チャンス
物が落ちる音がして、それから泣き声がした。 私はしばらく考えてから体を起こした。 忌々しいこの体は、壊れているくせにいつまでも動く。 子どもは保温ポットの湯を被り、狭い台所で体を丸めていた。 女は毎朝出かける前、熱を発するすべてのものに、 触れてはいけないと繰り返している。 あれをしてはいけません。 これをしてはいけません。 お母さんとのお約束。 子どもは必死に泣いている。 だからといって、どうにもならない。 火傷したのなら、自分で起きて手当てすればいい。 なにが起こると思って泣いているのか。 うるさくてたまらない。 耳と口を塞いでやれば、この騒音は止む。 ほんの少しの時間だ。 私はゆっくりと手を伸ばした。 * 廊下の角から姿を現した女が、私を見るなり深々と頭を下げた。 それから病室に走っていく。 母親を呼んで、また泣き出す子どもの声と、叱りながらも具合を案じる女の声が重なる。 私は廊下に据え付けられた椅子に座り、汚れた天井を見上げている。 あの男の代わりに そのうち殺してやろうと思っていた。 絶好の機会だったのに。 「ぼくね、おじさんにお茶を入れてあげようと思ったの」 子どもが女に、どうして言いつけを破ったか説明している。