(8)
クリュセのお嬢様学校の前で、ユージンとシノは黒塗りの車にもたれていた。
「なあ、シノ」
「おうよ」
「女の黄色い声ってよく言ったもんだよな。俺はこの年になるまでそんなもん聞いたことがなかったんだなって、今つくづくそう思ってるとこだ」
「あー、俺も」
ふたりが目にしているのは生徒の登下校のときだけ開く正門のあたり、アルミリアを迎えに来たマクギリスを取り囲もうとする女の子の群れだった。
オルガの肝煎りで誂えられた黒いスーツが似合いすぎて堅気に見えないが、良家のお嬢様にはそれがかえって良いらしい。
「すげーよな、あいつ。眉ひとつ動かさねえ」
「普通伸びねえか、鼻の下」
「伸びる伸びる。てか伸ばせ、アノヤロ」
「あれ」
紺の制服を着たアルミリアをつれて戻ってきたマクギリスが、ふたりを見て笑顔になった。
「どうしたの、ふたりとも」
「ここの警備の仕事を請け負うことになりそうで、その打ち合わせ」
「へえ」
アルミリアはふたりにぺこりと頭を下げた。気取りがなくて可愛い子だというのが、鉄華団内マクギリス保護者団の評価だ。
「俺らも事務所に戻るから、乗ってっていいか?」
ユージンがアルミリアに訊ねる。
「もちろんです」
車は鉄華団のもので、警護対象を家に送り届けたあとはクリュセの事務所に戻る。
「あの、よろしければ皆さんもうちでお茶を飲んでいかれませんか? 私、夕べケーキを焼いたので、あの、アトラさんには全然及ばないものなんですけど、よかったら」
「そりゃどうも。俺らもいいんで?」
「是非!」
マクギリスが後部座席のドアを開けて、アルミリアを乗せた。
「この色男が。毎日デートか? ちゃっかりいい娘捕まえやがって」
車に乗りざまシノがマクギリスの頭を胸に抱えて、整えてある髪をくしゃくしゃにかき回した。
「やっちまえ、シノ」
ユージンも手を伸ばしてさらにくしゃくしゃにする。
「やめろって」
と言いながら、マクギリスは笑った。
アルミリアは車のなかからその様子を見ていた。
マクギリスは無口であまり感情を表に出さないのだが、鉄華団の年長のメンバーといるときは様子が違った。
子どもみたい。
年齢的に大人と言えるか微妙ではあるが、とっくに大学までの教育を終え、鉄華団の一員として働くマクギリスが、彼らといるときは無防備な笑顔になる。
彼らが大好きなのだ。
みなそれぞれに自分の家族があるということだが、全員がマクギリスを最初の子だと思っている。
それはとても不思議なことで、とても得難いことだ。
マクギリスがたくさんの愛情に恵まれますように。
出会ったときからアルミリアはそう願っていた。
なぜだろう。
マクギリスがこれからもたくさんの愛情に恵まれますように。
「あれ? どうしたの、今日帰ってくるの早くない?」
ジャガイモの入った箱を抱えて食糧庫から出てきたアトラが、スーツの上着を肩にかけてネクタイを緩めながら歩いてくるマクギリスに声をかけた。
「今日は寄らずに帰ってきたから」
「アルミリアちゃんちに? どうしたの? アルミリアちゃん、具合でも悪いの?」
「具合じゃなくて」
「じゃなくて?」
解いたネクタイを首にかけたまま、マクギリスはアトラから箱を受け取った。代わりにアトラはマクギリスの肩から上着を取る。
「機嫌が悪かった」
「おなかでも痛かったのかな」
「おなか?」
「女の子にはあるんだよ。月に一回。繊細にもなるから、優しくしたげなくちゃダメなんだからね」
「あー」
「なあに。なにかやらかしちゃった?」
「ほかの女の子に親切にしたら口きいてくれなくなった」
アトラはマクギリスの背中の下のほうの、手の届くところをぽかぽか殴った。
「目の前で思い切りこけたから、手を取って起こしてやっただけ」
「それ、一体どういう状況なの」
厨房に着いて、箱を置く場所を指示して、アトラは腕を腰にあてた。
状況はこうだった。いつものように学校に迎えに行くと、いつものように女の子たちがマクギリスを取り囲んだ。最近はなんとか気を引こうと話しかけてきたり、プレゼントを渡そうとする娘もいるのだが全部無視していると、目の前でひとりの女の子が派手に転んだ。
わざと転ぼうとして、本当に転んでしまったのだとはわかったが、そのままにしておくにはちょっとどうかという転がりかただったので手を差し伸べた。
「それで?」
「それだけ。膝から血が出てたから、手当したほうがいいよって言って手を離した」
「それでアルミリアちゃん、口きいてくれなくなっちゃったんだ。どうしてあなたそんなにモテるんだろ」
「顔が綺麗だからだろ?」
「そうねー。赤ちゃんのときから色が真っ白ですっごく可愛いかったのに、こんな大きくなっちゃって」
また背中を叩かれて、マクギリスは顔をしかめた。
「アトラ。わりと痛い」
「もう大きいのになに言ってるの。明日アルミリアちゃんと仲直りしなさいよね」
「どうやって」
「そんなの自分で考えなさい。もう大きいんだから。あ、みんなに聞いちゃだめだよ。ろくなこと教えないんだから」
それはなんとなくわかっていたので、マクギリスは頷いた。
朝、アルミリアは鏡に映った自分の顔を見て、さらにどんよりした気分になった。
寝不足で目は赤いし顔はむくんでいる。
眠れなかったのは自分のせいで、最悪だった。やきもちを焼いて彼にあたってしまうなんて。
むくれて口をきかないアルミリアに、マクギリスは無理に話かけてこなかった。元々アルミリアが一方的にお喋りしているようなものなのに、家に辿り着くまでの車のなかはとても雰囲気が悪かった。
いつもは必ず引き留めるのにそれもせず、彼も特になにも言わず、すぐにとても後悔した。嫌われていたらどうしよう。
とにかく謝ろう。まず謝ろう。もうアルミリアのことが嫌になってしまっていて、別の人が来たらどうしよう。
玄関にいつものようにマクギリスが現れて、アルミリアは泣きそうになってしまった。
「わ、わたし、ご、ごめんなさいっ」
人がいるところではなんとか耐えて、車に乗るまでの短いあいだに声を詰まらせながら謝った。マクギリスは頭を掻いた。
見た目は王子様ぽいのだが、所作がとても男の子だ。本人が「雑に育てられたから」と、どこか誇らしげに言ったことがある。
「怒ってる…?」
「怒ったのは君のほう」
「わ、わたしは、怒ってない…ちょっとだけしか」
あと少しで門、というところで、マクギリスは足を止め、アルミリアの手首を掴んだ。植え込みの陰に引っ張られて、唇を重ねられる。
「君はほかの子と違うから」
目を見て言われて、また手首を引っ張られて車に乗せられた。
「出して」
マクギリスはアルミリアの隣に座り、今日運転手をしてくれているハッシュに声をかける。
あっという間の出来事に思考が追いついていなかったアルミリアは、車が速度を上げるにつれだんだん顔に血が昇ってきた。
キスされた。いや、それよりもほかの子と違うって言われた。言ってくれた。しかもキスされた。
真っ赤に違いない頬を両手で挟んで身悶えしていると、マクギリスが顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
ちょっと笑っている。
「…慣れてる」
こういうことに。
「初めてだって」
マクギリスはアルミリアの耳元に唇を寄せた。
「特別な女の子は君が初めて」
顔から火が出たと思った。
「て、て」
「て?」
「て、手をつないだこともないのに」
「ああ」
マクギリスはアルミリアが頬に貼りつけた手を引っ張って握った。
「じゃあ、つなごう」
それから顔が寄せられて頬にチュっとされて、ひっ! と変な声を出してしまった。
「…やっぱり慣れてる」
「慣れてないって。ほら。ドキドキしてる」
握られていた手をマクギリスの左胸に持っていかれて、さらに変な声が出た。
「おまえ、ほどほどにしとけよー」
運転席から振り返らず、ハッシュが片手を挙げた。