(3)
ファリドとボードウィンは婚姻による結びつきを求めていたが、両家にはそれぞれ子どもがひとりしかいなかった。ファリド家当主の外子であるマクギリスが呼び寄せられたのは、後継の問題を避けるためだ。
マクギリスが初めてガエリオとキスしたのは、出会って一年経っていない頃だった。ガエリオが映画のそういうシーンを見て、試してみたいと言い出した。
「だって君とは、なにをしてもいいんだろう?」
なんの疑いもないきらきらした目を向けられ、新しい暮らしと価値観にまだ慣れていなかったマクギリスは絶句した。
「君って、近くで見ても綺麗だね」
唇を離したあと、ガエリオはそう言った。
以後少しずつ段階を踏まえ、十六で初めてセックスした。
一方、この社会では束縛は恥で、上流階級での節度を守れば誰とつきあうのも自由だった。
参加資格の緩い雑然としたパーティだった。
士官学校卒業間近のその頃、ガエリオは身分を隠せる場に好んで出入りし、マクギリスも連れまわされていた。マクギリス自身は既にこういう遊びから興味を失っていたが、ボードウィン卿から目付け役を期待されていた。
ガエリオが気に入った娘と意気投合すると、さりげなく姿を消すのが常だったが、その日は通路に出たところで男に声をかけられた。
男女比率半々で誘われるので別に驚きはしないが、一見して遊び慣れているスーツ姿の男は強引だった。適当にあしらおうとするマクギリスの腕を引き、向かった先は奥まったところにあるレストルーム、すなわちトイレだった。
「ここで?」
「手っ取り早くていいだろう?」
正面から検分して、相手としてそれほど悪くもないと判断するが、それにしても驚きが拭えなかった。
内々でぞんざいに扱われることはあってもマクギリスは七家門の一員で、そうと知ってこんな振る舞いをする者はいない。と考えると、逆に面白くなった。
快適であろうはずがない場所で所要時間もたいしてかからないだろうし、まあいいかと酔狂な気持ちが勝り、男の首に腕をまわそうとしたところ、
「人の婚約者になにしてるんだ!」
聞きなれた声が割り込んできた。見るまでもなくガエリオだ。
男はこういう場にも慣れているらしく、特に争う様子も見せずに立ち去り、残ったマクギリスがガエリオに怒鳴られた。
「おまえ、なにやってんだ!」
「なぜおまえがここに?」
「見ていたからだろ! おまえ! 男は駄目だからな! 男は俺だけ!」
そんなルールがいつの間に、と思ったが、これ以上怒鳴られるのは御免なので黙っていると、耳の後ろに両手をあてられ顔を引き寄せられた。
「なにもされてないだろうな」
「絶妙のタイミングでおまえが来たからな」
「来てなかったらなんなんだ」
「なんなんだと言われても」
もう戻ればどうだ、あの娘を待たせてあるのだろう、と言う前に唇で唇を塞がれた。
「え? おまえ、ちょっと」
マクギリスとこんなことをするなら、わざわざ出かけてくる必要はない。
そう思うが、上顎を舐められて背筋がぞくりとした。
腕を引っ張られ、個室に押し込められ、とっくに大人の体格のふたりが入れば想像以上に狭いが、壁に手をつかされ、ベルトを外された。
「おまえ、本気か」
「そのつもりだったんだろう?」
言い方に抗議したいが、背中から抱きしめてくるガエリオが昂ぶっている。状態を整えないと傷つくのはマクギリスのほうだった。舌で首筋を舐められ耳を齧られた。
「耳、やめろ…っ」
「好きだろ?」
下着を下ろされ前を握られ、からだが反射しているあいだに後ろに入ってくる。
「持ってるだろ、ゴム、使え!」
「このほうが悦いんだろ」
「場所を考えろっ、後始末をどう」
聞く気などないガエリオに突き上げられ、マクギリスは喋れなくなった。
ガエリオの吐く荒い息が甘い痺れを増幅する。誰が来るかわからない場所だと自分で自分の口を塞いだが、腕ごと上半身を引っ張られ顎を掴まれた。口のなかを舌で滅茶苦茶に犯され熱く囁かれる。
「口にキスはおまえだけだ」
「ありがたがれと?」
言葉にしたつもりはなかったのだが、ガエリオの眉が吊り上ったので言ってしまったらしい。
いきなり抜かれて、あ、と声が出る間も待たず突き飛ばされ、蓋がされた便座の上に尻をつくと足を抱え上げられた。姿勢が安定しないのでガエリオにしがみつくしかない。
「おまえ、可愛くない!」
「気持ち悪いことを言うな」
「はあ? おまえ、自分がどれだけ可愛いか知らないのか?」
殴ってやろうと手を振り上げたところで挿れ直され、高い声が出た。
「ほら見ろ」
なにがほら見ろだ。終わったら当分口をきかないことに決めたマクギリスは、とりあえず行為に没頭した。
ガエリオが監査局局長に呼び出されたのは、辞令が出てから一月後のことだった。
「異動の準備で忙しいときにすまないが」
額の汗をハンカチで拭きながら局長は恐縮した。階級は上でもセブンスターズの若様であるガエリオのほうが優位に立つ。椅子を勧められたがガエリオは断った。
「その、君の婚約者のことだが」
「マクギリスがなにか?」
局長はハンカチを机の上に置いた。
「辞表を提出してきたのだが」
「辞表?」
「再三留意したが、どうしても気持ちが変わらないとのことで」
「え?」
ガエリオはプロポーズ以来、プライベートでマクギリスに会えていない。
「それはファリドでは了承されているんですか?」
「そうなのだ。寿退社だから仕方がないとのことで」
「え!」
「監査局の仕事は火星でも出来る。辞職は君の希望なのだろうか」
「いいえ」
監査局本部がマクギリスを手放すのだろうかという危惧はあったが、辞めさせるなど思ったこともない。しかもあれほど仕事に打ち込んでいたマクギリスが自ら職を辞すなど。
「そうであるならば、君から考え直すよう言ってもらえないだろうか。出来るだけの便宜は図る。ファリド特務三佐に抜けられるのは本当に困る」
局長はデスクに額をつけんばかりにガエリオを拝んだ。
局長室を辞してすぐ、ガエリオはマクギリスの執務室に直行した。
「来ると思っていた」
光が入る窓を背にマクギリスは椅子に座っていたが、立ち上がってガエリオに近づいた。
いつも片付いている部屋だが、今日は特に綺麗な気がする。ひょっとするともう荷物を整理し始めているのかもしれない。
「おまえ、どういう」
「手を出せ。違う。左手だ」
言われたとおりにすると、マクギリスはガエリオの手を掴み、中指の先を歯で挟んで手袋を外した。白い手袋をくわえたまま、手にしていた小箱から指輪を取り出し薬指に嵌める。
「退職金全額相当」
小箱と一緒に手袋を持ったマクギリスがそれしか言わないので、ガエリオは薬指をまじまじと眺めた。窓からの採光を受けて光るプラチナリングだ。
「退職金を受け取る気か」
「正当な報酬だろ?」
ガエリオはマクギリスを抱きしめた。
「おまえも手、出せ」
素直に出された左手の手袋を、先程されたのと同じようにくわえて外し、薬指に小箱に残った片割れの指輪を嵌める。ガエリオはその手を取って指輪にキスした。
「どうしておまえが指輪を買っている」
「退職金が出るから」
「あんなに頑張っていたのにか?」
「それが仕事だと思っていたから、やっていただけだ」
そうなのか、とガエリオは驚いた。遣り甲斐があって没頭しているのかと思っていた。
「副業もあるし、火星ではそちらに力を入れる」
「副業?」
「言い方がまずければ趣味と。商業圏で貿易会社を経営している」
「なっ!」
言い方がまずいのではなく、ギャラルホルンの、セブンスターズの一員が商業圏で商売していることがまずいのだ。
俄かに頭痛がしてきたので、ガエリオはこの件について考えるのを後回しにした。マクギリスのことだ。なにか抜け道を用意してあるに違いない。していてくれ。
「火星でも出来るのか、それ。えーと、その趣味は」
「ああ」
「ついてきてくれるのか」
今大事なのはそれだ。
「ああ」
もう一度抱きしめた。
仕事が立て込んだとき用に本部近くに持っている部屋で、マクギリスはそろそろ寝ようと端末を閉じた。
ふと目をやると窓に雨粒がついていて、いつの間にか振っていたようだった。任官三年目にして完全にワーカホリックだ。最近副業も始めたのでさらに忙しい。
玄関の呼び出し音が鳴り、ドアを開けるとガエリオが立っていた。ずぶ濡れというほどではないが雨に濡れている。
どうした、と訊くべきなのかと思ったが、なんとなく察せられたのでなかに入れた。タオルを渡しても動かないので頭を拭いてやると、ガエリオはタオルごとマクギリスの胸にもたれかけてきた。
「慰めてほしいのか?」
自尊心を刺激するような物言いはガエリオには禁物なのだが、特に反発もなく顔を伏せたまま頷いた。
「一応言っておくと、俺に対して最低だぞ、おまえ」
「すまん」
マクギリスはわざとらしくため息をつくと、ガエリオの背中に腕をまわし軽く叩いてからさすった。
ガエリオには最近入れあげていた令嬢がいて、特に悪くもない相手だとマクギリスは見ていたのだが、何事かあったのだろう。
わりと惚れっぽいし女も靡くが、結局いつもうまくいかない。女がガエリオではなくその手のなかにある権力を見ていると気づくと、傷ついて冷めるからだ。
嫌味は言ったが、別にマクギリスは怒っているわけではない。これまでにも何度かあったことだ。
さて、どうするかな、朝早いのだがな、と思いながら湿った髪にキスしていると、ガエリオが訊いてきた。
「ボードウィンの跡取りであること以外に、俺には価値がないのか?」
答えずにいると怒り出した。
「否定しろ!」
「そう言われても」
マクギリスは落ちかけたタオルを受け止める。
ボードウィンの跡取りであることに、一番誇りを持っているのはガエリオだ。
「なんて言ってほしいのか言えば、そのとおりに言ってやるが?」
頭にきたらしいガエリオが、マクギリスの手からタオルを引っ張り床に叩きつけ、足を払ってマクギリスを床に押し倒した。
マクギリスはガエリオのズボンのベルトをはずして前をはだけさせ、からだの位置をずらせて口に含んだ。ガエリオが息を飲む気配を感じながら、目を閉じ舌を使う。なにを言っても怒るのだろうし、これが一番手っ取り早い。
ギャラルホルンの美的価値観のなかで最高ランクの容姿とこの技術が、ガエリオにとってどの程度意味があるのか、マクギリスは深く考えないことにしている。
ファリド家はマクギリスが役割を理解し果たしていることを評価して、最近かなり自由にさせてくれるようになった。
ここを出て商業圏で生きるというのは現実的ではないが、稼いだ金を持って圏外圏に行くのは可能だ。
そのうちそうせざるをえないような状況になるだろうと、マクギリスは思っていた。
式当日にギャラルホルンに在籍していないと礼装を着られず、ならば特注のウェディングスーツを着てもらう、とガエリオが脅したところ、マクギリスの辞表に関してはひとまず曖昧になった。
そうなると仕事と式の準備で多忙でまったく会えないため両家話し合いの元、式までボードウィン家で過ごすこととなった。
ガエリオの妹は兄が遠くに赴任すると知って、居間で泣いた。
「そんなに長いあいだ、お兄様に会えないなんて」
と、アルミリアが縋りついているのは、ソファに座る士官服を着たマクギリスだ。生まれたときから身近にいるマクギリスに、この妹はとてもなついている。
「お兄様がいない上にマッキーまでいなくなってしまうなんて。お願い、マッキーだけでもずっとうちにいて」
そうしようか、とでも言いたげな顔でマクギリスに見られ、様子を眺めていた同じく士官服のガエリオは、勢いよく首を横に振った。
冗談ではない。単身赴任などまっぴらだ。そもそもなにを考えているのかわからないマクギリスと、物理的に距離が離れるのは危険だと思うから結婚するのだ。妹が幼いのでこれまで見過ごしてきたが、もしかして脅威なのではとガエリオは気づいた。
ギャラルホルンのルールでは妹とマクギリスのあいだに生まれても、ボードウィンの子として正式に認められる。うちのルールってクソじゃないか? とガエリオは妹を抱き上げマクギリスから引き剥がした。
「悪いが妹よ。マクギリスは俺と結婚する俺の伴侶なのだから、おまえはもっと大きくなってから自分の相手を探せ」
「マッキー、お兄さまがひどいの!」
アルミリアがマクギリスに手を伸ばすと、
「ごめんね」
とマクギリスは謝った。
「お兄様が嫌になったら私に言ってね。私がマッキーと結婚してあげるから」
「それは心強いな」
「おい」
その他大勢の女は気にならない。だが妹やカルタのような身内には、マクギリスの態度がほかの誰とも、ガエリオに対するのとも違う。
「ダメだ! マクギリスは俺の!」
「お兄さまの意地悪!」
泣き出した妹が身を乗り出してマクギリスに飛び移り、マクギリスは妹の頭を撫でた。
「ガエリオ、大人げない」
メイドが妹を連れて行くと、ガエリオはマクギリスに窘められた。
「うるさい」
マクギリスは眉をひそめたもののそれ以上言うつもりはないらしく、頭を少し降った。
「おまえ、俺のこと好きだよな?」
式もまだなのにお互い左手に結婚指輪を嵌めていながら、なぜこんな質問をしなくてはならないのだと思いつつ、訊けずにいたことを訊く。だが返事はなかった。
「おい!」
「別に嫌いではないが」
真っ直ぐ目を見て言われる。
「選択肢のないことに好悪を問われても困る」
ガエリオはショックを受けた。確かに決められた関係なので、これまで一度も確かめたことがなかった。
「だとしても! おまえは俺ので! 俺はおまえのだから!」
「そうだな」
あっさり肯定される。
「待て。いや、ちょっと待て。待つんだ、マクギリス」
「落ち着け、ガエリオ」
ガエリオはマクギリスの腕を掴んだ。
「おまえ、これまで嫌々俺につきあってたのか?」
「だから嫌いではないと言っている」
堂々巡りが面倒になったのか、マクギリスは一度視線を逸らせてからガエリオとまた目を合わせた。
「ガエリオ」
いつもより少し掠れた低い声。作った一番よそいきの表情。
「好きだ。愛してる」
ガエリオは一瞬呆気に取られ、それから怒りを爆発させた。
「おまええええ! 言い慣れてないか! 言ったことあるだろ、ほかで!」
「おまえじゃあるまいし」
マクギリスが素に戻りそっぽを向いた。これはまずいと思いぎゅうと抱きしめるが、抱きしめ返してこない。
抱きしめると抱きしめ返してくる。キスをすると必ず返礼のキスがある。だからガエリオはこれまで言葉を確認したことがなかった。
「俺は本当に、おまえが大事だから!」
返事がない。
「そ、そうだ!おまえが指輪を用意したから、俺からもなにかおまえに贈る! なにがいい?」
「別に。欲しい物は自分で手に入れる」
「そう言わず! なんでもいいぞ! 考えておいてくれ! あ、時間だ! 式のリハーサルに行こう!」
胡乱な目つきで見られつつ、ガエリオはマクギリスにキスをした。
何度目のかリハーサルにガエリオとマクギリスが式場となる公会堂に着くと、既にクランクとアインが待っていた。
「このたびは大変お目出度い出来事に、私どものような若輩者を仲人に指名していただき、誠にありがとうございます」
クランクが上半身を九十度に折り恐縮する。
「クランク二尉! やりましたよ! 仲人です!」
アインはひたすら有頂天だ。
「どなたにお頼みしても角が立ちますから」
などと言葉巧みにセブンスターズの重鎮を説き伏せ、アインに念願の仲人を任せたのはマクギリスだ。
「いや、それにしてもわたくしどもなどにそのような大役」
「自薦他薦そのほか義理でこのままでは十組は仲人を立てないといけなかったので、気にすることはない」
マクギリスは端末で進行表を確認しながら事も無げだ。ふたりはガエリオについて火星に赴任することになっているので、この件で不利益を被ることはない。
「あ、そういえば」
アインがマクギリスの前に来た。
「ファリド特務三佐がギャラルホルンを退職されたら、階級で呼べなくなりますので、その後は奥様とお呼びすればよろしいですか?」
ガエリオとクランクが同時にふたりを見た。
マクギリスは瞬きを忘れたような顔をしていて、ガエリオですら、こういう表情でマクギリスにじっと見られると緊張するのに、きょとんとしているアインのような男は初めてだ。
クランクがその体格に似つかわしくない素早さで、アインを羽交い絞めにした。
「申し訳ありません! こいつは率直なのが取り柄でして!」
マクギリスはようやく瞬きし、いや、と珍しく言葉を探した。
「ギャラルホルンには、もう少し残ることにしよう」
「え?」
と聞き返したのはガエリオだ。結婚式が終わると再度辞表を出すと言っていたマクギリスが翻意した。
「おまえ、本気か?」
「ダルトン三尉が私の呼び方を迷うのも申し訳ないしな」
「アイン。おまえ、昇進ものだぞ」
監査局長が知れば本当に昇進がありえる大手柄だが、やはりアインはきょとんとしていた。
あとで打ち合わせをするからとふたりを待たせて、ガエリオはマクギリスと誓約を交わす部屋に向かった。
このセレモニーに関しては、ガエリオも浮かれた気持ちは持っていない。
結婚式の主役であるマクギリスとガエリオは、ギャラルホルンと経済圏の有力者が集う名目にふさわしい場を提供する義務がある。采配を振るうのがマクギリスなので心配はないが、この世界の最高権力者が集うのだ。何事かあれば結婚そのものをなかったことにされかねない。
「あー、今から疲れる」
「まあ、そうだな」
マクギリスも否定しない。四方をステンドグラスに囲まれ、どの時間帯でも光を取り入れるように設計されている部屋には、ふたりとその家族だけが入る。手順の細かな変更点をチェックし、間違いがないことを確認した。
「だがこれで当面、実家も含めて小煩いお歴々と離れられるかと思うと心が躍る」
マクギリスがそこまで踏み込んで言うのは珍しいので、ガエリオはふと気になった。
「おまえまさか火星に行ったあとに、行方を眩ますつもりじゃないだろうな」
マクギリスは瞳だけ動かしガエリオを見た。
「いいな、それ」
「よくない! そんなことをしたら俺はおまえを地の果てまで追いかけるからな」
「それもいいな」
「よくない!」
腕を引っ張りリハーサルではしなくていいキスをすると、マクギリスは角度を変えて応えてきた。
「ASW-G-66 ガンダムキマリス」
「は?」
「なにかくれると言っただろう。ボードウィンの蔵にあるガンダムフレームが欲しい」
マクギリスはガエリオの目を覗き込んできた。
「え? 蔵? そんなんあったっけ」
「厄祭戦の英雄機だ。武のボードウィンのルーツ。ご先祖が泣くぞ、ガエリオ」
言われてみれば。
「そんな骨董品が欲しいのか」
「伝説のガンダムフレーム七二機のうちひとつだ。カルタもイシュー家所蔵を結婚祝いにくれると」
「ガンダムフレームを?」
カルタがやるというものを、ガエリオが惜しむわけにはいかない。
そういえばこいつ、モビルスーツが好きだったなとガエリオは思い出した。家の意向で文官となったが、士官学校の成績では武官を選択も可能だったし、実技でもほかと同じくトップの成績だった。
「えーと。それは、火星に持っていきたいということでいいのか?」
マクギリスは頷く。
問題はないだろう。ガエリオが覚えている限り蔵から出したことのない機体だ。
「おまえ、もしかして七十二機、集めようとしている?」
「まさか」
ほっとしたのも束の間、
「ヴァルキュリアフレームも集めたい。既にグリムゲルデは手に入れた」
目をきらきらさせるマクギリスを初めて見た。
モビルスーツはすべてギャラルホルンが管理しているはずだがなどと、もうこの際忘れたふりだ。
「うちの蔵にあるものは、結婚したらおまえのものでもあるんだから、好きにすればいいだろう」
「豪気だな」
「そのかわりおまえのものはおれのものだぞ」
マクギリスは肩を竦めた。
「なにも持ってない」
「俺はこれが欲しい」
腕を伸ばして抱きしめると少し間があいたが、やがてマクギリスが両腕を動かして背中に触れる直前で止めた。
「死がふたりを分かつまで?」
「まあたぶんそうなる」
「脳天的だな」
「俺にはおまえが必要だ。おまえも俺がいるだろう?」
息だけでマクギリスは笑った。それからガエリオの耳の下に唇を押し当てた。
「まあ、そうだな」
マクギリスの腕がガエリオの背中にまわった。
ギャラルホルンでは結婚式前日は友人たちと夜通しパーティという習慣があるが、マクギリスが既にボードウィン家で生活しているのと、これに参加すると大体酒が残った状態で式に遅刻させられるということで、ふたりはそれぞれ誘いを断った。
代わりに日帰り出来る離島に行った。カルタとアルミリアも一緒だ。
「なぜおまえまで」
サマードレスのカルタを、ガエリオは誘った覚えがない。
「私を邪険にすると明日のスピーチで、あんたがおねしょったれだったことをばらすわよ」
「それはおまえだろ!」
いくつになっても変わらないやりとりを続けているガエリオとカルタをよそに、マクギリスは麻のズボンの裾を折り靴を脱いで、波打ち際でアルミリアと遊んでいた。
「マッキー。明日、お花、私にちょうだいね。絶対よ」
時々来る大きな波にさらわれないよう、マクギリスはアルミリアと手をつないでいる。
「ちょっと。お待ちなさい」
カルタが聞き咎めて、砂浜をサンダルで大股で歩いてきた。
「ブーケなら私のものよ。小娘は遠慮なさい」
「お姉さま、横暴!」
「年の順です!」
「マッキー!」
「マクギリス!」
ふたりからそれぞれ腕を引っ張られ、マクギリスは笑っている。
なんだこの光景は、と思いつつ、ガエリオはビーチパラソルの下のテーブルに置かれたシャンパンをグラスに注いだ。
式のあとすぐ火星に向かうので、これはささやかながら新婚旅行の前倒しだったはずなのだが。
不貞腐れてチェアに座っているとマクギリスが来た。
ガエリオが新しいグラスにシャンパンを注いでいるあいだに、マクギリスはガエリオのグラスから残った分を飲み干した。
「あいつら、火星についてくるつもりじゃないだろうな」
いつの間にか笑い合って波と遊んでいる、カルタとアルミリアにガエリオは視線を向ける。
「まさか」
と言ってから、
「たぶん」
とマクギリスは言い直した。
「俺は嫌だぞ。姑と小姑がいる新婚生活は」
マクギリスは笑う。
「笑いごとじゃない」
「心配しなくても明後日からふたりだ」
「そうだといいがな」
ガエリオはマクギリスのために注いだシャンパンを口にしかけたが、マクギリスが顔を近づけてきたのでグラスを持つ手を遠ざけた。
「おまえに妬かれるのは悪い気分じゃない」
笑うマクギリスの腰を抱く。
「ぬかせ。マリッジブルーはもう終わったのか?」
「なに?」
「マリッジブルー」
しばし意味を咀嚼したマクギリスは、声を上げて笑い出した。
「なるほど。あれをそういうのか」
それからガエリオに唇を寄せた。
「そうだな。長かったが、終わった」