(6)
その日ガエリオの機嫌は誰が見ても悪かった。
どんなにスケジュールがきつくてもムードメーカーを務める人が珍しい。
「喧嘩でもしたのかな」
「ファリドさんと?」
「それはないんじゃね? 掌の上で転がされてる感じだし」
「ヤマギ、シノ、ユージン! 聞こえるように言うな!」
撮影所の隅で普通の音量で喋る三人に、ガエリオが怒鳴った。
秘密の関係がここまで公認になっていてよく外部に漏れないものだが、大方がマクギリスを怒らせたくないと思っているからだ。味方なら心強いが敵に回すとおっかないとみな思っていて、それは正しい。
ガエリオの不機嫌の原因は、出番待ちのタカキが買い出しから、今日発売の週刊誌を高く掲げながら戻ってきて明らかになった。
「三日月さーん! 初スキャンダルおめでとうございまーす!」
控室にいた全員が週刊誌に群がった。
「お、おおお…?」
「これは…?」
タカキの様子から、スキャンダルと言ってもイメージダウンになる類ではなく、名前が売れた証のようなものを想像していた全員は反応に困った。ガエリオは不機嫌が極まった顔をしている。
見出しは「本屋デート? 共演をきっかけに急接近!」
大型書店店内で、天井まで届く本棚の上のほうにマクギリスが手を伸ばし、見上げる三日月になにか話しかけている。そういう写真だった。
役者なので当然とはいえ、照明のあたっていない白黒写真でマクギリスは絵画のように立ち姿が美しい。
「うわあ。超絶美形」
ライドが無邪気に口にしたが、撮影現場で見慣れてしまっていた全員が、改めてそう思っていた。
写真のなかの三日月も存在感があった。マクギリスと外見上はまったく似ていないのに、血縁のように共通するものがある。
ガエリオはこの記事を、昨晩マクギリスに見せられていた。
「よく撮れているし、内容にも悪意がないし、双方事務所はOKと言うことだから」
とまったく他人事のようなマクギリスに、ガエリオは唖然とした。
「俺とは噂になったこともないのに?」
「なったら困るだろう」
至極もっともで、呻くことしかできなかった。
「あの、ボードウィンさん。なんの足しにもならないかもですが、俺もこのときこの本棚の反対側にいたんで」
オルガがおずおずとガエリオに話しかけた。
「ミカとファリドさんが本屋に行く途中、カフェにいた俺を救ってくれたんで」
「救った?」
「今度出るドラマのプロデューサーにケツ撫でまわされてたところをミカが見つけて、ファリドさんが適当なことを言って俺を連れ出してくれました」
適当なことを言ってオルガを連れ出すマクギリスの姿が目に浮かんだ外野がどよめいた。
「本屋にくっついてるとこでファリドさんに茶ぁご馳走になって、いろいろとそういうことの対処法を教えてもらったんで、これはミカとふたりでデートってわけでは」
後輩に気を使われては、ガエリオも大人げない態度を取り続けるわけにもいかない。
「タマ潰せとか言ってなかったか?」
「は?」
「ケツ触ってくるヤツにだよ」
オルガは顔を輝かせた。
「そうっす、そうっす! 最初が肝心だから思い切りいっとけって。よくご存知っすね?」
「潰されたことあるんだ?」
それまで黙っていた三日月が呟いて、ここぞとばかりにガエリオは三日月の後頭部を叩いた。
「なによ、この写真」
開店前にちょっと来いと呼び出されたのでクダルの店に寄ったマクギリスは、カウンターに週刊誌を広げて見せられた。
「ああ。三日月側の話題作り」
トレンチコートのポケットに手を突っ込んだまま、マクギリスは記事を覗き込んだ。
「いい写真だろ?」
「そうなのよ!」
クダルはカウンターのなかから身を乗り出した。
「いいわ! すんごくイイ! あんたもなんかいつものスカした感じとちょっと違うし、それよりなによりこのガキ! 三日月! なんかいいわあ!」
マクギリスは冷蔵庫から勝手にミネラルウォーターのボトルを取り出し、口をつけた。
「で?」
「インスピレーション、ビビっと来たから。アタシ、あんたと三日月であて書きするから、責任取ってよね! スケジュール空けときなさいよ。うちに客演してもらうわよ!」
「私は別にいいが。ああ、まあ三日月も問題ないかな。舞台に興味があると言っていたし、君の舞台なら話題になるし事務所も受けるんじゃないかな」
「得意の根回し頼むわよ」
マクギリスは視線だけ動かした。
「でもあんた、よくこんなの許可したもんよね。パートナーと空気悪くなんない?」
「なぜ。向こうのほうが出演作のたびに噂が立つのに」
「意趣返しってわけ?」
マクギリスは目を大きく開いた。
「そんなつもりは。いや、そうなのか?」
ボトルを片手に持って考え出したので、クダルは呆れた。
「アンタってさあ。意外と天然ちゃんよね」
ぱちくりと瞬きする顔に、けっ、とクダルは舌を出した。
「アー、ヤダ。その表情に落ちるんでしょ、みんな」
「さあ。知らないが」
「きーっ! ヤダヤダ! 八割計算。二割天然。アンタってそういうヤツよねっ!」
クダルはまだなにか言っていたが、マクギリスは聞いていなかった。
客演の話は三日月は仕事が来たと喜び、彼の事務所も乗り気だった。マクギリスのほうは、事務所はマクギリスの意向を尊重する。
ガエリオは益々機嫌が悪くなった。頓着しない三日月が食事を終えるとそそくさと自室に引き上げたほどだ。
まいったな。と思うということは、確かに意趣返しだったのかもしれない。とマクギリスは思った。
「ガエリオ」
シンクの前に立つ後ろ姿に抱きついた。
「皿が洗えない」
「そうか」
と言いながら肩に頭を乗せて離れないでいると、わざとらしくため息をついたガエリオが水を止めた。
「怒るのは止めたか?」
「おまえな」
言い争いは面倒なので、腰に回す腕に力を込めた。
「怒るのはもう止めろ」
「おまえな」
同じ言葉だが少し柔らかかった。力を入れているマクギリスのほうに少しもたれかかってきた。
「あとでベッドで覚悟してろよ」
「今すぐでもいいが?」
ガエリオのズボンのベルトに手をかける。
「皿は誰が洗うんだ?」
「俺に皿を割られたくないんだろ?」
マクギリスは一切台所関係のことをしない。
「おまえは皿を割りすぎる。なにもしなくていいから、皿だけは割らないでくれ。座っていろ」
と、ガエリオに言い渡されているからだ。割れたら困るような高い皿やグラスを使うことはないのに、とマクギリスは思っているが、そこはガエリオのこだわりなので口出ししない。
ガエリオはマクギリスの腕を解くと、向き合ってキスしてから肩を軽く押した。
「片づけてしまうからそのあいだに風呂の支度をしろ。ついでにおまえも洗ってやる」
「…ああ」
なにをするのか思い至ったマクギリスは薄く笑った。
湯気で曇ったバスルームは声が反響する。
降り注ぐシャワーの下で壁に手を突いたマクギリスは、途切れ途切れに高い声を出している。シーツを汚すことに気を遣わなくていいここでは、ガエリオはいつもより強引になる。
「マクギリス、いいか?」
滑りそうになる手を上から押さえられているマクギリスは、耳朶を噛みながら囁かれて何度も頷いた。
「おまえ、ずるくないか?」
マクギリスに答える余裕はない。
「なにかあったらからだで誤魔化そうとするの、ずるいだろ」
息を切らせて突き上げながら言っていれば世話はない。と思いながらガエリオは言った。だからいつもの皮肉の混じった言葉が返ってくると思っていた。だが、
「…ない」
「え?」
顔は伏せられていて見えないが、顎のラインを伝って水が滴り落ちている。
「俺は、それしか持ってない」
ガエリオの頭に血が上った。
いきなり質量が増したもので一番奥を突かれ、マクギリスは声を上げた。息をする間も与えず突き上げて、こんなに乱暴にしたことはない。やめなければと思うが止まらない。途切れ途切れに静止を求める声が聞こえるが、余計に煽られた。
「それ」だけにしか価値がないとは思わないが、そう思っていて差し出してくるのか。
「おまえ、馬鹿だろ」
意味なく頭を振るマクギリスには、言葉はもう届いていなかった。