(2)野良猫に飼い主はいない
帰宅した義父の顔を見たときから、マクギリスには義父が怒っているのがわかっていた。
怒りが直接マクギリスに向いている。今日はセブンスターズの定例会議だったが、なにがあったか問うより先に振り下ろされた杖に、臓器を庇う姿勢を取った。
こういうときこの家の使用人はどこに姿を消すのか、絶対に干渉してこない。子どものときとは違い腕力で抵抗することは可能だが、一対一で適わなくなったと悟れば義父は人を呼んで息子を拘束させるか、薬で自由を奪うだろう。そんな面倒なことになるくらいなら、素直に殴られていたほうがましだった。
「どれだけ厳しく躾けたらわかるのだ」
ここまで激しく打擲すれば義父にも負担だと思うのだが、息も乱さないのは流石だと、思考を逸らせて痛みに耐える。
「よそに行ってエサをねだるとは。私に恥をかかせて気分がいいか」
ああ、と思う。なんとなく、話が見えてきた。
エリオン公か。なにを言ったか知らないが、余計なことを。
いや、義父が恥だと感じたのなら、それはそれでよいかもしれない。
髪を掴んで上を向かされる。
「あの男の前でどのように尻尾を振った」
「なんのことだか私にはわかりかねます」
白々しく答えると、肩に勢いよく杖が叩きつけられた。
「おまえは誰の持ち物だ。言ってみろ。マクギリス」
「義父上のものです」
マクギリスは姿勢を直し、跪いて義父の靴にくちづけた。
これはいくらか効いたらしい。次に振り下ろされた杖は、少し力が抜けていた。顎を掬い取られて再び上を向かされる。
「ならばそれを態度で示してみよ」
ふらつきながら膝を立て、義父の右手の手袋越しに唇を落した。
「立て」
言葉通り立ち上がり、唇を重ね舌を絡ませる。それからベルトに手をかけ、取り出し咥える。特に考えなくともなにもかもが自然に出来た。うんざりするほど繰り返した行為だ。
権力に執着する義父は精力も旺盛で、しかも年齢が行っている分達するのが遅い。
長い夜になるな。
そう思いながら、目を閉じ行為に没頭した。
偶然エレベータに乗り合わせたマクギリスに、ラスタルは声をかけた。
「今晩暇か」
壁際に寄って距離を取っていたマクギリスは、口をへの字に曲げた。
「服を脱げませんが、それでよろしければ」
「ほう。怪我でもしたか?」
「どなたかが義父上に、いらぬことを仰ったようなので」
高い襟と白い手袋はギャラルホルンの制服だが、マクギリスはいかなる場所でも着崩さない。そのわけをあえて言うのは無粋だが、夜の誘いに脱げないと断りを入れるとは、常の跡とは違うものが残っているということだ。
「俺は別に気にしないが」
敵意を隠しもしない目つきで睨まれて、ラスタルは肩を竦めた。
誰がおまえの気持ちを訊いているか、という顔だ。
とても綺麗なこの男は、普段はお行儀よく振る舞っているがたまに育ちが出る。ラスタルはそこを気に入っているが、彼を引き取ったファリド公は躾たとおり振る舞うことを望む。
二の腕を掴むと、マクギリスは身動ぎはしなかったが顔をしかめた。続いて背中を強く叩くと、歯を食いしばる。
「治療ポッドに入ったほうがいいのではないか」
「かまわないでください。今晩はなしですか?」
「ふむ。着衣したままというのは、それはそれで一興だな」
マクギリスの侮蔑の表情を楽しみながら、目的階に着いたラスタルは、「いつもの部屋で」
言い捨てて、エレベータを降りた。
義父より遥かに若いエリオン公は、義父とは違った意味で行為が長い。
狩りを楽しむように追い詰めて、挙句相手が懇願するのを見て満足するので、受け流してさっさと終わらせたいマクギリスはしつこさにうんざりする。
脚は比較的痕が目立たず、ズボンと下着は動き辛いので脱いだ。シャツだけはボタンのひとつも外さず、マクギリスはエリオン公にまたがった。
激しく動くとあちこち痛いが、意識は男のものを銜え込んでいる部分に集中させる。
「…いい」
言葉は己を酔わせるためのものだ。この痛みは悦楽。そう思い込むことで、快楽に飲まれることが出来る。
エリオン公は自分で動かず、マクギリスの好きにさせ、明かりをつけたまま痴態を見上げていた。
「君が自分でどう思っていようと、からだが覚えた感覚と言うのは消えないものだ」
「ご不満でも?」
「いいや。君が俺を遊び相手に選んでくれて、幸運だと思っているよ」
含まれている嫌味には気づかないふりをする。
「今のところ、あなたほど私に対して気前のいい方はいませんので」
望めば金でも不動産でも情報でもくれる。マクギリスもくれると見込める範囲でしかねだらないが。
いいところにあたるように腰を使っていると達しそうになり、その前にエリオン公はマクギリスの前を掴み、根元を圧迫した。
「まだもう少しつきあってもらわねばな」
つながったままからだを起こしたエリオン公は、マクギリスの腰を引き寄せた。
さらに奥まで侵入されて、マクギリスは高い声を上げる。腰を乱暴に揺さぶられて目の前がちかちかして、頭を振った。
「君はいっそ女に生まれていたら、楽に世界を手に入れられただろうにな」
そんな仮定に意味はない。それより今は全身を包む激しく甘い痺れがすべてだ。短い声を上げながら、マクギリスはさらなる快感を要求した。
「俺を好きだと言ってみろ」
男の戯れにつきあう。
「好き…っ、ああっ」
からだの一番深いところで、冷笑する自分がいる。
「好き、だから、もっと…っ」
それとは別に、男のものを奥まで欲しがる自分がいる。
エリオン公はマクギリスの耳に舌を差し入れてきた。
「君はそのうち壊れてしまうぞ」
かもしれないが、壊すのはこの男ではない。