Others 8
眠りから覚めると、マリューはまず確認する。
なにもかも夢でないか。
自分はあの沢で死体になっていて、彼が帰ってきた夢を見ているのかもしれないと思う。
そんな夢をずっと見たいと思っていたから。
目が覚めると、彼は「夢じゃないよ」と笑ってくれる。
目の前の彼は、記憶の彼と少し違う。
マリューの覚え方が間違っていたのかもしれないし、彼が変わったのかもしれない。
でも基本的に、マリューが好きだったところは同じだ。
寂しいところ。
とてもとても寂しいところ。
マリューも寂しい。
だから彼が好き。
自分が元クルーの心境に、どれほどの影響を与えていたか、マリューはあまり理解していない。
彼女は艦長としての自分を過小評価しているし、それは外部から受けたパッシングの激しさからすれば無理もない。
彼らが一様にどこか気まずそうに、しかしほっとしたような表情でマリューを見舞い、最後には必ず「お幸せに」と言い置いて病室を辞していくのを、フラガはときに冷ややかな気持ちになりながら眺めていた。
別に責めるつもりはない。
他人の荷物まで進んで持ちたがるのは馬鹿のやることだと、フラガは思っているし、だから逆にその馬鹿を好きになったのだと思う。
マリューが真正面から受け止めたすべてのことから、彼らは目を逸らしたが、どちらかと言うと逸らすほうがまともだ。
だからマリューが荷物のひとつを下ろしたと知って、善人面するきっかけを得たとばかりに訪れるかつての仲間に、表面上笑ってやるくらいのことは出来るが、それ以上の気持ちにはなれない。
打ちひしがれてしまったマリューを抱いて癒してやるくらいの度量が、どうして誰にもなかったのか。
まあ、そんなヤツがいたとしたら、今頃相応の礼はさせてもらっているだろうから、彼の元同僚は賢明だとも言えるのだが。
ややうんざりしたのは、ほぼ全員がフラガを幽霊を見るような目で見て、それから涙ぐみ、三人にひとりくらいが、感極まって抱きついてきたことだ。
マードックにそれをやられたときには、後頭部を殴って引き離したい衝動と必死に戦った。
脱出装置に手を加えてくれていた恩がなければ、本当に殴り倒していたかもしれない。
やがて来訪者が途切れる頃、マリューの退院の日取りが具体的に決まり、退院後は、ひとまず首長家の別荘で、更に休養を取ることになった。
フラガはいずれオーブの保護下から出るつもりだが、アル・ダ・フラガの遺産を有効に使ってくれる組織を捜すのに手間取っているため、カガリの好意に甘えることにした。
フラガはカガリとは何回か顔を会わせた。
まだ首長にはなっていないが、未来の代表を約束されているカガリは、本来ならかつての戦友に関わっている時間はないはずだが、フラガとマリューのために無理矢理時間を割いていた。
呼び出されてフラガが会いに行くこともある。
最初に会ったときは、生きていてよかったとぼろぼろ泣かれた。
それから会うたびに約束させられる。
「ぜーったいマリューさんを幸せにしろよ」
彼女の性格からして、フラガに対して色々言いたいことはあるだろうに、上目遣いに睨んで同じ言葉を繰り返す。
「泣かせたら私が承知しないからなっ!」
「どう承知しないのさ」
「なんか適当な罪をでっちあげて、おまえを刑務所に入れてやるっ!」
「ひでー暴君だなあ」
「うるさいっ! マリューさんはぜーったい幸せになんなきゃいけないんだからなっ!」
それはそうだ。
本当にそうだと思う。
自分なんかが帰ってきただけで、それだけでもう毎日嬉しそうにしているマリューを見ていると、その程度の幸せしか望んでいないマリューがかわいそうになる。
先日も別荘の鍵の受け渡しとセキュリティの説明のために呼び出され、少し前に結婚についてキサカに話したところだったので、なにか言われるだろうと予想して、フラガはカガリに会った。
「おまえらが結婚しないことは聞いた」
「あっそ」
いくら姫だとしても、ふんぞり返る小娘になぜ腹が立たないかと言えば、あまりに一本気な様子が、フラガのようにすれてしまった身からすると、いっそ可愛いくらいだからだが、そんなフラガの気持ちなど知らず、カガリは大真面目だ。
「わたしはそのことには干渉しない。マリューさんがいいなら、それでいいんだ。だけど絶対に幸せにしろよ」
それから、とカガリは続けた。
「おまえも絶対幸せになれ」
真正面から目を逸らせもせずそんなことを言われて、フラガはしばし素になってしまった。
ぽかんとしているのを、またふざけていると思ったカガリは、「いいなっ!」と背中をどやしつけて去っていった。
帰ってマリューにその話をすると、マリューは黙ってフラガの髪を撫でた。
子どもにするように。
イザーク・ジュールはフラガとマリューが首長家の別荘に移ってからの、最初の客となった。
イザークは戦争の終盤、今では三隻同盟と呼ばれる側に付き、終戦をアークエンジェルで迎えた。
その後政治的な取引が行われ、秘密裡にプラントに戻り、戦争推進派として失脚した母親に代わり評議会の仮メンバーとなり、現在はプラントの新リーダーとして活躍している。
期間を考えると、ごく短い時間しかマリューと顔を合わせていないはずだが、ふたりは随分親しそうだった。
マリューは子どもにはたとえそれが敵であろうとも、無条件で情けをかけてしまう質だし、イザークは義理堅い。
最終戦でなだれ込むようにアークエンジェルの守りについた彼に、躊躇することなくストライクのシールドを貸してくれたことを、深く感謝しているらしかった。
ディアッカが案内し、ミリアリアもついてきた。
「わざわざプラントから来てくれて、ありがとう。イザークくん」
病室ではなく、休憩室でイザークを出迎えたマリューは、柔らかい笑みを浮かべた。
体を締め付けないゆったりしたワンピースを着て、一見するともう病人には見えない。
初対面のときから子ども扱いされていて、それが不本意でもあり、くすぐったくもあるイザークは、マリューに対して表情を引き締めた。
「お元気になられたようで、なによりです。マリューさん」
そしてイザークは、マリューの座るソファのうしろに立つフラガに挨拶する。
直接会うのは初めてだが、何度も戦場で出会っているし、ディアッカからどんな人物かも聞いていた。
食えない、という感じはするが、嫌な男じゃない。それがイザークのフラガに対する第一印象だった。
勝手知ったる、といった感じのミリアリアが淹れてくれた紅茶に口をつけたあと、イザークはプラントの人権保護団体の名簿をマリューに手渡した。
アスラン経由で調べるよう頼まれていたものだ。
「俺も個人的に調べてみましたけど、プラントの方も、大きな寄付をうまく使える組織は皆無です」
「そう」
地球も同じ状況だと、カガリから聞かされていたマリューは、ため息をついた。
マルキオ導師はどうだろうかと、こちらはラクスを通じて打診したが、善きように扱える道がほかにあるようです、とやんわりと断られていた。
イザークは壁にもたれて他人事のような顔をしているフラガのほうを向いた。
「いっそのこと、あなたが作られたらどうです」
「俺え?」
挨拶以上に話しかけられたことすら意外そうに、フラガは声を上げた。
「無駄に使ってしまうおつもりなら、寄付なさればよろしいでしょう。
ですが、それではむしろ毒をばらまくことになりますよ。
オーブかプラントに任せるのも嫌なのなら、ご自分でなさるしかないのでは」
至極尤もだが、ディアッカとミリアリアは眉をひそめた。
「おいおい、イザーク。おまえこのおっさんの性格知らないからそんなこと言うんだろうけど、滅茶苦茶アバウトなお人柄だぜえ?
そんな大掛かりなこと、絶対出来ないって」
ディアッカの言葉に、ミリアリアが相槌を打つ。
このふたり、イザークの知る限り喧嘩ばかりしているが、こういうときは意見が合うらしい。
「お嬢ちゃんまで、失礼だな」
抗議するフラガのほうに、ディアッカは椅子から身を乗り出す。
「おっさん、自分のこと考えてみろよ。
そういう団体の代表つったら、デスクワークもいっぱいあんだろ。そういうことできんの?」
「出来る出来ないより、やりたくない」
「ほらみろ」
暗躍とかなら好きそうだけどな、とディアッカが早口に言ったのを、イザークは聞き逃さなかった。
そういえば、とイザークは思い出す。
目の前のこの男は、ラウ・ル・クルーゼの血縁者なのだ。
改めてそういう目で見ると、同じ空気を纏っているような気がした。
触れると切れる、孤独な刃物の印象。
思考が伝わったかのように、冷えた青い目を向けられて、イザークがどきりとしたそのとき、マリューの手がフラガのシャツの袖を掴んだ。
「ムウ」
フラガはイザークから視線を逸らし、さっきと同じ瞳とは思えないくらい、優しい笑みをマリューに向ける。
「そだ。いいこと思いついた」
「え?」
フラガの笑顔の質が、微妙に変化したのを受けて、マリューは身構えた。
「マリューが代表やればいいんだ」
「は?」
マリューだけでなく、全員が、は?と思った。だが、言った本人は悦に入っている。
「そうだ、それがいいよ。マリューはそういうの向いてるし」
「ちょ、ちょっとムウ。なにを言ってるの?」
慌てたマリューの手がぐいぐいと袖を引き、フラガはその手を握り締めた。
「だって、クソガキのお墨付きどおり、俺は細かいことやるのは苦手だし、コネを持ってるのはマリューだろ」
「コネって」
「知り合い多いだろ。オーブにもプラントにも。地球軍にも」
な、といきなり同意を求められて、イザークは曖昧に頷いた。
マリューが各回要人に知り合いが多いのは本当だ。
データで見られるよりも、直接会ったほうがマリューは評価される。
オーブ、プラントは勿論、地球軍のなかにもマリューの人柄を高く買う人物はいる。
地球軍から解放されたあと、その人脈を生かして、それなりの地位に就くこともできたくらいだ。
思わぬ展開にマリューは面食らっているが、ミリアリアが片手を軽く挙げた。
「はい。私はマリューさんが代表するのがいいと思います」
「ミリィまで」
「おいおい、ミリアリア」
ディアッカは黙ってて、とミリアリアはきっとディアッカを睨んでから、マリューに向き直った。
「だって申し訳ないですけど、ほんとにムウさんはそういうの向いてないですよ。
基本的になんでも面倒くさい人でしょう?」
あんまりと言えば、あんまりな物言いだが、かつてアークエンジェルで、フラガが溜めた書類の清書係に、いつの間にかなっていたミリアリアだからこそ言える。
「だからって、私が代表をするのは…ムウだって、その気になったら頑張れるでしょ?」
「うーん。真面目なふりは三時間が限度」
なぜか少し嬉しそうに答えるフラガに、彼を除く全員が頭を抱えた。イザークでさえも。
「なあ、マリューさん。絶対にこのおっさんに表に出る仕事やらせるのはまずいって」
「…そう思う? ディアッカくん」
無茶苦茶思う、とディアッカは頷いた。
「じゃあ、あなたはなにをするの、ムウ」
「俺? 俺はマリューのサポート」
マリューは疑わしそうにフラガを見た。
「…ほんとに?」
「ほんとだって。俺がマリューだけ働かせるわけないだろ。
俺、結構人についていくタイプだし」
最後の発言には疑わしそうな視線を向けたマリューだが、そうねえ、と考え込んだ。
「あなたがそうしたほうがいいと言うなら、私はいいけど…」
「そうして」
と、フラガはマリューの目を覗き込んだ。
「わかりました。じゃあまず、既存の団体の活動とか資金状況のサンプルを集めて、それから」
いきなり仕事を始めそうなマリューの気配に、イザークは待ったをかけた。
「そう焦ることはありませんよ。
まずはマリューさんが完全に元気にならないと。
そのあいだに、俺もいろんな方面に声をかけておきます。
こういうことは根回しが大事ですから」
ゆっくりやりましょう。
そう言うイザークに、自分のせっかちが恥ずかしくなったのか、マリューは少し頬を赤くした。
「そうね。ありがとう、イザークくん」
「マリューさん、私も出来ることはお手伝いしますからね。
あ、勿論、コイツもあてにしちゃってくださいね!」
ミリアリアがディアッカの服の端を引っ張り、コイツってなんだよ、とディアッカが憤慨する。
笑い声のなか、フラガがふっと笑顔を消して遠くを見て、マリューがそれを心配そうに眺めるのに、イザークは気がついた。
「人道支援団体ねえ」
フラガはノート型端末で検索を始めているマリューを、ちらりと眺めた。
「あんま根詰めるなよ。せっかく良くなってんだからさ」
「大丈夫よ。もう少し」
フラガは腕を伸ばして、マリューの額に掌をあてる。
熱があれば止めさせるつもりだったが、幸い熱くはなかった。
「一言で人道支援団体って言っても、活動内容は広いわよねえ」
ディスプレイを覗き込むと、いくつかの団体の名前と主な活動がリストになっている。
ベッドに腰掛けて、フラガはマリューの肩を抱いた。
「マリューはどんな仕事がしたいのさ」
「子どもを助ける仕事をしたいわ」
返事はすぐに返ってきて、その真っ直ぐな視線に、フラガは一瞬見惚れた。
それはなにがあっても変化することのない、彼女の本質だ。
「例の子ども、見つかったって、キサカから連絡があった」
「ほんとに?」
マリューがフラガの腕を掴んだ。
「ひとりだけな。マリューが助けたぼうずのほう。施設に収容されているのを見つけた」
オーブが既に保護済で、もうすぐマリューにも会えるそうだ。
マリューがふとフラガを見上げる。
「あなた、あの子に名乗った?」
「いや。なんで?」
「あの子、ムウ・ラ・フラガのファンなのよ。びっくりするわね。あなたが彼だって知ったら」
げ、とフラガは呻いた。
「俺、そういうのイヤなんだよね。お子サマのヒーローって柄じゃないでしょ」
「そうね」
「そうねって言い方もないんじゃないの?」
マリューは笑う。
フラガがいれば、こういう会話をするだろうと想像していたとおりだ。
「女の子は?」
「そっちはわからなかった」
喜びに輝いていたマリューの顔が一気に曇ったので、フラガは言い直す。
「死んだと確認したんじゃない。ナタルという名の少女の記録が、俺が会った施設で途切れているだけだ」
「じゃあ」
「わからないけどな。確かめようがない」
残る可能性として、少女が本当の名を思い出し、今は違う名を名乗っている場合が考えられる。
「どこかで生きていてくれたらいいけれど…」
大丈夫だよ、とフラガはマリューの背中を撫でた。
少女の生死までは、フラガには想像出来ない。
ただ、もしあの少女が自分の名前を思い出し、元の名前に戻ったのなら、まるであの時間だけ、マリューを助けるために「ナタル」になったようだと思うだけだ。
実際にもう一度現地に少女を捜しに行ったノイマンも、そのようなことを言っていた。
ノイマンは色々と吹っ切ったようだ。
近く地球軍に復隊すると言っていた。
オーブじゃなくて、地球軍?
ええ。そして上を目指します。二度と戦争をしないために。
覚悟を決めた目をしていたから、あいつは本当に出世するかもしれないと、フラガは思っている。
鼻先で髪を掻き分け、首筋に顔を埋めると、マリューはくすぐったいと笑った。
「そういえば、なにか俺に言いたいことがあったんだよな」
え、とマリューは笑うのを止める。
「怪我してたとき、言ってただろ。あとで聞くって、約束した」
マリューはしばらく視線を彷徨わせたが、やがて思い出したのか、ああ、と呟いた。
「なにが言いたかったのかしら。私」
「ええ? なんだよ、それ」
「たぶんあんまり意味のないことだったと思うんだけど」
「思い出せよ。なに言われるのかと、俺はずっと恐々としてたんだぜ」
掌で頬を挟まれたマリューは、きょとんとする。
「そうなの?」
「そうだよ。だから今まで聞かなかったんじゃないか」
マリューは小首を傾げて考えたが、やがて軽く首を横に振った。
「ダメ。やっぱり思い出せないわ。きっと本当にくだらないことよ?」
困り顔で、マリューはフラガを見た。
「なんだよ。ひょっとしたら愛想尽かしの言葉を言われるのかと思って、悩んだんだぞ。マジで」
「あらあら」
機嫌を取るように胸に頭を押し付けてくるので、フラガはそれ以上の追求を止めた。
マリューは微笑んだまま目を閉じた。
「なあ、マリュー」
「なあに」
「結婚のことはこないだ話し合っただろ」
「ええ」
なんの話題かわかったのだろう。マリューの肩に力が入る。
「子どもは?」
マリューは答えないが、フラガはもう一度訊ねる。
「子ども、欲しい?」
答えを強要している、とわかってはいる。
「…ムウがいらないなら、いらない」
「俺はいらない」
マリューはフラガの腕のなかで頷いた。
「ごめんな」
「謝らないで。困るから」
頬をフラガの胸に押し付けるマリューのその胸元に、もう例のペンダントはない。
オーブに着いたとき、ストレッチャーに乗せられ運ばれていく彼女の胸に、それは既になく、その前につけていたかどうか、フラガは覚えていなかった。
「マリュー」
「なに?」
「傍にいてくれる?」
「いてあげる」
「ムウ」
「ん?」
「傍にいてね」
返事の代わりに、腕に力を込めた。
明日をどう生きていいのか、まだわからないけれど、とにかく歩き出してみよう。
きみとふたりで。
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