(4)
先に行ってくれ、と言われて、克哉はひとりで御堂のマンションに戻った。
戻った、と思わず思ってしまうくらいに、克哉はここに入り浸っている。
どこまで甘えていいのかわからず、三日に一度は自分のアパートに帰ろうとしているが、 なんだかんだと引き止められて結局泊まってしまい、そのまま出勤している。
食事の支度が出来ても、御堂が帰って来る気配はなかった。
こういうときの過ごし方も既にいくつか覚えているが、 今日は実家に連絡しなくてはならなかったのでちょうどいい。
留守電に入っていた、夏期休暇をどうするのかを訊ねる伝言への返事で、勿論克哉は帰らない。
就職してからほとんど実家に戻っておらず、両親も期待しているわけではない。
ただ、長い休みの前に確認のやりとりをすることが、親子の儀礼のようになっているだけだ。
「うん、じゃあ、また」
電話が終わるのとほとんど同時に、御堂が帰って来た。
携帯を折り畳みながら出迎えた克哉に、御堂が目線で、誰と話していたのかを問う。
「両親です。夏期休暇のことで」
そうか。と御堂は目を逸らした。
「それで、君はどう過ごすつもりなんだ。休暇を」
「え」
雛が親鳥にくっついていくように、クローゼットへついていった克哉は途惑った。
MGNの夏期休暇は長く、旅行するには充分だが、転職したばかりだし気分的に落ち着かない。
それよりなにより、御堂と付き合いはじめてこの方、ひとりでなにかする、ということを考えたことがなかった。
「あの、オレは、その。御堂さんと一緒にいられたら、いいなあって」
上目遣いで御堂を見る。それが要望を通したいときの恋人に対する癖だと、克哉は気づいていない。
御堂の目元が微かに朱に染まり、それを知る前に克哉は抱き寄せられた。
「海と山、どちらがいい?」
「は?」
「どちらでも君の好きなほうに行こう」
「は、はあ。じゃあ、その、山?」
本当はどちらでもいいのだが、選ばないといけなさそうなので、適当に。
一緒だったらどこでもいいし、どこにも行かなくてもかまわない。
「あ、あの、御堂さん」
背中にあった腕が尻までおりてきて、克哉はもがいた。
「夕食、まだでしょう? 作ってありますから、えと、先に食事を」
顎を掴まれて、上を向かされる。
「また、君は。そういうことはしなくていいと言っているだろう」
「オレも食べますし…今日はほとんど買ってきたものです。時間がなかったですから」
家人以外に家事を担う人がいる環境で育ったらしい御堂は、克哉が家のなかのことをするのを嫌がるが、 強情を張ってキッチンを使っているうちに、最近ではかなり譲歩してくれるようになった。
克哉にすれば、公私共に御堂を支えたいだけだし、克哉がやっているとなにかと手伝いもしてくれので、どうということはない。
「味噌汁、温め直しますから」
コンロの前に立った克哉は、ふと先程の電話でのやりとりを思い出した。
両親は元気そうだった。
克哉の両親は結婚が早かったのでまだ若く、夫婦仲もいい。
いつの頃からか親にさえも距離を置くようになった息子のことは、そういうものだと思っているようで、まったく干渉してこない。
克哉の態度が違えば、また違ってくるのだろうが。
「御堂さん。子どものときのことってちゃんと覚えてます?」
「子どものとき?」
「小学生のときとか。仲良かった友達の名前とか」
克哉から椀を受け取り、御堂はテーブルに置いた。
「急には思い出せないが。忘れてはいないな。それがどうかしたのか」
コンロの火を消して、克哉も自分の椀を持ってテーブルについた。
「今日紹介された……君。小学校の同級生だったみたいなんです。さっき母親に確認したら確かにそうだって」
「…そうなのか?」
御堂の声に微かに嫉妬が滲んだが、克哉はそういうことに疎い。
「でも全然覚えてないんですよね」
「それほど仲が良くなかったんだろう」
「幼稚園からのつきあいで幼馴染で、いつも一緒に遊んでたって」
御堂は黙ってしまった。
「変ですよね…」
俯いた克哉は、もそもそと箸を動かす。
「君は前から変だがな。いいから顔を上げろ。苛々する」
克哉は言われたとおりにした。
「小学校の同級生ということは、そのあとも一緒か?」
「いえ、オレ中学からは区域外の私学に行ったので、小学校の同級生は卒業してからは誰とも」
「では忘れてしまうこともありえるだろう」
だが克哉の記憶には完全に”彼”の存在がない。
忘れる、というより切り取ったかのように。
「オレって薄情ですよね。親にもあまり情がないし」
「私には欲の塊のように見えるが」
あながち冗談でもなさそうな御堂の声に、克哉も真顔で答えた。
「それは御堂さんだからです。オレが欲しいのは御堂さんだけですから」
箸を落としそうになった御堂が右手を握り締めると、ふたりは向き合ったまましばらく見詰め合ってしまった。
「食事時にする会話じゃないな」
「そうですね…」
今度は俯いても何も言われなかった。