隣を歩く
「いらっしゃいませ」
にこやかに振り向いた妹は、ガエリオだと気づくと笑顔を消した。
「なんだ、お兄さま」
「ご挨拶だな」
アルミリアは今アーヴラウでブティックを営んでいる。
その前は宙港のオペレーター、工場の生産ライン、商社の事務員、営業、ケーキ屋の店員。婚約者が彼女に残した結構な額の資産を運用しつつ、思いつく限りの職業を片っ端から経験している。
「もしかしてガエリオ・ボードウィン?」
店の端のカウンター前の椅子に座っていた、鳥打ち帽を被った若い男が立ち上がる。
「ちょうどよかった。お兄さま。この方しつこいの、追い払って」
「なに?」
ガエリオが睨むと、いかにもひ弱そうな男は震え上がった。
「違いますよ。弱ったな。今日のところは帰ります」
「もう来ないでくださいねー」
愛想笑いでそんなことの言える妹は、子どものときから激動の情勢を生き抜いただけあってたくましい。
「誰なんだ」
「自称ジャーナリスト。マッキーの本を出したいんですって」
小さな応接セットのテーブルに紅茶を出しながら言う。
ソファに座ったガエリオが険しい表情で顔を上げると、アルミリアは笑った。
「書きかけの原稿を見せてくれて、存外ちゃんとしていたわ。私の知らないこともあったけど」
それはどの部分なのだろうかとガエリオは思うが聞けない。
「そんな顔しなくても。私ももう大人よ。残念ながら」
アルミリアはソファの前の小さな椅子に座る。
「それでおまえに取材に来たのか」
「そう。二十年後にまた来てくださいって言ったのにしつこくて」
「二十年後?」
「まだ早いと思うの。そのくらいがちょうどいいでしょう」
ようやく世間がマクギリス・ファリドを忘れかけた頃だ。
今本など出ればゴシップ的な騒がれ方をするだけだ。
微笑む妹は自立した大人の女性だった。
店を出て通りに出ると、自称ジャーナリストが待っていた。
「お兄さまにも是非お話を伺いたく」
「用はない」
「そう仰らず。あなたはもしかしてマクギリス・ファリドの共犯者だったのではないのですか?」
ガエリオは足を止めずに、ちらりと男を見た。
「彼が切り拓いた道をあなたが歩む。そういう筋書きだったのでは?」
「だったらよかったんだがな」
軽く手を振ると、控えていた護衛が姿を見せ男の行く手を阻んだ。
「怪我はさせるなよ」
言い捨てて、待たせてあった車に乗り込んだ。
共犯か。
ガエリオは呟いた。
「もしそうなら世界を変えるなんて貧乏くじ、あいつに引かせなかった」
その代わり、ガエリオは今度こそ命果てるまで、友の示した道を自分の意志で歩くのだ。
今はいない彼の隣を。