(5)
人に聞かれると自営業と答えるが、ガエリオの実家は名を聞けば誰でも知っている大企業の創業者一族の一家門だ。十八のとき家は継がない役者になると宣言して、勘当された。
長らく家族とは没交渉だったが、数年前、家を出てから生まれた妹がテレビに出たいと言っているがどうしたらいいだろうと、父から連絡が来た。
人前で恥を晒す職業に就くなら出て行けと言ったのは父のはずだが、妹はよいのか。と思わないでもなかったが、児童劇団を紹介するとめきめきと頭角を現し子役のトップスターとなった。生活臭を一切消すというガエリオの所属事務所の方針で、血縁であることは伏せられている。
勘当はなし崩し的に解かれ、あるときマクギリスに一緒に実家に行くかと訊くと行くと答えてきた。その頃からガエリオは結婚について考えていて、マクギリスは家族に絶対気に入られると思っていたが、本当に無茶苦茶気に入られた。
父は特に用もなく、ガエリオ抜きで度々マクギリスを呼び出して食事につきあわせているし、妹はこっちがお兄さまだったらよかったなどと言っている。
「おまえ、なんでここにいるんだ」
リビングで三日月とゲームをしていたアルミリアは、外出から戻ったガエリオを平然と見た。
「おかえりなさい、お兄さま。撮影のあとミカちゃんに連れてきてもらったの」
アルミリアは似ているからとガエリオの妹役にキャスティングされて、当たり前だ、血を分けた妹だ、いつの間にか三日月と仲良くなっていた。
にっこり笑ってまたゲームに没頭するのはいいのだが、問題は座っている場所だ。ソファに座るマクギリスの膝の上に座っている。
ガエリオは黙って大股で近づくと、アルミリアの脇に手を入れて持ち上げた。Tシャツにショートパンツのボーイッシュな格好だが、パステルカラーが愛らしい。
「おりような。人のパートナーの膝の上から」
「お兄さまのパートナーなら、私のお兄さまみたいなものでしょう?」
九歳でも女の子は口が回る。
「とにかく駄目だ」
「あ、俺の勝ち」
空気を読まずゲームを続けていた三日月が宣言すると、アルミリアは抱っこされたまま足をばたばたさせた。
「お兄さまのせいよ! 私が勝っていたのに! ミカちゃん、もう一回!」
「いいけど」
「マッキー、お膝」
「駄目だ!」
ガエリオの肩に担ぎあげられたアルミリアの頭を、立ち上がってマクギリスは撫でた。
「私はもう出る時間だから」
「お、ああ。舞台の稽古か」
深夜に及ぶ上に時間が読めないので、稽古場近くのホテルに泊まることになっていた。
「ちょっと待て。夕食を持っていけ。今詰める」
ガエリオが弁当を用意するのを、荷物を取ってきたマクギリスは、まとわりつくアルミリアと遊びながら待っていた。
「ガリガリってマメ」
シンプルなトートバッグに弁当箱を入れ、マクギリスに渡すガエリオに三日月が言った。
ガエリオは元々料理が趣味なわけではなく、一人で暮らしていて必要だからやっていただけだが、ここで暮らすようになってかなり腕を上げた。人に食べさせるということはそういうことだ。
「こいつはめんどくさくなったら、食事しないんだよ」
「そうなの? マッキー」
「健康に影響が出ない程度に」
「サプリ飲んでたらいいってもんじゃない」
繰り返されたやり取りなので、マクギリスは黙って笑って弁当を持って出かけていった。
「お兄さま。今のお弁当、私も食べたい」
「俺も」
アルミリアと三日月が雛のように並んでいるのを、ちょっと可愛いとガエリオは思った。
ホテルの部屋に入って荷物を置いてから、マクギリスはガエリオの端末に電話をした。
履歴への折り返しだ。しばらく互いの仕事のせいですれ違うが、ガエリオは本当にマメだと思う。
屈折したことのない真っ直ぐ育ったお坊ちゃん。それがマクギリスのガエリオに対する第一印象だ。今もそうだと思っている。
ガエリオがどうして自分に興味を持ったのか今もって謎だが、あまりに傍若無人に振る舞われたのであのときは腹が立った。他人に期待しないよう感情を押さえているから、それ自体が自分としては珍しいことだとはあとで気づいた。
会えなすぎるから帰らないと言い出したときも、同じベッドでないと一緒にいる意味がないと言われたことも、一時の感情からだと思っていた。
もっと早く飽きると思っていた。ガエリオのほうが。
夜更かししないガエリオにしては遅い時間だったが、呼び出し数回ですぐに出た。
「この時間ならこっち戻ってこい。なんなら俺がそっちに行く」
「やめておけ。目立つ」
挨拶のようなやりとりだ。浮気していないか確認されているのか? と思うこともあるが、まあ、別に、と思っている。この程度は束縛だと感じない。
「今度いつ会えるんだった?」
「来週。ああ、その前におまえの父君から食事に誘われているが、来るか?」
「来るかじゃないだろ! なんでおまえだけ呼ばれてるんだ!」
「さあ。アルミリアも一緒だと思うが」
「そういう問題じゃない!」
煩いので端末を少し耳から離した。
「おまえ、無理して俺の実家に行くことも、妹の相手をすることもないんだぞ」
「無理はしてない。興味があるだけだ」
シャツの襟元を緩めて、ベッドの上に仰向けに倒れた。
「俺の実家に?」
「どんなところで育てばおまえみたいになるのかと」
「ふうん?」
ガエリオの口調が変わった。楽しそうだ。
「なにかわかったか?」
「さあ」
マクギリスは目を閉じた。
「なあ」
「なんだ」
「俺はおまえの家族に挨拶に行かなくていいのか」
見られているわけでもないのに、マクギリスは目を開けた。少しだけあった眠気が消えた。
家族について詮索されたくないと、つきあい始めた頃に言ってある。するなとかしてほしくないとか、ガエリオに言ったのはそれだけだ。
「行かなくていい」
ということは、家族はいるのだ。とガエリオは思ったが、わかった、とだけ言った。五年一緒にいて一言も言わないことを訊いていいものか迷っていた。
断片的な話をつなぎ合わせると、マクギリスがこの住居を手に入れたのは十代らしいが、経緯がよくわからない。
誰それの愛人だったとか、パトロンがいたとか、業界ではいろいろ言う者がいて、そういうのはほとんどが本当ではないとガエリオも経験から知っている。少なくともつきあい始めてからほかの誰かの気配を感じたことはないし、マクギリスはそう器用ではない。訳ありなのはそうなのだろうが、今に続いているようなことはないと思っている。
「嫌なことを訊いたか」
「別に」
ほとんど口癖のような、別に、だが、今のは少し冷たかった。やはり顔を見ながら話すべきだったか、と後悔した。そうすれば抱きしめられる。
「マクギリス」
「なんだ」
「電話越しにするか?」
「なにを」
「セックス」
少し間が空いた。
「切るぞ」
「照れるなよ」
「照れてない。ひとりでしてろ」
「だからおまえもしよう」
目を伏せ、頭を軽く振るマクギリスの様子が目に浮かんで、ガエリオはひとりで笑った。
「ガエリオ」
「なんだ」
「おやすみ」
返事をする前に通話は切られた。