずつ持って歩き出す。
「ロックオン、どこに行くつもり」
アレルヤがティエリアを気遣わしげに見ながら問いかけると、ロックオンは口の端を上げた。
「散歩しようぜ。朝陽を見よう」
靴を持っていかれたからか、ティエリアは無言で歩き出し、刹那も並んでついていく。
首を竦め、アレルヤは笑った。
「そういえばマイスター四人で地上を歩くのは初めてだよね」
最初で最後かもな。
ロックオンは心の中で思ったが、命拾いの朝にペシミストはふさわしくない。
奇跡のように素晴らしい朝だ。と思い直した。