星空
目覚めたらひとりだった。
時計を見ると午前二時。
一度隣に入ってきたのは覚えているので、また出て行ったのだろう。
待っていようかと思ったが、心細くなってきて、ガウンを羽織ってベッドを出た。
何年住んでも他人の家のようにただ広いだけの屋敷の中で、ムウと私が使うのはほんの限られた空間だ。
思ったとおり、彼は中庭にいた。
石段に座り、星空を見上げている。
「冷えるよ」
隣に座ると、彼は前を向いたまま言った。
私は彼の肩に頭をもたせかける。
「なに見てるの?」
「空、かな」
肩に腕をまわしてくれたので、少し安心する。
そのまま私も空を見上げる。
少し前のことだ。辺境のプラントでラウ・ル・クルーゼの具体的な目撃情報があり、ムウはそれを確認しに行った。
あちこち捜したようだが、結局見つからず、存在した証拠もなかった。
どうやらこれまでと同じ噂に過ぎなかったらしい。
戻ってきたムウはとても疲れていた。
クルーゼに生きていてほしいのか、それとも死んでいてほしいのか、彼にもわからないみたいだ。
かなりたってからムウは口を開いた。
「きみは損したよな」
「どうして?」
「俺なんかと関わったからさ」
なんとなく言いたいことはわかるけれど、結構的が外れている。
この人ってずっとそうだ。
気を使いすぎて、肝心なところが抜け落ちる。「あなたは私を迎えに来てくれたじゃない」
もう昔のことだが思い出したのか、彼は少し肩の力を抜いて笑った。
「あれはびっくりしたよなあ。
マリューってば紛争地域の真っ只中にいるんだもんなあ」
「普通追いかけて来ないわよ」
「そっちこそ、普通いないよ、あんなところに。
さすがマリュー、と思ったよ」
私の戦争はあのとき終わった。
失われた者について忘れることはないが、流れ続けていた血は止まり、生きるために命を削らなくてもよくなった。
でも彼の戦争はまだ続いている。
羨む人もいるけれど、彼にとっては檻でしかないこんな屋敷に閉じ込められて、それでも財団を運営しているのは、開戦の一端に自分の存在が関わっていたという思いがあるからだ。
彼は家庭を持つことや、自分が幸せになることに微かな恐怖のようなものを感じているし、そういう気持ちでいることに、私に対して後ろめたさも感じている。
「ディアッカくんに会ったんですって?」
「ああ、うん。なんか言ってきた?」
「ちょっと考えさせてほしいって。ミリィとも話し合うからって。
…本気なの? ディアッカくんに財団を譲るって」
「冗談ではないつもりだけど。こないだ話しただろ?」
確かに聞いたが、あまり本気にしていなかった。
「まあ今すぐってわけじゃないよ。
それともマリューはずっと今の仕事を続けたい?」
「それは私もこのあいだ言ったでしょ。
財団はどんどん大きくなって、最初したかったのと違うことをしている気がするから、引き継いでくれる人がいるならお任せしたいけど…
ディアッカくんに押し付けるみたいになるのは悪いわ」
「無理にはさせないって」
「ほんとに駄目よ?」
「わかってますって」
でもディアッカくんがもし引き継いでくれたとして、そのあと私たちはどうするんだろう。
別にいいけど。
ムウの行くところには、私はついて行くから。
たとえ来るなと言われても。
「あいつやっぱり生きてないのかなあ」
ムウは私を引き寄せた。
「どうかしらね」
「生きてたら、また悪巧みしてそうだから、生きてないほうが世のためなんだろうな」
私は腕を伸ばして、彼の髪を撫でる。
彼の頭の位置が段々下がってきて、胸にもたれかかってきた。
「マリュー」
「はい」
「結婚しないとか子どもはいらないとか、全部俺の都合なんだけど」
突然の話題転換。
しかもふたりのあいだでは、ちょっとタブーみたいな事柄。
「はい」
彼のくせのある髪を指に巻きつける。
なにを言い出すんだろかと、少しどきどきした。
「俺の都合で、それ、やめていい?」
「え?」
まさか、別れようなんて言わないわよね?
などと考えていた私は、思わず手を止める。
「マリューと俺と子どもの三人で、家族をやろうよ」
淡い外灯の光に照らされる青い瞳が、私を見つめていた。
いやだわ。こんなに鼓動が速くなったら、彼の耳に聞こえてしまう。
「どうしたの、急に」
「ずっと考えてたんだけどね。
口にする勇気がなかなか」
「いきなり言われても」
出来ないかもしれないし。
わからないけど。
昔一回流産したことを、突然思い出した。
そのときの医者は、若いからまたできますよ、と言ってたような気がするけど、二度と誰も好きにならないと思っていた私は、適当にしか話を聞いていなかった。
それにもう若いとは言えないし。
そういえば私、ムウに流産したことを話したことがあったかしら?
言ってないわよね。
だって私、いまだに「彼」の詳しいことを話したことがないんですもの。
短いあいだにいろいろ考えていると、彼に伝わってしまった。
「なんかいっぱい考えてる?」
「…ええ。まあ」
「怒った?」
「…どうして怒るの」
「いや、勝手だからさ」
いまさら。
「あ、今、今更って思っただろ」
勘の良すぎる恋人っていうのもなんだかね。
「…思ってません」
ムウは体を起こして、正面から私を見据えた。
「もし子どもがなくてもさ、俺はマリューと結婚したい。してくれる?」
なんと答えていいものか、思い浮かばない。
ムウはじっと待っていたけれど、あ、と小さく呟いた。
「泣くなよ」
その言葉に反応して、指を頬にもっていくと濡れていた。
「泣くほど嫌?」
なに言ってるんだろう、この人。
でもここでちゃんと否定しておかないと、本気でそう思い込みかねないので、首を横に振る。
「んじゃ、泣くほど嬉しいわけ?」
一気に調子に乗る。
でもムウこそすごく嬉しそうな顔をしているから、許してあげる。
「そういうことにしてあげるわ」
私は掌で子どもみたいに涙を拭った。