Others 2
どん、というここではよく聞く爆発音がした。
一見すると玩具のような形に作られた地雷は、子どもが興味を持ちやすく、死に至りはせずに体の一部を損なわせる。
医師を乗せたバギーが出て行くのと入れ替わりに、避難民を乗せた小型トラックが入ってきた。
手伝いに行こうとして、マリューが手入れしていた銃を地面に置くと、幼さの残る手が伸びた。
「駄目よ、触っちゃ」
ぴしゃりと言うと、少年はばつが悪そうに自分の手をもう一方の手で握った。
肉親を失った子どもは保護施設に預ける決まりだが、ここは奥地なので適当な施設と機会がない。
最初に会ったのがマリューだからか、傍にいたがるので一緒にいる。
「なんでだよう、マリュー。教えてくれたら、俺だって撃てるぞ」
再度睨みつけると、ぶつぶつ言いながらも引き下がった。
いかなる理由があろうとも、子どもに銃を持たせるべきではない。
一度間違えたマリューは、そう確信していた。
「ほら、新しく来た人たちのお世話をして」
立ち上がって背中を押すと、渋々ついてきた。
ゲリラの焼き討ちにあったという集落の生き残りは、十名足らず。
みな疲れきっていて、表情が乏しい。
少年に水を汲みに行かせ、マリューはトラックの荷台から彼等が降りるのを手伝った。
最初は気づかなかったのだが、一番奥に幼い少女が乗っていた。
誰もその子に構わないので、怪訝に思って抱き上げて降ろしてやると、仲間が近寄ってきた。
「別の集落から母親と一緒に逃げてきたらしいんですが、母親が今度のことで死んでしまったみたいなんです。
だから名前さえわからなくって」
体は小さいが、それは栄養が足りていないからで、六つか七つくらいだろうか。
両手をだらんと下げ、目に映るものを見ている。
「本人は言わないの」
「口きかないんですよ。ショックで記憶が飛んだんじゃないかと思うんですが。
あー、そっち駄目! 説明するからちょっと待って!」
勝手に歩き回る人を、仲間は余裕のない様子で止めた。
補給路が絶たれ、危険も増し、最早この活動を続けることは限界に近い。
避難民の受け入れも、これが最後になるだろう。
マリューは地面に膝をついて、少女の顔を覗き込んだ。
この状況でこの年で、保護者がいなくて、生き残れるかどうかは微妙なところだ。
「名前、覚えていないの?」
少女は答えないが、澄んだ黒い瞳をしていた。
輝きを失っていないということは、生命力が強いということだ。
「名前がないと困るわね。私がつけてもいい?」
やはりなにも言わないが、聞いているのはわかった。
マリューは少し考えて、考える前から浮かんでいたその名を口にした。
「ナタル」
少女が大きく瞬きした。
「あなたはナタルよ」
繰り返してからマリューは微笑み、ゆっくりと少女の口が開くのを見ていた。
言葉が出てくるまでやや間があり、やがて掠れた声ではっきりと言った。
「な、た、る」
「そうよ。それが今日からあなたの名前」
マリューは少女の腕に手をかけた。
「さあ、他の人達と一緒にいて。
もうしばらくしたら、落ち着けるところに移動するから。
それまでしっかり、みんなについて行くのよ」
少女は頷いた。
「いい子ね」
マリューは少女の痩せた体を抱きしめた。
先に受け入れている避難民に、面倒見のいい女性がいる。
とりあえず彼女にこの子を預けようと思った。
あとは飢えにも負けず、流れ弾にも当たらず、病気にもならなければ生き残れる。
マリューは少女の手を取り、収容施設となっている建物に足を向けた。
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危険レベル5
活動員の安全確保不能
すべての隊は活動を中止し、安全と思われる地点まで撤退せよ
ついに出た撤退指示を映すモニターの電源を切り、マリューは仲間に数時間後に、この施設を放棄する旨を告げた。
年上の活動員もいるが、軍隊にいて最前線で指揮を執った経験には及ばず、いつの間にかマリューはリーダーになっていた。
今の仲間が、軍隊時代の彼女が、決断が遅くて頼りないと度々非難されていたことを知れば、どんな顔をするだろうと、マリューは度々思った。
「水と食糧の積み込みを、一時間以内にすませて。
怪我人と病人以外には歩いてもらうしかないわ。準備出来たらすぐに出発します」
三十人程度の難民を、統制しやすいようにグループに分けた矢先だった。
各班から班長を選び、班長は活動員から指示を受ける。
「列の前とうしろは車で厳重に警護して。
脱落者が出ないよう、最大限に注意してちょうだい」
予期されていたので、慌しいが手際よく撤退準備がされていくなか、無線を担当していた仲間が、ここより奥地の施設にまだ人が残っている、と報告に来た。
さらに奥地に取り残されていた難民数名と、行方不明扱いされていた活動員ひとりが、なんとか移動してきたらしい。
「救援を求めてるが、どうする?」
マリューは地図で位置を確認した。
ほうっておくわけにはいかない。
「私が行くわ」
「ゲリラが迫ってきてるんだぞ」
「ほうっておけないでしょう。
あなたたちは先に行ってちょうだい」
志願者を募るとふたりが手を挙げてくれたので、共に別行動を取ることになった。
腰に銃とナイフ、肩からマシンガンを下げ、弾薬も充分身につけてから、マリューは食糧の入ったリュックを背負った。
余分な車もないし、どこまで車で進めるかもわからない道なので、歩いて進むことになる。
「マリュー!」
外に出ると、難民の列から、マリューに懐いていた少年が飛び出した。
「どこ行くんだ! 俺も行く!」
「あとから合流するから、あなたは先に行きなさい」
「マリューと一緒にいる!」
「駄目」
少年は食い下がったが、ほかの仲間に列に押し戻された。
あんなに慕われると情も移るが、連れて行くわけにはいかない。
すがるような目をしているので、小さく手を振ってやる。
少年だけでなく、急に移動を言い渡された難民は、みな不安そうだ。
マリューが名前を与えた少女の横顔が、目の端に移った。
世話を頼んだ女性は、よく面倒を見てくれているようで、しっかりと手をつないでいる。
この子たちが生き延びますように。
掌で武器の感触を確かめながら、マリューは願った。
有刺鉄線で守られた施設を一歩出ると、そこは無法地帯だ。
道とは言えない道を進み、強行軍で目的地に辿り着いたマリューたちが見たのは、救助するつもりだった難民と仲間の死体だった。
遅かった、と思うと同時に、彼らが撃たれて死んでいることから、状況としては最悪であることを悟る。
金目のものなど持っていなかったはずだが、命綱となる無線機は手放さなかった。
それを狙われて虐殺されたのだろうか。
「もうすぐ日が暮れる。どうする」
マシンガンを構えたまま、仲間がマリューに判断を求めた。
暗くなってから歩くのは危険だが、ここはもっと危険だ。
「戻りましょう」
戻ったとしても、もうあの施設も破棄されているが、ここよりはましだ。
死体を埋めてやる余裕もなく、マリューたちは引き返すことにした。
前を歩いていた仲間が銃声と同時に倒れたのは、建物を出てすぐだった。
「隠れて!」
倒れた仲間が頭から血を噴き出したのを見ながら、マリューは崩れかけた壁の内側に、もうひとりを突き飛ばすようにして、一緒に転がり込んだ。
続けざまに撃ち込まれるマシンガンの弾の方向から相手の位置を推測して、ちらりと見える姿から、ゲリラに間違いないことを確認する。
「裏口から出るわよ!」
向こうが何人いるのかわからないが、見通しのよさすぎるこの場を離れることが先決だ。
援護を受けながら、弾が途切れる一瞬を待つ。
「走って!」
叫ぶと同時に、マリューはマシンガンを構え、指示通り走り出した仲間の後方を守るために乱射する。
施設の裏側を守っていた有刺鉄線が破れていて助かった。
壁を飛び越えるとき、弾が頭のすぐ近くを掠めたのが、髪に触れる感触でわかった。
「俺たちを襲って、どうしようってんだ、あいつら!」
密林のなかを走りながら、仲間が叫んだ。
その頬に血がついていて、マリューは彼が撃たれたのかと思ったが、すぐに先に倒れた仲間の血が飛んだのだと気づく。
争いの発端がなにであったのか、当事者たちにも最早わからなくなってしまったくらい、複雑に利権が絡んだ地域だ。
人道的支援などというお題目を掲げて介入してくる団体は、彼らにとっては新たな敵にすぎない。
マリューはパニックを起こしかけている仲間を先に走らせ、追ってくるゲリラを撃った。
ひとりが倒れ、残りが怯んだ隙に、背中を向けてマリューも走る。
足に絡まる草や蔓が、同時に弾除けにもなり、足をもつれさせて倒れた仲間を助け起こし、さらに走る。
息が上がって眩暈がしそうだったが、気を抜いた瞬間が死ぬときだ。
時々立ち止まって反撃し、なんとか逃げおおせたときには、周囲は薄暗くなっていた。
「どうするんだっ! どうするんだようっ!」
地面に転がって荒れた息を静めようとするマリューの横で、仲間が叫んだ。
食糧と通信用の小型無線が入ったリュックを、途中で失った。
命綱を断たれたのと、ほとんど変わらない状況だ。
「静かに。騒ぐと体力を消耗するわ」
喉が渇いて、マリューの声は掠れていた。
水場を見つけることができれば、数日は食糧なしでも生き延びられるし、川沿いに歩けば地図なしでも麓に辿り着ける。
マリューがふらつく足で立ち上がると、仲間は顔を引きつらせた。
「すぐに真っ暗になるんだぞ!」
「動けなくなるほど暗くなったら、そこで野宿しましょう。
同じことよ。ここで寝るのも」
静かに諭すと、仲間は交錯する感情を抑えようとして、必死に周囲を見渡した。
彼の気持ちが静まるのを待つあいだ、マリューは膝を立てて木の根元に座り、枝の隙間から覗く白い月を見上げた。
こういうことは、マリューがこの仕事に就いてから、何度もあった。
予期せぬ窮地に陥り、仲間は困惑し、それに対してマリューは冷静だ。
仲間はそれぞれ覚悟も経験も充分で、一般人からすればずっと肝が据わっているはずなのだが、どうやらマリューの動じなさはその数段上を行くらしい。
無茶です、艦長!
やるしかないの!
かつてアークエンジェルで、何度も繰り返された遣り取りだ。
当時はそうしなければ生き延びられないので、クルーが応じてくれるのは当然だと思っていたが、今頃になってマリューは、彼らが本当に優秀で、且つ図太かったのだと気づいた。
ヘリオポリス脱出以来、絶望の只中にいたのと同じだったあの艦には、なぜだかいつも楽天的な空気が流れていた。
マリューもナタルも、そしてフラガでさえ、余裕は皆無で、死は前提条件、何度ももう駄目だと思った。
にも拘らず、最後の覚悟を決めた瞬間でさえ、希望は消えることはなかった。
懐かしい。
と思い出すのは、変なのだ。
あの渦中にはマリュー自身も、一日でも早くこの時間が終わるよう願っていた。
自嘲で口元が歪むのを仲間に見られないよう、マリューは俯いた。
精一杯出来る限りのことをしたつもりだったが、結果は無残だった。
後悔はしない。
だが罪は罪だ。
またゲリラに遭遇しないとも限らないので、川が見つからなかったとしても、出来るだけ安全な寝場所を確保したい。
ようやく落ち着いた仲間を連れて、マリューは移動を始めた。
月明かりとペンライトでまだなんとか歩けた。
「すみません、マリューさん。さっきは取り乱しました」
決まり悪そうに謝罪する仲間に、マリューは微笑みかけた。
「いいのよ。非常事態ですもの」
弾のなくなったマシンガンは肩に斜めがけし、拳銃を片手に握っている。
仲間も一応同じようにしているが、疲れ果てて隙だらけだ。
ほどなく小さな沢が見つかった。
仲間は歓喜の声を上げ、マリューは仲間にわからないようそっと息を吐いた。
喉を潤し、空腹も水で凌ぎ、それから落ちずに眠れそうな枝振りの木を探す。
「ここで夜を明かすんですか」
「落ち葉を敷き詰めたら、ちょっとはましな寝床になるわよ」
不服、というより心細いのだろう仲間は、しかし体力が尽きたこともあり、それ以上なにも言わなかった。
マリューも疲れ果て、体をやや不自然な姿勢に倒したまま目を瞑ると、そのまま意識を手放した。
浅い眠りから覚めたのは、異様な気配を感じたからだ。
目を開けると同時に、見知らぬ男の顔が飛び込んできた。それから酷い臭気。
「なにっ?」
あまりの距離の近さに悲鳴を上げそうになり、抱くようにしていたマシンガンと拳銃を、弾みで落としてしまう。
なんとかベルトに固定してあったナイフを掴み、刃を男に向けた。
「……っ!」
男は獣のような声を上げ、木から転げ落ちたが、マリューもまたバランスを崩して落ちた。
ナイフを握ったままだったため、正しく受身を取れなかったマリューは、打ち付けた肩の痛みに顔をしかめながら、飛びかってくる男をかわした。
昨日のゲリラではなかった。
もっとぼろを着て、髪を振り乱し、涎を垂らしながらわけのわかないことを叫んでいる。
集落を失った難民が、正気を失ったのかもしれない。
だが状況判断もそこまでが限界だった。
立ち上がろうとしていた足を掴まれ、背中を地面に押し付けられた。
尋常ではない力に組み伏せられ、さらにその手が胸元や足の間に触れてきたので、血の気が引いた。
同時にもうひとつの事実に気づく。
これだけ騒いでいるのに、仲間が反応していない。
首を振って目を凝らしたマリューは、力なく投げ出されている足と、その傍に転がる血の着いた木切れを見つけた。
名前を呼ぶが反応はない。
助けのないことを悟ったマリューは、ナイフを持った腕を振り回すが、男はナイフの刃で顔や手を傷つけられているにも関わらず、怯む様子がなかった。
落とした拳銃はどこにあるのか。
探そうともう一度首をめぐらそうとしたとき、男の手がナイフの刃を握った。
「あっ!」
噴き出す血がマリューの顔にかかる。
これを離せばおしまいだ…!
懸命に柄を握り締めるマリューの手から、遂にナイフが奪い取られる。
どの指かが一本飛び、残りの指も取れかかっているのに、男の行動にはなんの影響も及ぼさなかった。
血塗れの手が、マリューのシャツの胸元を引きちぎった。
「やめなさいっ…!」
陵辱を受けるのだけは嫌だ。
そういう死体をいくつも見てきて、だからマリューは心底そう思う。
そのくらいならここで舌を噛む…!
決心した直後、なにかが左手に触れた。
馴染んだ冷たい感触に、マリューはそれを握り締めた。
近すぎて危険な距離だが、最早マリューの目的は陵辱を防ぐことだけだ。
自分に当たっても構いはしない。
マリューがトリガーを引くと、火を吹く拳銃に弾かれて、男の体が跳ねた。
二度、三度と続けてマリューは撃ち続ける。
よろめきながら身を起こした男は、全身真っ赤にして後ろに下がり、マリューも起き上がり、拳銃を構え直した。
男が先程までマリューのものだったナイフを拾うのを見ながら、頭を狙って撃った。
だが弾は出ない。
弾切れ…!
愕然としたとき、男がぶつかってきた。
突き飛ばされる衝撃。
それだけではない衝撃。
男が離れ、両手に握られている手のナイフから血が滴った。
私の血だ、とマリューは思った。
刺された。
腹の辺りが熱い。
致命傷ではないが、こんなところで孤立した状態で負傷した。
片手で傷を押さえ、指のあいだに血の温もりを感じながら、マリューは地面に膝をついた。
今からでも舌を噛めるだろうか…?
死に向かいながら犯されることに絶望を感じながら倒れたが、無抵抗になったにも関わらず、あれほど動物的に動いていた男が、襲いかかってこない。
苦痛に耐えながら頭を動かしてみると、男は目を開けたまま倒れていた。
マリューは四つん這いになって、男に近づく。
やつれている上に、狂気が顔を歪めていて、年も元の人相もわからなくしている。
紛争がなければ良い人物だったのかもしれないが、そこまで思いやる必要は、マリューにはなかった。
血の跡を残しながら、さらに必死に移動したのは、仲間の具合を確認するためで、だが後頭部を殴られた仲間は、既に事切れていた。
この場で生きている人間はマリューだけとなり、辺りは急に静かになった。
鳥の鳴き声と水音が聞こえる。
マリューは突っ伏してしまいそうになったが、どうやら致命傷ではないようで、すぐには死にそうにないので、最後の場所を選ぼうと思い直した。
沢まで這っていったのは、流れる水が清らかな気がしたからだ。
せめて安らかに死にたいと思った。
水に片手が浸ったところで、マリューは進むのを止めて仰向けになった。
痛い。
すべての苦しみから解放してくれる死は、救いに思えることさえあったのに、今こうして実際に瀕してみると、ただ痛いだけだ。
いつの間にか夜が明けていて、見上げる空は青かった。
眩しい、とマリューは思った。