Others 4
バギーで向かった指定場所で待っていたのは、本当に彼だった。
驚いたことに五体揃っていて、笑ってさえいる。
二日前に、いくつかのルートを経てノイマンに伝えられた「フラガ少佐帰還」の報は、情報元がアンドリュー・バルトフェルドだったために無視するわけにいかなかったが、今の今までガセだと思っていた。
「本当に生きてるんですね」
エンジン音に負けないよう張り上げたノイマンの声は、かなり刺々しかった。
フラガは顔をしかめたが、すぐに元の、かつてと同じ余裕のある表情に戻った。
「ああ。この通り」
両腕を広げて見せる男に、ドアのロックを解除する。
「早く乗ってください。
ぼんやりしていて日が暮れでもしたら、どういう連中と出くわすかわかったものじゃない」
フラガが助手席に乗り込むのを待たず、ノイマンはエンジンをふかした。
「この先に難民避難施設があります。
とりあえずそこに行きますので」
「状況はわかってるのか」
「いいえ。そこで情報収集をします。
ただし、これから行く施設に、マリューさんはまずいませんから。
今晩はそこに泊まることになります」
「了解」
フラガは軽く片手を挙げる。
「おまえも難民支援団体のメンバーなのか?」
「まさか。せっかく命拾いしたのに、あんな危険な仕事を、すすんでしたがるほど馬鹿じゃありませんよ」
いくら金を積まれても、そんなところに行きたがるガイドもいない、と付け加えかけてノイマンは止めた。
舌を噛みそうなほど揺れる車中で、ふたりはしばし沈黙を余儀なくされた。
互いに相手の様子を伺っているので、空気が張り詰いている。
先に口を開いたのはフラガだった。
「おまえ、今、なにしてんの」
「いろいろ、です」
「ふーん」
また会話が途切れるが、今度はノイマンが切り出した。
「少佐。…はもう変ですね。フラガさん、とお呼びしましょうか」
「なんとでも」
「もっと早く戻ってこられなかったんですか」
「ご尤もだが、生憎記憶をなくしてたんでね」
ノイマンは鋭い視線を剥き出しにして、隣の男を見た。
「マリューさんにはもう少しマシな嘘をついたほうがいいですよ」
「嘘じゃねえよ」
ただちょっと迷っちまってさ。と言うフラガに、迷ったのは道なのか心なのか、ノイマンは訊かなかった。
その代わり、「あの人は帰ってくるかもしれない」という彼女の近くにいた者なら、一度は聞いたことのある言葉を、彼女の声で思い出した。
彼女はすべてを引き受けるために、現実の一部から目を逸らした。
そしてノイマンを含めて誰も、彼女が背負おうとしているものを、分かとうとはしなかった。
「見えてきましたよ」
うっそうと茂る植物に紛れてわかり辛いが、前方に難民収容の簡易施設の緑の屋根が覗く。
「身分証は偽名で用意してあります。
身元がわかるような会話は慎んでください。
特にあなたは顔が知れていますから」
「了解」
ゲリラの襲撃に備えて武装した男が、停止するよう合図しているので、ノイマンはゆっくりとブレーキを踏んだ。
最初の施設に、やはりマリュー・ラミアスはおらず、予定通りそこで一泊した。
朝日のなかを再び走り出したバギーの助手席で、フラガは地図を広げた。
先の施設で入手したもので、点在する難民支援団体の施設の場所が手書きで記されている。
「病院や学校まであるのな」
「活動内容の幅広さで、有名な団体なんです。
その分殉職者も出ていますけど」
通り過ぎる集落は、どこも打ち捨てられていた。
元々民族紛争が長く続き、貧困にあえいでいた地域だが、そこにエネルギー問題に起因する食糧不足が起きて、共同体を完全に崩壊させた。
「あてがない以上、近い順にひとつずつまわるしかないですね」
「だな」
戦争は終わったが、志願して軍に入った若者は戻らず、依然混乱から立ち直れていないのは、なにもここだけではない。
痩せこけた老人が木にもたれて死んでいるのを見つけて、フラガは顔をしかめた。
「オーブには寄ってきましたか」
否、とフラガは答える。
「バルトフェルドの計らいで地球に降りた。
そっからここへ直行だから、ほかは見てない」
「一人勝ち状態です。
復興を果たして、繁栄していると言ってもいい。
カガリ・ユラ・アスハが新しい時代のシンボルです」
「結構なことだな」
「まったくです」
目指す施設が見えてきて、フラガは地図を畳んだ。
ここから先は、数日前に完全にゲリラの支配下となったので、最終ラインの避難所だ。
ゆっくりとバギーが敷地に入ると、銃を持った男たちが近づいてきた。
「昨日と同じように、俺が話をしますから、フラガさんは下がっててくださいよ」
「身分証見せて、話を聞くだけだろ」
「そうですけど、引っ込んでてください。
あなたは案外トラブルメーカーですから」
断言されてフラガは肩を竦めたが、ノイマンが事情を説明しているあいだ、おとなしく辺りを見渡していた。
施設の外にまでテントを張っているのに、それでも足りずに地面に座り込んでいる者が結構いる。
収容人数を遥かに超えているのは、確かめるまでもなかった。
上手く話をつけたノイマンに促され、フラガも施設の中に入る。
「マリューさんはここにはいません」
「結論が早いな。
まあ、マリューのことだから、最終ラインの内側にいるわけないとは思ってたが」
「奥地からは撤退命令が出ていますから、状況はどんどん変化しているようです」
通された狭い事務室で、フラガは先程の地図を広げた。
放棄されている施設をペンで消していき、最近大きな襲撃のあった集落にも、印をつける。
正確かどうかはともかく、あちこちの施設から移動してきた難民からの話なので、量は多い。
ここの活動員はマリュー・ラミアスを知っていたが、奥地に入り込み、しかも手の足りない現場をあちこち渡り歩いていたとかで、今より情勢が落ち着いていたときでも、彼女の居場所を把握するのは難しかったらしい。
それでも入れ替わり立ち代わり職員が現れて、マリューについてのありったけの情報を提供してくれるのは、フラガたちがバギーを置いていくと言ったことの効果だろう。
ここに収容者全員を乗せるだけの車がないのは明らかで、バギー一台でもありがたいだろうし、逆にこの先、ゲリラによって車が通れる道は破壊されているので、フラガたちにはもう必要ないものだった。
「一月ほど前ならば、ラミアスさんはここにいましたよ」
最後に現れた女性が、密林の最奥と言っていい場所を示した。
先程フラガが撤退の印をつけた施設だ。
「間違いなく?」
フラガが念を押す。
「いるところを見たわけではありませんが、女性でここまで入り込んでいるのはラミアスさんだけなので、すごいってほかの仲間と話をしたので、覚えています」
フラガとノイマンは目を合わせた。
「ここにいたのなら、撤退ルートは西と東、両方にあるな」
ノイマンはこれ以上は役に立つことは知らないだろうと思われる女性と、フラガのあいだに割って入り、地図に手を伸ばして両方のルートを指で辿った。
「どちらから?」
選んだのと違うほうに彼女がいれば、それだけ再会が遅れる。
フラガはしばし地図を睨み、それから顔を上げた。
「西から行こう」
「理由は?」
「そんなもんあるかよ」
吐き捨てるように言って、フラガが部屋を出たので、ノイマンもあとを追う。
預けていた銃を返してもらい、ジャケットの下に隠れるよう身に着けると、人いきれのする施設も出て、ノイマンは片方の肩にかけていたリュックを背負った。
「進みますか。ここに泊まっても、野宿しても、あんまり変わりなさそうですし」
好奇心なのか警戒なのか、遠巻きに彼らを見ている難民を見返していたフラガは呟く。
「なんでマリューはこんなとこに来たんだろうな」
あなたと、そして俺たちのせいですよ。
喉元まで出かけた言葉を、ノイマンは飲み込んだ。
ムウ・ラ・フラガとナタル・バジルールの戦死。
ふたりの死は、それを目の当たりにしたブリッジクルーの心を抉った。
もし死んだのがどちからひとりだけか、たとえふたりだとしても、別々の場所で死んだのだとしたら、残された者たちはもう少し楽だっただろう。
その思いが身勝手だとわかっていても、ノイマンは何度もそう思った。
「ナタル」
少し離れたところを横切った女が、土嚢を積み上げられている一角に向かって呼びかけた。
その名に、ふたりの足が止まった。
「こっちに来なさい、ナタル。
うろうろしたら駄目だって言ってるでしょ」
視線の先にいるのは、中年の女性に叱られる、黒い髪のまだ幼い少女だ。
ノイマンとフラガは同時に詰めていた息を吐いた。
勿論彼女であるわけがない。彼らの知っているナタルは死んだのだから。
ブラックボックスに残されていたナタルの最後の叫びを、ノイマンは聞いていない。
聞かなくていいと「艦長」が言った。
だから聞かなかった。
引き寄せられるように少女に近づいたフラガとノイマンを、裸足の少女はじっと見ていた。
警戒するように女性が少女の肩を抱く。
「お嬢さんですか」
フラガの問いかけに、女性は首を横に振った。
「世話してるだけです」
「ナタルというのは、この辺りでは珍しい名前ですね」
「私にはわかりません。
ここに来る前の施設で、そこの人がつけた名前ですから」
「活動員が?」
「この子、なんにも覚えてなくて。それでその人が」
女は怖がっているのだが、フラガは笑顔で、逃げ出すことを許さなかった。
「それって、マリュー・ラミアス?」
「…そうですけど」
ノイマンは身動ぎした。具体的に名前が出て、女は一瞬安堵して、それからまた顔を強張らせる。
「ここに来る前の施設ってどこのこと?」
「どこって…よくわからないです」
住んでいた集落を離れてからは、あちこち移動し、マリューと会った施設を離れてからも移動したので、場所はわからないと女は言う。
フラガは笑顔を消し、ノイマンを見た。
「戻ってもう一度話を聞こう。この人たちを連れてきた活動員がいるはずだ」
「点々としたと言っていますから、ひょっとすると活動員だけまた移動したのでは」
「だったらそれを確認する」
フラガが早口で返し、否定的なことを言いながら、ノイマンも心が逸っていた。
早足で歩き出そうとしたふたりの前に、少年が飛び出してきた。
「俺、わかるぞ、マリューがどこに行ったのか!」
顔を真っ赤にして身を乗り出す少年の言葉に、足を止めた。
現地の人間の顔立ちをしているが、ほかの難民のように疲れたり怯えた様子もなく、むしろ生命力に溢れている少年を、フラガは値踏みするように見下ろした。
「なにがわかるって?」
「だからあんたたち、マリューを捜してるんだろ!
俺、マリューといたぞ。どこに行ったかも知ってる!」
ノイマンはフラガのズボンの後ポケットから、地図を抜き取り、少年の前に広げた。
「地図で示せるのか」
「当たり前だ! 俺、マリューの手伝いをしてたんだぞ!」
少年は胸を張り、地図上の一点を指で押さえた。
「ここが俺たちがいたところ」
それからここが、と少年の指が移動する。
「マリューが向かったところ。
ここに取り残された誰かを助けに行ったんだ」
ノイマンが地図から目を上げると、フラガは顔をしかめていた。
「思ってたより奥地だな」
「でも、あたりをつけたとおり西ですよ」
フラガはノイマンの手から地図を受け取り、目に焼き付けるかのように睨んだ。
「なんならおまえ、来なくていい」
地図をポケットに戻したフラガは、ノイマンに言った。
「どういう意味です?」
ノイマンは眉をひそめる。
「おまえを呼び出したのは虎だ。
俺はガイドなんかいらないって言ったんだ」
「今更そんなことを言われても、むかつくだけですね」
人の気も知らないで。今頃突然帰ってきて、好きなことを言う、とノイマンは本気で腹が立つ。
にこりともせずに話し合う大人を見上げていた少年は、ふたりが歩き出そうとしたので、行く手を塞いだ。
「俺が道案内してやる!」
「はあ?」
ふたりの声が揃った。
「マリューの行ったとこにもいたことあるから、道は全部覚えてるぞ!」
ノイマンはフラガを見た。
まさか連れて行きはしまい。
「お子サマは引っ込んでな」
やはりフラガはきっぱりと言い放った。
「子どもじゃない!」
少年は肩を怒らせて怒鳴るが、フラガは無視する。
「冒険は別の機会に出来るさ。
せっかくここまで生き延びてるのに無茶すんな」
「マリューは危ないところに行ったんだから、俺が助けてやるんだ!」
ノイマンはにやりと笑った。
「ひょっとして、ライバル出現ですか」
「黙ってろ」
「嫌ですよ」
「おじさん、マリューの恋人か?」
またしても大人のあいだに少年が割って入った。
呼びかけ方に不満げな表情になったフラガだが、相手が正真正銘の子どもであれば致し方ない。
「そうだよ」
「マリューのペンダントの人?」
今度はフラガははっきりと顔を歪めた。
そのあと辛うじて笑ったが、苦笑という感じにしかならなかった。
ノイマンにはわからない話題だ。
「いや、違う」
だがそれは、少年にとってはたいした問題ではなかったようだ。
「なあ、俺をつれてけよ!」
少年がフラガの袖を引っ張った。
「足手まといだ」
「なんだよ!
俺らをここに連れてきた活動員は、ほかの施設の手伝いに行ったから、あんたらに道を教えられるヤツはほかにいないんだぞ!」
「ふうん。そうなのか」
フラガに目配せされ、活動員に確かめろという意味だとノイマンは理解したが、フラガがどうやってこの少年を納得させるのか興味があった。
こんな子どもを連れて行くわけにはいかない。マリューが連れて行かなかったのなら、尚更だ。
「つれてけ、つれてけ、つれてけ!」
少年はフラガの手首を掴んで引っ張った。
「それは無理」
「なんでだよ!」
「それはだなあ」
フラガの口調ががらりと変わり、地面に方膝をつき、少年と目線を合わせた。
「マリューは俺の女だからだよ」
ほんの一瞬だが、フラガは子ども相手に真剣になった。
ノイマンでもはっとする迫力に、少年は気圧される。
「だから俺が助けに行くんだ。わかるか?」
少年はゆっくりと首を横に振った。
正直だな、とノイマンは思う。フラガも笑った。
「そっか。わからんか。じゃあ言い直す。
好きな女をかっこよくと助けに現れたいんだ。って言えば、わかるか?」
「…それならわかる」
「よし、じゃあ、道を教えてくれ。
目印やゲリラの襲撃の跡があった位置も、覚えている限り」
「ほんとにマリューを助けられるのか」
「助ける」
少年は頷いた。
「…わかった」
案内を買って出ただけあって、少年は詳細に道を覚えていた。
途中矛盾があるとフラガが問い返し、ほぼ正確だと思われる道筋をつける。
ノイマンは再度事務所に確認をしに行き、少年の言葉の裏づけを取った。
別れ際、フラガは少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「しぶとく生き残れよ」
「当たり前だ」
少年はフラガの口調を真似た。
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