Others 5



ドミニオンからローエングリンが発射されたとき、フラガは闇雲に動いたわけではなかった。
射出エネルギー量と目標地点、一時的にでもシールドで抑えられる距離と角度を計算して、ストライクを動かした。
尤も、自分が助かるとは思わなかった。
ただ彼女が乗る艦を、目の前でむざむざ沈めさせたくなかっただけだ。
自分がいなくなることで、彼女がその後どうなろうと、正直言って、そのときはどうでもよかった。

目を開けると、野戦病院の簡易ベッドの上にいた。
体のあちこちに火傷を負い、骨折数箇所の重傷だったが、脳と神経と内臓に損傷はなかった。
整備班がストライクのコクピットの安全性を、極限まで上げていたから助かったのだと、気づいたのは最近だ。
クルーゼと対峙するため、機動性を高めたかったので、フラガは安全装置や脱出装置に使う容量を極力削るようOSを書き換えていた。
「それでは万一のとき、機体が動かなくなっちまいますぜ」
マードックは一度だけそう言ったが、構わない、とフラガが答えると、以後は何も言わなかった。
逆らわなかったはずだ。
フラガ自身が調整するOSには触れていないが、一定レベル以上の衝撃が加われば、コックピットそのものが脱出装置となるように、勝手に機体をいじっていたのだから。
野戦病院で目覚めたフラガは、後遺症になるような怪我を負ってはいなかったが、何週間も瀕死の状態が続き、目覚めてからも意識が朦朧としていた。
看護士が適当につけた名前で呼ばれ、それが今回、フラガがバルトフェルドに連絡をつけるまでの呼び名となった。
ザフトが運営する野戦病院は、最初は人道的見地から、停戦後は、たとえ自軍の兵士でなくても、傷病兵には必ず治療を施さなくてはならない、と定められた条約の項目のために、地球軍の兵士も混在して収容されていたが、やがてフラガはそこを脱け出した。地球軍が兵士の引き取りのために調査に来たからだ。
本能が、危険だと教えてくれた。
あのとき地球軍に身柄を移されていたら、その後はどうなっていたかわからない。
闇から闇へ、というのがおそらく順当だろう。
そのあとは、運と勘だけで生き延びた。
癒えていなかった傷のせいで倒れていたところを、町のごろつきたちに助けられた。
彼らには随分見込まれたが、おそらくその頃はまだ、地球軍かブルーコスモスの残党が、ムウ・ラ・フラガを捜していたのだと思われる。
誰かに追われているような感じがして落ち着かず、ほどなく彼らの元を離れた。
なにか違和感があってどこにも定住する気にはなれなかったが、どこに行っても仲間は出来たし、女にも好かれた。
思い出したのは、数ヶ月前。
本当に突然で、なにがきっかけだったのかもわからない。
放浪を続けるのにうんざりして、自分を好きだという気の強い少女と一緒になるのも悪くないかも、と思い始めた矢先のことだった。
ふいに記憶が戻った。
もしそのとき既に、件の少女とどうにかなっていたら、そのまま思い出していない振りをして暮らしたと思う。
少女が大切、というほど誠実なのではなく、戻ってもマリューに拒絶されるのではないかという不安が、それほど大きかったということだ。
思い出した途端、会いたくてたまらなくなったが、拒絶されたら生きていけないと思った。
そのくらいなら、離れていたほうがましだ。
だからしばらくは迷っていた。
戻るかどうか。
腹を括るまでに半年ばかりかかった。
結局はフラガにはわかっていてマリューを裏切るような真似は出来ず、少女に軍の機密に関する部分は避けて、本当のことを話した。
至極単純な事実だ。
自分には好きな女がいて、待っているかもしれないから、戻らなくてはいけないということ。
すんなりわかってもらえたわけではない。
たぶん今でも自分を恨んでいるだろう、とフラガは思う。
だがともかく少女とは別れた。

そのあとがさらに大変だった。
どれほど情報を求めても、アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスについては、戦後地球軍に拘束されたのち、オーブに身柄を移されたということ以外、一切知ることが出来なかった。
三隻同盟は有名だ。
その艦長を務めていた女の所在は、すぐにわかるだろうと思っていたフラガは困惑した。
オーブとプラントが保護しているのだと察せられたが、カガリやラクスは大物過ぎて、極秘に接触するのは不可能だ。
残るはキサカかバルトフェルドで、フラガが親しんでいたアンダーグラウンドの方面から道をつけられたのが、バルトフェルドだった。
それとてかなり苦労した。

バルトフェルドは指定してきた場末の店で顔を合わせると、薄暗い照明の下、フラガが本物かどうか確認するように全身を眺め回したあと、にやりと笑った。
「なるほど。マリューは正しかったわけだ」
「ああ?」
怪訝な顔をするフラガに、バルトフェルドはマリューの口癖を教えた。
「なにしろことあるごとに、きみが生きているようなことを言うのでね。周囲はかなり気を揉んだのだよ。
普通思わないだろう。あの状況で生きている人間がいるなどと」
「マリューが」
フラガが生きていると信じていた?
思わず胸を熱くしかけたフラガを、バルトフェルドは牽制した。
「喜ぶのは会ってからにしたまえ。
ぼくの見たところでも、マリューの精神状態はかなり際どかったのだからね」
途端に不安がまた戻ってくる。
「どういう意味だ」
「前向きで非常に健気だったが、健やか、というわけではなかったという意味さ。
だから確かめてみなければわからんよ。
どういうつもりで言っていたかはね」
一度喜びかけたあとだけに、嫌な感じが湧き上がる。
バルトフェルドは、すべて見通しているとでもいうように続けた。
「当然ではないか?
恋人の乗ったモビルスーツが目の前で消えて、自分はそのあと元部下の乗った戦艦を撃ち落としたのだからね」
マリューがドミニオンを撃ったことを、フラガはまったく知らなかった。
戦列を離れたあとのことはまったくわからないし、細かな戦闘の様子などは、いまだに一般に公表されてはいない。
バルトフェルドはまったく口をつけないグラスを揺らした。
「そう。彼女は撃ったのだよ。
ムルタ・アズラエルごとアークエンジェル級二番艦ドミニオンをね。
ブラックボックスを回収してある。
きみも馴染みだと思うが、バジルール艦長の最期の様子を知りたいかい?」
ナタルが死んだことも、そのとき知った。
ではマリューは、ナタルを撃ったのだ。あのマリューが。
知りたい、と告げると、バルトフェルドは頷いた。
「あとで直接お聞かせしよう。
彼女はなかなか高潔な人物だったようだな」
ナタルの凛とした眼差しを、フラガは思い出す。
「ああ」
「断っておくが、実にやりきれん内容だよ」
「マリューはそれを聞いたのか」
「無論」
フラガは手を握り締めた。
アークエンジェルにはマリューとフラガ、そしてナタルの三人しか幹部将校がいなかった。
そのうちのふたりが欠ければ、すべてがマリューにのしかかることになるのはわかりきったことだった。
「それでマリューは今どこに」
「地球のとある紛争地域。
難民支援団体のメンバーとして活躍中だ」
「…なに?」
驚きを通り越して呆れた。
「なんでそんなとこに」
「マリューが決めてしまったのでね。
意志は尊重されねばなるまい?」
「…そりゃそうだろうが」
先程からバルトフェルドがマリューと呼ぶのが気になって仕方ないのだが、フラガの不在のあいだ、ふたりは親しくなるのはむしろ当然だろう。
文句を言うような立場にフラガはなかった。
「そこに行きたい。手配を頼めるか」
バルトフェルドはまたフラガを眺めた。
「よかろう。そう言わねばどうしてやろうかと思っていたよ」
フラガは鼻白んだ。
マリューにならばいくらでも責められてやるが、この男になにか言われる筋合いはない。
「出来るだけ、早く。明日にでも」
「まあ待ちたまえ。世界はいろいろ動いている。
情報もなしに動いても、役には立たんよ。
彼女に対する地球軍の監視はもう解かれたようだが、おまえが戻ってきたとなっては、また注目される恐れがある」
「…俺がマリューにとって、新たな厄介ごとの種になるかもってことか」
バルトフェルドは面白そうに顔を歪ませた。
「かもしれん。どうする。やはり会うのを止めるか」
「冗談じゃない」
「なら、結構。うちのダコスタを覚えているか」
「ああ」
「おまえを地球に下ろす手筈を整ったら、ダコスタに迎えに行かせる」
座ったまま、フラガは頭を下げた。
よせよせ、とバルトフェルドは手を振る。
「ボクも奇跡の生還を果たしたと言われる男だが、自分のことなのでイマイチぴんとこなくてね。
なるほど、よくわかったよ。絶対不可能と言われていることを為した人間が目の前にいると、どういう気持ちがするものか」
「…どういう気持ちなんだ?」
「きみはボクが生きていると知ったとき、どう思ったかね」
「バケモンかと思ったよ」
「ボクもだ」
バルトフェルドはグラスをかざした。
「きみも飲みたまえ。乾杯しようじゃないか」
「なににだ」
「どんでん返しを目前にした彼女にだよ」
フラガはグラスを持ち上げた。
「乾杯」


それから数日、人目につかないようバルトフェルドに匿われたが、連絡があるまでの間、何度も逃げ出してしまおうかと考えた。
マリューと恋人として付き合っていたのはほんの数ヶ月間。
同僚として一緒にいた時間さえ、一年に満たない。
離れていた時間のほうが長い。
マリューに拒絶されたら、というのは、記憶が戻ってからずっと恐れていたことだが、具体的に会える算段がつきそうになると、もし本当に自分がマリューに不要だった場合、その後平静を保っていられるか自信がなくなってきた。
ほかの女とマリューのなにが違うのか、フラガにはわからない。
戦時下の特殊な環境で、ひょっとしたら自分はなにか思い違いをしているのでは、と何度も思ったが、それもマリューにもう一度会ってみないことには確認のしようがなかった。
それに思い違いなどということはまずない、と本当はわかっていた。
もしほんの僅かでもそういう可能性があるのなら、こんなに拒絶が怖いはずがないのだから。
覚悟が決まったのは、ナタルの最期の声を聞いてからだ。
地球に発つ直前、バルトフェルドが聞かせてくれた。
まるでそこに遺影でもあるかのように、フラガは無機質なレコーダーに向かって黙祷した。
「副長はマリューが必ず未来を紡いでくれると、信じていたんだろうな」
フラガがそのとき、そう信じたように。
だからこのときのナタルに、後悔も未練もなかっただろう。
フラガがそう言うと、バルトフェルドは頷いた。
「なるほど。そういう人なのか、ナタル・バジルールという人は」
それから言った。
そのこと、マリューに言ってやりたまえ。
彼女はひとりで三人分、命を背負っている」