おめでとう

「なあ、マリュー。あれ、どこだっけー?」

キッチンでお昼の用意をしていたマリューが、エプロンで手を拭きつつ廊下に出てみると、普段開けない納戸の前に踏み台を引っ張ってきて、フラガがその上に座っていた。
「なあ、あれ。確かここに入れたよな」
「あれじゃわかりません」
「えーと、あれだ、ほら、記録ディスク。ぼうずが生まれたときの」
「…そこの黄色い箱のなかだと思うけど」
「あー! そうだった」
なんだって急にそんなものを取り出そうとしているのかわからないマリューは、はい、と箱を渡されて、慌てて手を差し出した。
小鳥のイラストが印刷された紙箱には、元は出産祝いで貰ったベビー服が入っていた。
「どうしたの、急に」
「いや、ちょっと。見せてやろうと思ってさ」
「?」
首を傾けるマリューをよそに、フラガは踏み台から下りて、階段から二階に向かって呼びかけた。
「おーい。いいモン見せてやるから、降りて来いー!」
すぐさまばたんと、子ども部屋の扉が開く音がした。
「なんだよー!」
「いいから来いってー来ないと昼メシ抜きだぞー!」
なんだよ、それー! と怒りながら、子どもはばたばたと階段を降りて来た。

近頃めっきりきかん気になって、マリューを困らせているひとり息子は七歳。
それでもまだ勝てないと思っているらしい父親の言うことは、比較的よく聞く。
「おー、来たな。んじゃ、全員リビングに集合」
フラガはマリューの腰をぐっと抱く。
「ちょ、ちょっと、ムウ。私、お昼の用意が」
「そんなんあとでいいって」
微妙に離れようとする息子の頭もぐっと押さえ、リビングに誘導する。
「オレ、忙しいんだぞー」
最早マリューがいくら注意しても直らない言葉遣いも、幾分舌足らずなので若干の可愛げは残っている。
「うるさいんだよ、おまえは。ほら、その箱開けて」
ぶつくさ言いながらも、初めて見る箱に興味を引かれたのか、子どもは蓋を開けた。

「…なに、これ」
箱の中身に、子どもは目を丸くする。
思わず言葉遣いを悪くするのも忘れるくらい。
「これはだなあ。おまえが生まれたときの祝福の印」
「シュクフク?」
パステルカラーの何枚ものカードは、子どもが生まれたときに友人たちが贈ってくれたもので、ほかにマリューが編んだ小さな靴下などが入っている。
やんちゃ坊主の世話に追われ、思い出に浸る余裕などなかったフラガもマリューも、久し振りに見る品だ。
なつかしいわねえ、と言いながら、マリューはカードをいくつか広げた。

メッセージはごく短い。
子どもでも読める内容ばかりだ。

「おめでとうございます、って書いてある」
「そうそう。あんときゃ、みんな来て祝ってくれたわけよ」
「あんときって?」
ディスクをセットしていたフラガは、ソファまで戻ってきて子どもの肩を抱いた。
「こんときだよ」
ほら、と指し示されたディスプレイはまだ黒く、声だけが先に聞こえる。

…俺は撮らなくていいったら。お嬢ちゃん。
ダメですよ、ムウさん。テーマはパパとママと赤ちゃんなんですから。

花柄の壁紙がぼけて映り、ゆっくり移動しながらピントを合わせて、窓辺に座る女性が映った。

「…お母さん?」
子どもがソファから降りて、ディスプレイの前に駆け寄った。

マリューさーん。こっち向いてくださーい。

撮影をしている若い女性の声に応えて、窓辺の人物が顔を上げる。

「やっぱりお母さんだ!」
興奮して叫ぶ子どもに、マリューはちょっと困ったように笑った。

この記録は、子どもが生まれて一番にお祝いに来てくれたミリアリアとディアッカが、半ば強引に撮ったものだ。
あまりに幸せだったので、この上記録になど残したら、胸が破裂してしまいそうだったフラガとマリューに対して、動画や写真はたくさんあればあるだけいい、とミリアリアが強固に主張したのだ。

カメラがぐっとマリューに近寄る。

さあ、赤ちゃん。笑ってー

この頃は、まだ名前がついていなかった。
決めていたのだが、ミリアリアの許可を貰ったのは、この記録を撮ったあとだ。

まだ無理よ。ミリィ。
あ、ほら、でもふにゃって笑ってるみたい。
こうして見るとやっぱりムウさん似ですね。
そっかー? マリューさん似だろ。

ミリアリアのうしろにいるディアッカの声だ。
家族の記録に入らないよう、さり気なく気を配ってくれている。

ほらほら、ムウさん。マリューさんと赤ちゃんの傍に立って。
だから俺はいいって。
せっかくだから、撮ってもらいましょうよ、ムウ。
ほら、マリューさんもああ言ってますよ。

ディアッカの手に背を押され、フラガはマリューのうしろに立った。
渋った顔をしていたが、赤ん坊が見える位置に来ると、ふっと目元が緩む。

おっさん、メロメロだねー
うるさい。おまえのときにも冷やかしてやるから、覚えてろよ。
えっ、ミリィもそうなの?
違いますよ! そんなのまだまだです!

笑い声が続き、そこで映像は終わった。
と、同時に子どもがフラガとマリューの元に走ってくる。
「今の、なに!」
「なにって、あなたが生まれて、そうねえ、三日目くらいの映像よ」
「すげー!」
叫ぶなり、子どもはマリューの膝の上にダイビングしてきた。
マリューが衝撃を受ける前に、フラガが子どもの下半身を軽く支えるが、そんなことに気づかないほどマリューは驚いた。
子どもがマリューにきつく抱きついたからだ。

男の子は比較的大きくなっても母親に甘えてくる、と聞いていたが、この頃のこの子は本当に手がおえなくて、特にマリューに反抗して、何気なく話しかけただけでも不機嫌になった。
育て方が悪いのだろうか、それとも自分が至らないのだろうか、と悩んでいたところだ。
それなのに、ついさっきまでそんなふうだったのに、今は幼児に戻ったかのように頭を押し付けてくる。
困ってフラガを見ると、にやにや笑いながら、抱きしめかえしてやれ、という感じで腕を動かした。
そのとおりにしてやると、おかあさーん、とさらに抱きついてきた。

そのあとは遅くなった昼食を食べて、それからすっかり甘えん坊になって、幼児どころか赤ん坊に戻ったかのような子どもと三人でごろごろして過ごした。

夜、ソファで寝てしまった子どもをフラガが子ども部屋に運び、再びリビングに戻ってくると、マリューがコーヒーを入れて待っていた。
ディスプレイにはあのあと何回も繰り返し見た映像が、また流れている。

「それで、どうして急にこんなもの出してきたの?
あの子の反抗期は、どうして急に終わっちゃったの?」
前のソファに座らせて、マリューはフラガを問い質す。
はぐらかすことは許しません、というマリューの態度に、フラガは苦笑する。
「いや、あいつ、ちょっとヘンなこと考えたからさ」
「ヘンなこと?」
「んー、自分はどっかから貰われてきた子で、ここのほんとの子じゃないとか」
聞き捨てならない言葉に、マリューの体が跳ね上がるのを、まあまあ、とフラガは宥めた。
「うちってちょっと秘密があるからさ。
ほら、きみや俺の前歴とか。
ニュースに出てくる面々に友人が多いとか。
そういうのは周囲に隠してるじゃない。
その空気が子どもに妙なふうに伝わったんじゃないの?」
マリューは些かショックを受けている。
「だからって、そんな、うちの子じゃないなんて…」
確かにマリューは少し厳しめの母親だ。
やや遅く出来た子なので、意識していないと際限なく甘やかしてしまいそうで、どうしてもそうなってしまう。
その分フラガが甘めに接してくれているから、バランスは取れているのだが。
「まあ、誤解は解けたし。あいつもこれで少しは素直になるだろ」
とゆうか、態度豹変しすぎ?
と、フラガが笑ったので、仕方なくマリューも笑った。

「…子どもって、なに考えるかわからないわね」
「だから面白いんじゃないの」
「…そうね」
席を移動したマリューは、フラガの肩に頭をもたせかけた。

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Posted by ありす南水