(3)はじまり
飼い主であることを誇示するようにいつも一緒のファリド公が、その日はいなかった。
抜けられない別件があるとかで、さりとてこの会合を欠席するわけにもいかず、養子をひとりで出席させたようだ。
見た目で買われたと思われていたマクギリスは、成長するにつれ、いわゆる「優秀な子」であることを証明してみせた。七家門の同年代のなかで際立って優秀で、今では出自以外で彼をファリド家の跡取りとしてふさわしくないと表立って言う者はいない。
懇親会の会場で酒に口をつけながら、ラスタルは先ほどから年嵩の男と話をしているマクギリスを眺めていた。
からまれているな。
どのようにいなすのかと少しばかりの興味を持っていると、連れ立って外に出ていった。
「マクギリス」
通路まで出て呼び止めたのは気まぐれだ。
「久しぶりだな。大きくなったものだ」
エリオン公の親しげな様子に、男はマクギリスの腰にまわしていた手を離し、マクギリスは男に向けていた曖昧な笑みを強気な少年の表情に変えた。
「なんの御用ですか」
逃げるように去った男には目もくれず、マクギリスはラスタルを見据える。
「俺は君に嫌われるようなことをしたかな」
「別に。あなたと関わるなと義父に言われているだけです」
「義父君は、軽々しくよその男についていくなとは言わなかったかな」
マクギリスは面白いほどに不愉快そうな顔をした。
「失敬。それでは君はいいつけを守る良い子というわけか」
さらに反発してくるかと思えば、マクギリスはふっと息を吐いて微笑んだ。
なるほど、魔性と言われるわけだ。ただ美しいだけでなく、独特の輝きを放っている。
マクギリスは義父以外にはいつも親友と一緒にいて、ファリド公とは政敵にあたるラスタルは気軽に近づけない。こんなふうに面と向かって緑の目を見ることは、彼が子どものとき以来だった。
「来るといい」
「は?」
ラスタルにこんな態度を取る者はいないので、かえって新鮮だ。
「酒でも飲もう」
会場とは違う方向に歩き出すラスタルに、マクギリスはついてきた。
玄関にまわさせた車に乗り込み、走り出すなり引き寄せて口を重ねたが、マクギリスはまったく抵抗しなかった。
「きみに破滅させられたという者の噂は、どうやら本当のようだな」
それには答えず、マクギリスは一度目を伏せ再び開けた。
「それで」
言葉を切る。
「あなたと寝て、義父上に嫌がらせをする以外になんの得が私に?」
「ストレートだな」
「取り繕うことに意味が?」
端から媚びる気もない。
「俺が君の出す条件を受け入れなかったら、どうするんだ?」
子どもとはもう言えないだろうが、年下の男の言いなりになるのも愉快ではない。半ば本気でなにも与えず奪いつくそうかと考えたとき、マクギリスは車のドアに手をかけた。
走行中だ。
マクギリスがドアを開けて身を乗り出そうとするのを、ラスタルは全身で押さえこみ、渾身の力でドアを閉めた。完全にずれたタイミングで運転手が急ブレーキをかけ、前のシートに打ちつけそうになったマクギリスの頭を、ラスタルは胸に抱え込んだ。
「どういうつもりだ! 死ぬ気か!」
髪は乱れたが、ほかはまったく変わらないマクギリスがラスタルを見た。
「帰ろうと思いまして」
背筋がぞくりとした。
この綺麗なお人形はイカれているのか、それとも。
ラスタルはマクギリスにシートベルトを締め直させ、運転手には車を出すよう命じた。
少し走ってから訊ねる。
「欲しいものを言いたまえ」
「たとえば?」
「君がなにを望むのか皆目見当もつかないが、とりあえず金だな。それがわかりやすい」
マクギリスは少し考える様子を見せた。
「不動産は?」
「そんなものが欲しいのか。まあいい。それも金で手に入る」
シートベルトを外し、マクギリスはラスタルの腿の上に手を置いた。
「では、どうぞ」
顎を上げて目を閉じキスを待つかわいげのない顔に、これから楽しくなりそうだと、ラスタルは思った。