沈黙
心残りはなにもない。
あえて探すなら彼女のことくらいか。
マリューは泣くだろうか。
俺は彼女が思い切り笑った顔を見たことがない。
笑うことに途惑うような笑顔しか思い出せない。
わざわざ襟のフックを外して、見えるようにペンダントを引っ張り上げて、俺にもペンダントのなかのヤツにも罪悪感を持ちながら、それでも押さえ切れない不安を俺にぶつけに来たマリュー。
俺の最後の恋人。
あのとき、モニターで彼女の姿を見つけたときの胸の高鳴りを、今この瞬間にも思い出せる。
必ず帰ると、俺は言った。
きみに会えてよかった、とか。
きみのために戦うよ、とか。
なにかもっと、彼女の心に一生の慰めとなるような言葉を言うべきだったのに。
鳴り響く警告音。
一気に上昇するコクピット内の温度。
凄まじい衝撃。
姿勢を保つのが精一杯で、ほかはなにも手を触れていないから、なにがどう作動したのかわからない。
さっきまでの熱さは感じなくなったが、今度は骨が砕けそうなG。
それからなにかにぶつかり、今度こそ間違いなく骨が砕けた。
すべての計器がイカれて、状況など確認できない。
吹き飛ばされるかと思ったが、どうやら爆発はないらしい。
警告音さえ途絶えて、時折電気系統がショートして火花を上げる以外は、静かなものだ。
やがて空気が尽きて終わりになるか、その前に体力が尽きるか。
どちらにしても
「安らかに死ねる」
そう思ったとき、体の芯になにかが走った。
クルーゼ━
近くにいるのではない。
あいつになにかあったと、それだけ感じた。
と同時に、手放しかけていた感覚が一気に戻ってきた。
すべてが痛い。
「あ、俺、まだ生きてるわけね」
喋ったつもりで口を動かしたら、血を吐いた。
さっきまでの穏やかさなど、気持ちにも体にも残っていない。
必死に腕を伸ばし、救難信号の発信ボタンを押すが、正常に機能しているのか、確認するだけの力がない。
血が目に入って、視界が狭まる。
耐え切れない、それでも耐えるしかない痛みが、途切れることなく続く。
いっそ即死していたほうが楽なくらいだ。
ここはどこだ。
俺はどのくらい飛ばされたのか。
戦闘で放棄された戦艦にぶつかったのなら、誘爆に巻き込まれているはずだから、なにかの施設なのか。
突然湧き上がる心からの叫び。
嫌だ。 死にたくない。
一度そう思うと、堰を切ったように、幾重にもガードしていたはずの本音が流れ出す。
俺はまだなにもしていない。これからなんだ。やっと欲しかったものを見つけた。あと少しで手に入る。誰か、シグナルを受け取ってくれ。俺がここにいることに気づいてくれ。
俺は、まだ死にたくないんだ━