遺伝子の問題?
「なんだよーっ!」
家に入ったフラガの耳に飛び込んでくる子どもの声。
「またかよ」
と、呟きつつフラガがキッチンに入ると、
「買って買って買って! 買えよ、買えったら買えーっ!」
と、泣きわめきつつ、マリューのスカートを引っ張る息子の姿。
「みんな持ってんだぞ! 持ってないのオレだけなんだぞ!」
「みんなって誰」
「だからみんなだよ!」
「名前を言いなさい」
「だからみんな!」
「そう。でも新しい玩具はお誕生日になったら買ってあげます」
「だから今すぐ買えっつってんのー、クソババアーっ!」
ぱしっとフラガはうしろから子どもの頭を叩いた。
「あら、ムウ」
マリューはけろりとおかえりなさいと言うが、頭を手で押さえ、目にいっぱい溜めた涙が零れないよう歯を食い縛った子どもは、父親を見上げて怒鳴った。
「なにすんだよ、痛いじゃねえかっ」
「おまえこそ、お母さんに向かってなんてこと言うんだ」
「クソババアにクソババアって言ってなにが悪いんだよっ!」
「ひょっとしてこの口かなあ。そんなこと言うのはー」
フラガは子どものマリュー似のふっくらした両頬をぎゅうっと握る。
手緩くやっては舐められるので、そこそこ力は入れていると、
「うわーん!」
遂に子どもの瞳から涙が流れ出した。
「こいつ、なにをごねてんの」
「なんとかいうゲームが欲しいんですって。
来月のお誕生日に買ってあげるって言ったのに、すぐに欲しいってきかなくて」
息子の買って買って攻撃はいつものことなので、両親は冷静だ。
床にひっくり返って泣いていた子どもは、効果がないとわかると素早く立ち上がった。
「なんだよ、どうしても買わねえのかよ、このヤロー!」
「買いません」
「お父さんもお母さんもぼくのことが可愛くないんだ!」
「いーかげんにしなさいっ!」
一喝したのはマリューだった。
うわーん、と再度子どもは声を張り上げ、力尽きるまで泣いた。
「どこか育て方間違えたかしら」
むくれてリビングの隅っこで背中を丸めている子どもにガラス戸越しの視線を送りつつ、マリューはこっそりため息をついた。
「ごめんなー」
「どうしてあなたが謝るの」
「いや、あれ、絶対俺の血だと思って」
「ワガママなとこ?」
そんなことないと思うけど。と首を傾げるマリューに、フラガは苦笑した。
「ぼくのことが可愛くないんだ、とかぬかしてただろ」
「そうね」
「あいつ、時々あんな僻みっぽいこと言うだろ。
それ聞くと思い出すんだよな」
「なにを」
「あいつのこと」
「あいつ」が誰かわかってマリューは顔をしかめた。
「…そうなの?」
「うん。だからあれは俺の血だと思う」
マリューはしばし考える。
クルーゼはフラガの父親と同じ遺伝子を持つわけで、マリューの息子が彼と似ているところがあるのはむしろ当然だ。
だがマリューはフラガのようには思わない。
彼らの息子は甘ったれなのだ。
愛されていると思っているから、それを盾に取るようなことを言ってみたりするだけだ。
それをフラガにどう伝えようかと考えていると、突然ガラス戸が開いた。
「腹減った! メシ食わせろ!」
「まだ出来てないわよ」
「なんでだ! いつものメシの時間だぞ!」
「誰かさんがワガママ言って邪魔するからまだなの」
「オレを飢え死にさせる気か! このク…」
ソババア、と言いかけて、フラガをちらりと見て慌てて止める。
「メシー! メシー!」
腹減ったー、とまたスカートを引っ張る息子に、マリューはテーブルを片付けたら先にパンを食べていいと言ってやる。
いつもは手伝いを言いつけると文句の嵐なのに、息子は素直に従う。
成り行きを見守っている父親が怖いのか、それとも…
「やっぱりあなた似なのかも」
「なんで」
「なにがあってもご飯は食べるところが」
フラガは一瞬抗議しかけたが、出しっぱなしだった宿題のノートを片付け、ふきんをかけた息子が、
「おかーさん、パン、ふたつ食べてもいいー?」
と笑顔で聞いてくるのをまじまじと眺めて、
「…俺ってあんな?」
とマリューに訊ねた。
「そうね。あんな感じ」
おかーさーん、と返答を求めてくる息子に、マリューは手を洗ったら食べてもいいわよ、と答えた。