Others 1



「フラガの扱いなのだが」
窓を挟んだ眼下にアークエンジェルを望み、キサカはマリューに切り出した。
最終戦で大破したアークエンジェルは、まもなく廃艦になることが決定していて、マリューが白亜の戦艦を眺めるのは、これが最後となる。
「マリュー」
気遣うようなキサカの表情に、マリューは少し苛立った。
「ええ。聞いています」
場所を顧みず自分の思考に入ってしまうのは彼女の昔からの癖で、ぼんやりするなとよく注意を受けたものだが、近頃は別の意味で取られることが多い。
PTSDの症状とこれは無関係なのだと説明すると、かえって病的に見えるらしいので、無理に微笑んで先を促す。
「きみたちアークエンジェルクルーに、大西洋連邦で暮らす権利が戻ったので、書類上の体裁を整える必要ができたことは、既に聞いていると思うが」
「ええ。ご尽力いただいたことに感謝しています」
嫌味なくらい他人行儀だと思いつつ、マリューはキサカと距離を取った。キサカはオーブの軍人だ。
彼がその立場を貫く以上、自分に立ち入らせたくはない。お互いのために。
地球軍にもザフトにも組せず戦った三艦は、戦争が終わったあと元の所属に戻ったが、アークエンジェルは、さらに苦難の只中に取り残されることになった。
クサナギは主権を地球軍に侵害された、れっきとした国家の代表。
プラントの穏健派代表であったエターナルは、戦争推進派が力を失ったため、英雄として本国に迎えられた。
が、地球軍は軍部をブルーコスモスに乗っ取られた状態ではなくなったものの、血のバレンタインデーを始まりとし、遂にはプラント本国を核攻撃しようとした、一連の国際条約違反が明るみに出ては困る軍人、政治家が大勢いた。
証人と成り得るアークエンジェルは、邪魔な存在でしかなかったのだ。
地球軍は帰頭を要求し、オーブもプラントもアークエンジェルを引き受けるほどの余裕はなかった。
私は、私にしては上手くやった。
と、マリューは思っている。
マリューは、すべての戦闘記録と自分の身柄を地球軍に預けることを条件に、クルー全員がオーブに行くことを保証させた。
地球軍は艦長に次ぐ幹部士官として、ノイマン少尉も拘束したいと考えていたが、たとえ副長がいなくなっても、下士官であったノイマンが機密に触れることは有り得ない。
重要案件はすべて自分とフラガ少佐だけで処理した、とマリューは主張し続け、信じさせることに成功した。
その時点ではまだクルーの名誉回復まで、認めさせることはできなかったが、一年経ってオーブ、プラント双方からの働きかけが功を奏し、敵前逃亡罪の記録の抹消が為され、、同時にマリューの軟禁も解かれた。

マリューは傍らに立つ、体格のいい、しかし意外に神経の細かな男を盗み見た。
後の交渉に役立つからと、終戦直後、まだ混乱していた地球軍の裏をかき、アークエンジェルをオーブに取り込んだのはキサカだった。
存在そのものが反地球軍の旗印になる危険性もあるアークエンジェルの廃艦と引き換えに、オーブはマリューの身柄引き渡し交渉を続けたそうだ。
さらにプラントのバルトフェルドが、地球軍に先駆けて回収したドミニオンのブラックボックスを盾に、オーブと歩調を合わせた。
自軍の兵士でもない女に、彼らが費やした時間と労力は大変なもので、マリューは真実感謝している。
視線を白亜の戦艦に戻した。
かつて彼女の希望の象徴だった新造戦艦。
そして地獄の只中のような戦いを共にした母艦。
整備されることがなくなって久しい、かつての自艦の姿を目に焼き付けた。
「ムウのこと、と仰いましたわよね?」
キサカがなかなか言葉を継がないので、問うてみた。
「そうだ。フラガのことなのだが」
「どうぞ。ご遠慮なく」
「戦死者も名誉回復されることになっているが、遺体の回収されていないフラガはどう扱うか、きみに訊ねたほうがいいと思ってな。書類上のことだが、MIAとするか」
戦死とするか、と続いた声は小さかった。
どちらでも実際の意味は戦死なので、どちらでも、とマリューは答える。それでもまだキサカは言いたそうだった。
「ほかになにか?」
「いや…フラガの墓碑を建てるという話が地球軍側で出ているらしい」
「墓碑?」
「戦争記念館のようなものを建てて、その中心にエンデュミオンの鷹の功績を称えるのだそうだ」
「……!」
怒りだか空しさだかわからない熱が、マリューの体を突き抜けて、それから消えた。
「ほんの数週間前まで敵前逃亡兵としていた男を、もう英雄扱いするんですね?」
棘のあるマリューの言葉に、キサカは困ったような顔をした。
戦後一年以上経ち、ようやく戦争裁判が始まろうとしている。 すべてが明るみに出ることはないだろうが、アークエンジェルの行動の一部が世間に公表されれば、有名なフラガの名を、利用しようとする者が出てくるのはむしろ自然。
そういった意味のことを、キサカは訥々と説明した。
「それを防ぐためには、こちらで墓を建ててしまうのが一番なのだが」
マリューはキサカを見返した。
キサカが悪いわけではないので、睨んでは悪いと思うが、つい視線がきつくなってしまう。
「お墓は必要ありません」
「マリュー。気持ちはよくわかる」
子どもを諭すような口調。
「きみがあの戦争で受けた傷は大きいだろう。
だがいつまでも悲しみを引きずってはいけない。
そろそろ気持ちを整理しなくては」
 「私は落ち着いていますよ?」
 キサカの言葉に、マリューは眉を寄せた。

ムウ・ラ・フラガはストライク一機でローエングリンを受け止めた。
機体は爆散し、戦闘宙域だったために一部の回収すらできなかった。
停戦後、負傷者の収容されている病院をすべてあたったが、彼らしい人は見当たらなかった。
マリューを責めることになると思っているのか、キサカは言わないが、ナタルが死んだことも、マリューはよく理解していた。
死んだというより、マリューが殺した。
ブラックボックスには、ドミニオンに乗っていたブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルと、ナタル・バジルール艦長の最後のやりとりが記録されていた。
明らかに正常な判断能力を失っていたアズラエル。
取り乱し銃を撃つ男に対し、あくまで毅然と立ち向かっているナタル。
ナタルはマリューに、撃て、と叫んでいた。

これらの事実をマリューは毎日のように繰り返し確認し直し、この上なく冷静に受け止めている。
だがどうやらキサカには伝わらないようだ。
「私は落ち着いていますよ」
マリューはできるだけ穏やかに聞こえるよう言い直してみた。
「でも帰ってくるかもしれないのに、お墓は必要ないでしょう?」
キサカは一瞬顔を強張らせ、それからマリューから目を逸した。
キサカはいい人だ。
骨身を惜しまずマリューの世話をしてくれ、励ましてもくれるが、それがマリューには歯痒い。
私はそんなに痛ましいのだろうか、とマリューは思う。
俯いても前を向いても、見てはいられないという感じでみなが目を逸らすのはなぜなのだろう、とマリューは考える。



 ホテル暮らしでは味気ないだろうと、モルゲンレーテの独身寮の一室が、マリューの仮の住みかだ。
部屋の鍵を開けると、丁度電話の呼び出し音が鳴った。
 彼女がここにいることを知る者は限られていて、アクセス番号を知る者はもっと限られる。発信者名を見ると、やはりバルトフェルドだった。
 一月前彼女を迎えに来てくれた男は、プラントを防衛する軍施設の責任者を勤めていて、すぐに宇宙(そら)に帰った。

 「よう。少しは顔色が良くなったようだな、マリュー」
回線が繋がると同時の軽口に、マリューは微笑んだ。
画像は少し荒れるものの、Nジャマーが徐々に無力化しつつあるので、以前より格段に通信環境は良い。
「こんにちは、アンディ。おかげさまで、少し太ってしまいましたわ」
「ああ、きみはふっくらしていたほうが魅力的なタイプだからね。もう少し体重を増やしたまえ。
それで、どうだね。先日の案件はもう決めてしまったのかね」
彼の手がせわしなく動いているのは、またコーヒー豆の選別でもしているのだろう。
どこにいてもマイペースな男だとマリューは思った。
「三日後にオーブを発ちます」
そう告げると、バルトフェルドは大袈裟に肩を竦めた。
「地球軍に戻らず、オーブ軍にも入らず、きみの選んだ職場が、戦場と変わらない紛争地帯とはねえ」
 「なにか、実際的なことをやりたいんです。私は」
難民支援を主な活動とする非政府組織に参加しようと考えていることは、猛反対されることがわかっているので、キサカには言っていない。
誰にも知らせず、というのはやはり不義理なので、数日前、バルトフェルドにだけ連絡した。
彼なら止めることはないだろう、と計算して。
彼はマリューを見て目を逸らすことのない、数少ない、ほとんどたったひとりと言ってもいい男だ。
「きみが今のように生きると知っていれば、フラガはあんなことをしただろうかね。つくづく馬鹿な男だよ、あいつは」
まるでほんの少し席を外している人について話しているような口調に、マリューは苦笑した。
「そんなふうに言われては、彼の面目がないわ」
「いやいや、死に面したとき、愛する女を抱きしめる道を選んだぼくだからこそ、言えるのだよ」
バルトフェルドに言わせると、フラガはロマンチストなのだそうだ。
最後の瞬間に愛する女を抱きしめることを選んだバルトフェルドと、盾となることを選んだフラガ。
「まあ、人生は一度きり。その人のものだ。
ボクはきみの選択にケチはつけんよ。
だがフラガはきみのために生きたんだ。その命を大事にしたまえ」
過剰に同情することなく、さりとて放っておくこともなく、バルトフェルドは友人の立場を貫く。
マリューはそのことに感謝した。 
しばし沈黙が続き、マリューはゆっくりと唇を動かした。
「…そちらのお仕事はどうですの」
「ザフトもがたがただからね。なにかと忙しい」
「調査の件は…?」
訊ねたのは、バルトフェルドが着手しているラウ・ル・クルーゼについてのことだ。
彼は今、あの戦争を検証するため、クルーゼがどのようにブルーコスモスと接近し、ザフトと地球の両軍を翻弄したかを調べている。
今度は本気の表情で、バルトフェルドはため息をついた。
「奴は足取りが掴めないように、徹底的に口封じを行ってきたらしくてね。
関わった者がほとんど生き残っていないのだよ」
「…そうですか」
今更調べたからといって、どうなるものではないのだが、フラガに繋がる人物として、マリューはクルーゼのことが気にかかった。
もしあの戦場で死ななかったとしても、おそらくもう寿命が尽きているはずだ。
それでも尚、目撃情報が出ては消える。
世界を道連れに自殺しようとした男は、生きてきたすべての痕跡を消して、しかし実体のないなにかとしていまだ存在している。
「なにかわかれば連絡しよう。きみにとっても縁のある男であることだ。
…さて、と」
作業が終わったのか、バルトフェルドは両手を軽く叩いて粉を払い落とした。
「最高のブレンドが出来たよ。大至急そちらに運ばせよう。
どうせきみの行き先には、インスタントもあるかなしかだろう」
「送っていただいても、器具があるかどうかわかりませんけど」
「なにを言うんだね、マリュー。ならばきみが持って行きたまえ。
いいかね、どんな場所にいても、うまいコーヒーを飲む心の余裕だけは、失ってはいかんよ」
冗談で言っているのではない程度に、マリューはこの男を知っている。
だが、笑わずにはいられなかった。
「そうね。ありがとう、アンディ」
「うーん、そうだね。どうやって運ばせようかね」
「送っていただければ結構ですわ」
バルトフェルドは顔をしかめた。
「それでは間に合わんだろう。
それにこれは特別な品だ。粗略に扱われては困る。
うん、そうだ。ぼくのスペシャルベブレンドを運ぶにふさわしい人物がいる。
彼に頼むとしよう」
ひとり頷いているバルトフェルドに、ダコスタあたりが使いに出されるのだろうと、マリューは気のいいバルトフェルドの部下に、申し訳なく思った。


だがバルトフェルドのコーヒーは、マリューがオーブを出るまさにその日に、意外な人物によって届けられた。
時間が迫り、バッグを肩にかけ、マリューが扉を開けようとしたとき、向こう側から誰かが扉を叩いた。
キサカに知られてしまったのか、と説得の言葉を考えながら開けた扉の前にいたのは、少し背が伸びて大人っぽくなったキラ・ヤマトだった。
目を見開くマリューに、キラは静かに微笑んだ。
「お久し振りです、マリューさん」
差し出された真空パックの小さな包みを、マリューは途惑いつつ受け取った。
「聞いていたより元気そうですね」
意味ありげな表情をするキラに、マリューは仕方なく苦笑した。
「どんなふうに言われているのか、想像がつくわ」
「ぼくも似たような立場ですよ。いまだに腫れ物みたいに扱われてます」
マリューはバッグに、大事そうにコーヒー豆を入れた。助言に従って、コーヒーメーカーも荷物に入れてある。
「ごめんなさい、私、もう出ないと飛行機の時間に間に合わないの」
久し振りに会えたキラに名残があるが、今は行かねばならない。
キラは首を少し傾げて微笑んだ。
「そうだと思って、空港まで送るつもりで来ました。荷物はそれだけですか」
小振りのボストンバッグを視線で示されて、マリューが頷くと、それを持ってキラは歩き出した。

マリューはバスを使うつもりだったのだが、キラが乗ってきた車に乗せてもらう。
「これ、どうしたの? カガリさんに借りたの?」
洒落たオープンカーの助手席に乗り込みながら、マリューは問う。
「アスランに手配してもらったんです。
ぼくが今オーブにいることは、カガリには内緒。
マリューさんにひとりで会うってわかったら、抜け駆けだって怒りますからね」
南国の風にさらわれる髪を、マリューは片手で押さえた。
「色々お世話になったのに、黙って発ってごめんなさい、って伝えておいてもらえると嬉しいわ」
「それは無理かも。ぼくもすぐに帰りますから」
「誰にも会わずに?」
「マリューさんに会ってるでしょ。それからアスランにも会いました」
淡々としたキラの様子に、マリューは怪訝な表情になった。
マリューがキラに会うのは、最終戦の出撃前以来だ。
戦闘のあと、負傷していたキラはエターナルに収容され、それきりになってしまっていた。
「あなたは今、なにをしているの?
サイくんやミリアリアはオーブで学生に戻ったって聞いているけれど」
「なにもしてません。だからみんなが心配するんです」
マリューはハンドルを握るキラの顔を覗き込むように、体を少し斜めにした。
今更出来ることなどなにもないが、この子のことは他人のようには思えない。
「なにかしたいことはないの?」
「静かに暮らしたいです。
って言うと、隠居した老人じゃあるまいし、って、カガリがまた怒るんです」
「そうね。それは私でも怒るかも」
わざと顔をしかめてみせると、キラは声を出して笑った。
「マリューさんが怒っても、あんまり怖くないかなあ。
マリューさん、ぼくには甘いから」
「生意気になったわねえ、キラくん。
それなら本気で怒るわよ。怖いんだから」
「そうかなあ。
ああ、でもそういえば、ムウさんがそんなこと言ってましたよ。
マリューは怒るとおっかないって」
当たり前のように出てきた名前に、マリューの胸が軽く引っ掻かれた。
「でも、怒った顔も可愛いから、怒られても平気なんだけどねって惚気てました」
目蓋が熱くなってきて、マリューは何度も瞬きをして、涙を風に散らす。
「だからぼくもマリューさんが怒っても平気かな」
「ほんとに生意気になっちゃったわねえ、キラくん」
「すみません」
くすくす笑うキラの横顔と、流れ行くオーブの風景を、同時にマリューは眺めた。

予定より早く空港に着いたので、ふたりはラウンジでお茶を飲んで、出発までの時間を待ち、それから出国ゲートに向かった。
マリューはいつかのようにキラに右手を差し出し、キラはその手を取った。
「来てくれてありがとう。嬉しかったわ」
キラはそっと手を離すと、マリューの背中に腕をまわした。
ふわりと抱きしめられて、マリューは驚く。
キラからは、一人前の男の匂いがした。
「ぼくはマリューさんが好きですよ」
「…キラくん」
「マリューさんに出会えてよかったと思ってます」
「…ありがとう」
体を離し、指で涙を拭ったマリューは、キラも瞳を潤ませているのを見て、笑ってしまった。
「嫌だわ。きっと私たち、泣き虫なきょうだいに見られてるわね」
キラも笑った。
「どうせなら恋人に見えないかな」
「十年早いわね。悪いけど」

搭乗機の乗り込み時間が迫り、最終アナウンスが流れる。

「行くわね。キラくん」
「いってらっしゃい。マリューさん」

キラに背中を向けて、マリューはゲートを通り抜けた。