(8)

「マッキー、さっきから全然喋ってなくない?」
 ちゃっかりテーブルに混じったいつもの夕食時。三日月がガエリオにおかわりの茶碗を突き出しながら、隣に座るマクギリスに顔を向けた。
「食べてない」
 マクギリスはほとんど箸を動かしていなかった。なにか言おうとしてそれすら億劫なのか、持っていた箸をテーブルに置いた。ガエリオは椅子から腰を浮かせた。
 マクギリスは昼間からあまり動いていなかったが、休みの日は大体そうなので気にしていなかった。
「いつから具合が悪かったんだ」
 マクギリスの額に手を置いたガエリオは顔をしかめた。
「え、マッキー、熱あるの?」
 三日月が両手でマクギリスの頬を挟んだ。
「めちゃくちゃ熱い」
「おまえ、三日月! 気安く触るな! マクギリスも触らせるな!」
「減るもんじゃなし」
 体調不良が明らかになって隠すことに意味がなくなったのか、マクギリスは三日月のほうにぐらりと倒れてきた。
「不可抗力だから」
「…わかってる」
 三日月はぐったりしたマクギリスを抱きとめた。
 医師に往診で、疲れが出たのだろうと診断されたマクギリスは高熱で動けなくなっていた。
「三日月、おまえ留守番してろ」
 三日月を初めて寝室に入れたガエリオが、車のキーを手に言う。
「あいつが好きなもので、喉を通りそうなものを見繕ってくるから」
「いいの? 俺をおいていって」
「なにかあったらすぐ電話してこい。必要だと思ったら救急車を呼んでもいい」
「いいの? バレるよ」
「ああ」
 ガエリオがいつものように挑発に乗ってこないので、三日月も茶化さなかった。

 マクギリスが目を開けると、枕元に三日月がいた。
「すぐ帰ってくるから」
 頷いたつもりだが、うまくできたかよくわからなかった。
「注射打たれてたから、少し楽になってる?」
「…ああ」
 本当はよくわからなかった。昨日の夜くらいから調子が悪かったが、病人扱いされるのが嫌だったので黙っていた。ガエリオと暮らしていて何度かこんなふうになって、たぶん今回も、もっと軽いうちにしんどいと言えと叱られるだろう。
「むちゃくちゃ心配してたよ」
「ああ」
「愛されてるね」
「…そうかな」
「よかったね、マッキー」
「…そうだな」

 数日ぶりに家に帰ってきたガエリオは、玄関に出てきたマクギリスを抱きしめてキスした。
 唇を離すと、マクギリスは少し首を傾けた。
「煙草、吸ったか?」
「え、ああ、撮影で。匂い、残ってるか?」
 ガエリオは袖口を鼻に持っていったが、衣装は着替えたし、髪にでもついていたのかもしれない。先にシャワーを浴びてくるか、と思っていると、マクギリスが顔を近づけてきて唇が重なった。目も閉じずに舌でガエリオの歯の列を辿る。痕跡はそこにあったらしい。
ほとんど唇を離さない近さでマクギリスは言った。
「違う男としているみたいだな」
 マクギリスといて何度目か、ガエリオは心臓を鷲掴みにされた。なにを思ってそんなことを言うのかは、この際どうでもいい。
「ガエリオ?」
 リビングに行こうとしていたマクギリスが伸ばしてきた手を、ガエリオは掴んだ。再び抱きしめてズボンに手をかけると押し返された。
「ここでは嫌だ」
 眉を顰められる。
「なんで!」
「すぐそこに寝室があるのに、なぜこんなところで」
「したことあるだろ! 何度も!」
「そういう気分じゃない」
「ああ、クソ!」
 行為自体は拒否されていないので、ガエリオはマクギリスを寝室に引っ張って行った。
「食事は? してないんだろ」
「おまえを食ったあとだ!」
 なんだ、それ。と、マクギリスは笑って、自分からベッドに倒れ込んだ。

 夜遅く帰宅したガエリオは、玄関に入ってすぐ、リビングに明かりがついていないことに気づいた。
 マクギリスは朝は遅いが夜も遅い。この時間ならソファで本など読んで過ごしているはずだ。出かけるとも聞いていない。少し焦ってリビングに入ると、風を受けてカーテンが広がっていた。
 寝間着にしている白のTシャツとゆったりした生成りのズボンが、金髪と一緒に闇に浮かび上がっていた。ベランダで手摺にもたれて外を見ている。
「寒くないのか?」
 ガエリオはコートを着たまま、後ろからマクギリスに抱きついた。
「氷みたいだぞ」
 覆い被さり冷たくなっている手を握る。
「写真を撮られるぞ」
 振り向かずに言ってから気づいたようだ。ガエリオはにやりと笑った。
「日付が変わった。契約満了だ」
 移籍する新しい事務所との打ち合わせに、ガエリオは出かけていた。
「撮るなら撮ってくれだ。俺のパートナーはマクギリス・ファリドだ」
 首の後ろに鼻を埋める。
「おまえの匂い、好き」
 マクギリスは首を竦めた。
「今からふたりで役所に婚姻届を出しに行くか」
「そういうことはおまえがするんだろ」
 ふたり揃っての結婚会見もマクギリスは拒否していた。
「思い出になるのに」
「そういうのはいらない」
 この話は既に喧嘩を含めて数回しているので、ガエリオは苦笑するだけにした。
 マクギリスは、姿勢を変えてガエリオに向き直る。
「ガエリオ」
「ん?」
「子どものいる家庭を持ったほうが、おまえは幸せになれると、俺は思う」
 ガエリオはゆっくり瞬きした。
「おまえが産むのか?」
 マクギリスの右膝が上がりかけたので、慌てて止めた。
「待て! これから楽しい新婚生活なのに、タマを潰されてはかなわん!」
 安全のためにガエリオは、マクギリスの上半身を抱え込んだ。
「おまえ、子どもが欲しいのか? だったら養子を取ろう。しばらくしたらな。当分俺はおまえとふたりで過ごしたい」
 見開くと緑の瞳がくっきり大きい。綺麗だなとガエリオは見つめた。
「今、そんな話をしていたか?」
「じゃあ、なんの話だったんだ?」
 マクギリスはゆっくり頭を振った。
「なんの話だったんだろうな」
「大丈夫か、おまえ。具合でも悪いのか」
 マクギリスは吹き出して、げらげら笑い出した。夜中にさすがに近所に響く。ガエリオはマクギリスを引っ張ってなかに入った。
「お前の笑いどころが俺にはわからん」
 そう言われて益々楽しくなったのか、ソファに転がされても笑い続けているマクギリスは、両腕をガエリオに向かって伸ばした。
「ああ、そうだ」
 思い出して、ガエリオはキスの手前で動きを止めた。
「俺はまたこの先一年、おまえが好きだから」
 そんなものは絶対いらないと言われた指輪の代わりに、瞳を見ながら左手の薬指に唇を押しつけた。
 とっさに口から出たが、養子はいいかもしれない。と、ガエリオは思った。
賑やかになる。そうしたら、マクギリスの寂しさも少しは薄れるだろう。
 まあ、そのうちに。
 しばらくはふたりで、向き合って暮らしたい。

ガエマク

Posted by ありす南水