(2)
ガエリオがシャワーを浴びてガウンの腰ひもを結びながら戻ってくると、マクギリスはギャラルホルンの制服を着て部屋を出て行こうとしているところだった。
「は? おまえ、なにやってんの」
「仕事に戻る」
「夜中だぞ」
「忙しいと言っただろう」
「聞いたけど。聞いたけど、ちょっと待て」
勝手に話を切り上げ玄関に向かうので、ガエリオは慌ててマクギリスの腕を引っ張った。
マクギリスは監査局の若手、というより全監査局員のなかで一番優秀で一番仕事をこなす。
「なんだ。用はもう終わっただろう」
「ヤるだけのために呼んだみたいに言うな」
違うのか、と言いたげな顔をされる。
確かに残業続きのマクギリスに業を煮やして、強引に執務室からここに連れてきた。マクギリスが仕事が立て込んだときに使う本部近くの部屋だ。久しぶりだったのでついその気になり、まず押し倒してしまった。確かにヤりたかった。
「いや、違うぞ。話があるんだ」
「手短に」
さっきまでガエリオの下でそれなりに可愛らしいと言えないこともなかったが、今は威圧感しかない。
「内示が出た。昇進して火星に赴任する」
マクギリスは特に驚きもしないので、既に情報が入っていたと思われる。そんなことか、と言われる前に両腕を掴んだ。息を吸い込み意を決する。
「結婚してくれ」
「いつ」
「い、いつ?」
予想外の反応が返ってきた。二度同じことは訊かないという態度に、ガエリオはしどろもどろになる。
「結婚式は火星に行く前に」
「了解した」
「え?」
なにを了解されたのかわからない。プロポーズにそういうふうに答えるものなのか普通。
「式はおまえの火星赴任前で段取りする。ほかには?」
「え? あ、いや、それだけ」
「ではこれから忙しくなることだし、今の仕事をさらに早く終わらせなくてはならないので、俺は仕事に戻る」
「あ、ああ」
家が決めた許嫁で、子どものときからいずれ結婚することは約束されていた。だから確かに「いつ」という案件でしかないのかもしれないが、それなりに気を張ってプロポーズしたつもりだった。
あまりにも事務的に対応されてしまい、ガエリオは別れ際にマクギリスにキスするのを忘れてしまった。
「おはようございます、ボードウィン特務三佐。火星支部長任命決定おめでとうございます!」
始業時間ぴったりに執務室のドアを開けたアイン・ダルトン三尉は、大きな声で朝の挨拶と上官の昇進の祝福をした。
「早速本日お祝い会を企画致しました。場所と時間はメールしておりますのであとでご確認を。あ、私は本日定時に上がらせていただきますので参加出来ません」
「本日じゃなくて、毎日だろ」
「はっ。自分、新婚ですので」
入隊二年目のアインは当初人事部に配属だったのだが、一年前にセブンスターズの一員であるガエリオの直属に抜擢された。本来なら異例の厚遇であり喜ぶべきところ、アインは泣いた。人事部のクランク二尉を慕っていたからだ。
だがアイン・ダルトンはそこで諦める男ではなかった。同じ部署ならなにもしなくても毎日顔が見られるが、異動となればそうはいかない。
ここは! 打って出るしかない!
そう決意して猛アタックした結果、三か月前にゴールインした。ちなみに猛アタックに忙しかったため、ガエリオ直属となってから残業したことがない。
「結婚は! 素晴らしいです! ボードウィン特務三佐も是非お早く!」
ガエリオはアインがデスクの上に置いたカップを持ち上げた。以前はお気に入りブランドのカップを使っていたのだが、今はアインとクランクの名前入りの引き出物だ。
「割ってしまったので申し訳ありません。こちらをお使いください」
というアインの言葉をガエリオは若干疑っている。
だが新婚旅行から帰ってきてから毎日聞かされる結婚礼賛が、今朝は少し違って聞こえた。
「結婚か」
紅茶を一口飲む。
「されるんですか? 自分、仲人したいです」
「待て。どこの世界に部下に仲人を頼む上司がいる」
「何事も先駆者であれとクランク二尉が言っていました」
言ったかもしれないが、たぶんクランクはそういうつもりで言ってない。
「まあ、考えておこう」
「ではファリド特務三佐にもご挨拶を」
ふたりが婚約中であることを知らない者は、本部にはいない。
「あいつは今忙しい。またにするんだな」
「ああ、監査局はあの方がいらっしゃらないと回らないと言われていますよね。あれ? ではファリド特務三佐は火星へは同行されないので?」
ガエリオは顔をしかめた。
「まだその話はしていない。あいつめ。なんだかんだと俺に会う時間を作ろうとしない」
「避けられているのですか?」
ガエリオはカップをデスクに叩くように置いた。
「そんなことはない!」
「はあ。避けられているのですね。マリッジブルーではないですか?」
ガエリオは頭から水をかけられたようになった。
「マ?」
「マリッジブルーです。うちも結婚前に」
「おまえが?」
とてもそんな時期があったようには見えなかったが。
「いえ、クランク二尉が」
ガエリオは頷いた。それならわかる。
「なるほど、マリッジブルー」
いや、待て。いまさら?
「今更?」
と訊こうとしたところ、アインはもうカップを下げて執務室を出て行っていた。
「おめでとう。そしてご愁傷様」
カルタは相変わらずだった。突然本部にやってきてガエリを応接室に呼びつけ、ふんぞり返っている。
「なんだ、それは」
「昇進おめでとう。僻地へ飛ばされてご愁傷様」
地球圏外圏の重点的テコ入れが、ギャラルホルンの方針であると知っていて言っている。
「あと、遂に結婚するんですって? 招待状をどうもありがとう」
マクギリスが養子という立場とはいえ、七家門の子同士の結婚式だ。盛大に執り行われるし政治の場ともなる。式が半年後、ガエリオの異動はそのすぐあとの予定だ。
「招待状? もう発送されたのか」
「知らないの?」
「そういうのは全部マクギリスに任せてある」
雑多で複雑な準備だ。
「さ、いつまでもあんたのつまらない顔を見ていても仕方ないから、マクギリスに会ってきましょう」
カルタは立ち上がった。
「あいつは忙しいぞ」
嫌味のつもりで言ったが、カルタは鼻で嗤った。
「約束は取り付けてあるわ。スイーツを食べに行くの」
「はあ?」
「お酒はどうにかなるんだけど、こういうものはやっぱり地球のお店でないと駄目なのよね」
「そんな話ではなく」
ガエリオも立ち上がった。
「ここで会うならともかく、なんだケーキって」
「デートよ」
「ここしばらく俺もしていないのになぜおまえが、あいつとデート!」
あら、とカルタは目を丸くした。
「それは、本当にご愁傷様。まあいいじゃない。あなたの留守中、様子見がてらマクギリスとはちょくちょくデートするつもりだから」
「あいつは俺と一緒に火星に行くからそれはない」
「監査局の仕事は?」
ガエリオは言葉に詰まり、カルタの表情から揶揄が消えた。
「大丈夫なの、あんたたち」
本気で心配されると、それはそれで癪に障る。
「当たり前だ」
「だってついてくるかどうかも訊いてないんでしょ」
「だからあいつが忙しくて」
カルタとのつきあいはマクギリスとのつきあいより長い。子どものときに植えつけられた上下関係はおそらく永遠で、カルタに睨まれるとガエリオは弱かった。
「ちゃんと話をしてないのね?」
「だーかーら! 元々激務な上に結婚式の準備まであって、俺と会う時間がなくなってんの!」
カルタは片方の眉を上げてから、士官服に不似合いな左手のドレスウォッチで時間を確認した。
「私、着替えて化粧直ししなくちゃだから、時間がないんだけど」
「だからなぜ俺の婚約者に会うのに、おまえがめかしこむんだ」
「好きな人には最高の私を見て欲しいじゃない」
「だからマクギリスは俺と結婚するんだって!」
はいはい、とあしらったあと、
「話し合ってないってことはもしかして」
カルタは片足を前に出し、尋問体制に入った。
カルタが待ち合わせ場所としてマクギリスに指定したのは、老舗洋菓子店のティールームだった。外からはそんな部屋があることすらわからない仕様の特別室だ。
マクギリスが到着すると、既にテーブルの上にはケーキの皿がいくつも並び、白のツーピースを着たカルタは紅茶のカップを口元に運んでいた。
「ほかに頼みたければ頼むといいわ」
ガエリオを含む幼馴染のなかで長女的存在のカルタは、こういう場では支払いを担当する。こちらも私服のシャツとジャケットのマクギリスは紅茶だけ注文し、ガトーショコラの皿に手をかけると、カルタはフォークを持つ手を伸ばし最初の一口をぱくりと食べ、次いで一切れをマクギリスの口に運んだ。
「全部食べさせてあげましょうか。」
「お好きに」
マクギリスはガトーショコラを本当に全部、カルタからあーんで食べさせられた。
マクギリスはカルタの初恋の相手で今でも好かれているが、出会ったときからマクギリスはガエリオの許嫁で、その関係には暗黙のルールがある。マクギリスにとっては唯一甘えていい相手だ。
「ところで、あなた、忙しさにかまけてガエリオと全然会わないそうじゃない」
食べた気がしないので、イチゴが乗ったケーキの皿にかけたマクギリスの手が止まった。
「余計なお世話」
口元を隠して小さい声で言ったが、真正面にいるのだから勿論聞こえる。
「あ、そう。そんなふうに言うの。ふーん。せっかく結婚式ではあなた側の友人で出席してあげようと思ってたのに」
マクギリスはイチゴの乗った部分をフォークに取り、カルタの口元に運んだ。ガエリオはふたりがこんなことをしているとは知らないし、マクギリスはガエリオにこんなことはしない。
あら、と頬を染めたカルタは口を開いて、マクギリスの手ずからケーキを食べた。
「あいつ、あんたがついてきてくれるのか心配してたわよ」
「ふうん?」
「ついていかないつもりなの?」
「だからお節介」
睨まれて、マクギリスはまたケーキをカルタの口に運んだ。
「そんな話は出ていない」
「あいつはそういうつもりでプロポーズしたんでしょ。これまで随分グズグズしていたものだけれど」
それは子どもを儲けるのが目的の結婚ではないからだ。婚約しているだけで世間に両家の結びつきは見せられる。
「ずっとこのままでいくのかと思っていた」
「そうなの? 私にはここ何年かは、あいつはあんたに夢中に見えたわよ」
「ここ何年かね」
思うところがあるのか、カルタはそれには言及しない。
「あんた以外、誰もつれていかないと言っていたわよ」
マクギリスは無反応を装おうと試み、やや失敗した。
子を儲けられない結婚の場合、生殖可能な相手をひとり侍らせることができる。マクギリスとガエリオの場合は女性で、嫡子であるガエリオがこの権利を行使出来るが、それをしないということだ。
カルタはロングのタイトスカートから伸びる足を組んだ。
「嬉しい?」
「さあ」
「そういうことは先に言っておくべきだと叱っておいたわ。でもあなたもちょっと考えたらわかるでしょ。あそこは妹がいるし、なんだったらそこから養子をもらえばいいし」
「アルミリアは九歳だぞ」
「二十年経ったら二十九じゃない」
その通りなので、マクギリスは手元のケーキをやや大きく切り分け、カルタの口に運んだ。