伝えたい思い
「こないだはごめんね。大学案内できなくて」
喫茶店で鳳に謝られて星谷は慌てて手を振った。
「いえ! 暁先輩によくしてもらいましたから! すっごく楽しかったです!」
「そ? よかった。暁も君が案内するよりマシだったと思うよ、って言ってた」
それは笑って言うようなことなのだろうか、と思いながら星谷は曖昧に笑い返した。
「あ、そういえば、先輩。暁先輩から聞いたんですけど、先輩の入ってるサークル」
「うん?」
「具体的にはなにをどうするんです? なんかイメージわかなくって」
ああ、と鳳は隣に置いてあった鞄に手を伸ばした。
「やって見せてあげようか。ちょうど持ってるし」
いかにも手作り、という感じの冊子を取り出す。
「ワンダーフォーゲル部の文集だよ」
「あ、オレ、中学のとき、やってました!」
「ほんと? じゃあ馴染みがあるね。これを、そうだね。星谷だから特別価格。百円で買いたいと思う?」
鳳が両手に持った文集に対し、星谷は首を傾ける。
「だよねー。じゃあ、今から俺がこれを朗読します」
はあ、と星谷はさらに首を傾げた。
「十月二三日」
鳳の声音がすっと変わる。
「その日はとても晴れていた」
周囲の空気がさっと変わった。
「僕がワンゲル部に入ったのは、社会の規範から逃れたいと思ったから」
とにかく声が良い。特に心に響かない文字の羅列が、情感たっぷりに読み上げられ、星谷はいつの間にか少しでも近くで朗読を聞こうと、テーブルに身を乗り出していた。
大きな声ではないのに、ほかの客も聞き入っている。
鳳がゆっくりとページをめくると、
「買います! 買わせてください! 是非っ!」
テーブルに両手をついて勢いよく頭を下げていた。
「あはは。星谷。ちょろすぎるよ」
「ちょろくないですー。それ持ってたら先輩の朗読を思い出せますー」
笑いながら鳳は文集を星谷に渡した。
「やってみな」
「へ?」
「俺に読んで聞かせて? 星谷らしく」
朗読は授業でやったことがあるが、こんなに感情移入しづらい題材ではなかった。
手にした冊子と鳳の顔を交互に見て、最後に文集に目を落とした。
先ほどの鳳のやり方からすると、内容を伝えようとする必要はなさそうだ。
なんであれこの文集を欲しいと思わせることが大事で、いかに相手の心に響くように読むか、そこにだけ集中して。
鳳先輩のように、聞き手をドキドキさせるようなことはできない。
じゃあオレらしくってどういうことかな。
目をつむり深く息を吸うと、心を静かな水面のように整えてから目を開けた。
「十月二三日。その日はとてもよく晴れていた」
イメージしたのは澄んだ空気。できるだけ落ち着いて、でも隠しきれない楽しい気持ちを秘めて。
「僕がワンゲル部に入ったのは、社会の規範から逃れたいと思ったから」
鳳先輩と会っている嬉しさを、精一杯込めて言葉を紡いだ。
ページをめくりながら顔を上げると、鳳がテーブルに肘をついて横を向いていた。
「え、先輩。オレ、ダメでした?」
鳳は口元を隠しているのと反対側の手で、違うと示した。
「ダメじゃなさすぎてダメ。照れる」
「照れ……? なんで?」
星谷には意味がわからない。
「わからなくていいよ。それ、あげる」
「いいんですか?」
「うん。お礼」
「なんの?」
「うん。わからなくていい」
よくわからないまま、ありがとうございますと文集をもらった。
その後二年MS組では一時その文集を使った朗読が流行り、それぞれ個性豊かな二十五名は各々の読み聞かせでデュエルを行い大いに楽しんだが、元教え子たちから各元指導者にそのことが伝わり、鳳は柊に
「元教え子に変なことを教えないように」
と厳重注意を受けた。