(1)
閑静な住宅街よりやや庶民的な一角に、五階建てのその集合住宅はある。築そこそこ年数だがリフォームは行き届いていて、見かけによらずセキュリティは万全だ。
「へー、こんなになってるんだ」
着古したブルゾンを着てスポーツバッグを両手で持った、三日月・オーガスが部屋を見渡した。
「広い」
「五階には二部屋しかないからね。元々こちら側に私が住んでいたんだが、隣とつなげたから実質ワンフロア一部屋だ」
荷物を床に置くように示し、マクギリス・ファリドは三日月にソファを勧めた。落ち着いた色合いの布張りのソファには、エスニックカラーのラグがかけられている。
「だから玄関ドアがふたつあるんだ」
「一応部屋番号的にもこちらが五○一号室で、あちらが五○二号室だ」
マクギリスが説明する。
「なるほど」
頷いた三日月の前に黒い影が立ち塞がった。
「なるほど、じゃない。なぜおまえがここにいる」
「マッキーが来たらいいって言ったから」
けろりと答えてソファに座った三日月に、クッキーの缶が手渡される。
「茶菓子とか出してんじゃねえよ! おまえはなんでこいつを連れてきたんだ!」
自分に向かってきたガエリオ・ボードウィンに対し、マクギリスは両手をホールドアップの形に挙げた。
「家が燃えたと言うから。主役が住むところもないようでは撮影にも響くだろう」
「燃えた? はあ?」
「俺のアパートに彼女とその前の彼女がやってきて、揉めたあとどっちかが火をつけた」
三日月がクッキーを食べながら説明し、ガエリオは口の端を引きつらせた。
「なんだそりゃ。なにから突っ込めばいい? てか、おまえガキのくせに女関係荒れてんな」
「幸いボヤですんだそうだが、住めなくなってしまったと言うことだ」
「言うことだ、じゃない! まさかここに居候させるつもりじゃないだろうな」
「まさか。三階の部屋が空いているから、とりあえずそこに」
「俺、このソファでいいけど」
「いいけど、じゃない!」
そこで三日月は大きな目をさらに大きく見開いた。
「もしかして、ここに住んでる?」
それはガエリオに向けられた言葉だった。
三日月は撮影のあとマクギリスに連れられてここに来た。マクギリスの家だと思っていたので先にガエリオがいたのは、遊びに来ているくらいに思っていた。
「もしかしなくても! 明らかにそうだろう!」
確かにガエリオはラフなシャツにジーンズで素足にルームシューズ。部屋着だ。思考の時間を経て、三日月は頷いた。
「ここが五○一、向こうが五○二。そうか。あなたは五○二の人だね。そしてふたつは同じ部屋」
ブツブツ言ったあと顔を上げた。
「秘密の同棲だね」
ガエリオがマクギリスを物凄い目で見た。
「ガエリオ。紅茶を淹れてくれ」
「そんな場合か!」
「大丈夫。三日月は喋らない。喋ったら家が燃えた原因も世に出るから」
三日月は頷いた。
「取り引きだね。わかった。あ、俺、ミルクティーがいい」
「だ、そうだ。ガエリオ」
舌打ちしつつ湯を沸かしにキッチンに向かうガエリオに、そそくさと三日月もついていった。冷蔵庫を勝手に覗き、あ、豆乳ある、これがいい、などと言う。
「それ俺のだぞ」
「どうもありがとう」
三日月はガエリオに真顔で礼を述べた。
マクギリスもガエリオも三日月も、現在放映中の連続ドラマに出演中の役者だ。マクギリスは舞台、ガエリオは映画と、普段は違う方面で仕事をすることが多いが、今回たまたまテレビシリーズで共演することとなった。
ガエリオは若い女性を主なファン層として獲得したいという所属事務所の意向のため、恋人の存在についてはオープンにしないという文言が記された契約書にサインしている。破れば莫大な違約金の支払いだ。
互いの仕事について干渉しないので、受けたあとに共演がわかったが、要は撮影中普通の友人のふりをすればよいことだと、とりあえず一クール撮影を終えたところだ。
「はい、ここ。住むつもりならちゃんと契約しよう。とりあえず家賃は日割り」
マクギリスは三日月に三○一号室の鍵を渡した。
「よろしく、大家さん」
「部屋に最低限の家具はあるから」
部屋の位置を教えられ、出て行こうとした三日月をマクギリスが止めた。
「当面、女の子を呼ぶのは禁止だからね」
ファンなら卒倒しそうな笑顔だったが、三日月はわずかに左の眉根を寄せた。
「男の子は」
「友達という意味かな?」
「まあ、いろいろ」
「とりあえず相談してもらおうか」
「なぜ」
「どうしてこういうことになったのかを考えてみよう」
上を見て下を見てから三日月は、
「わかった」
と答えた。
「ど う い う こ と だ 。せ つ め い し ろ」
ソファに座ろうとしたマクギリスの前に、ガエリオが立ちはだかった。
「取引さ」
「はあ? 駆け出しの坊やの過ぎたおいた程度と、こっちがバレるのと同じ重さか!」
「違う。取引相手は監督」
「は?」
怒り続ける恋人の肩を軽く押して、マクギリスはソファに座った。
「三日月の素行を監督する代わりに、俺たちのことが公にならないように協力すると約束させた」
ガエリオの目が丸くなる。
「話したのか!」
「このままでは自由すぎる三日月のプライベートのせいで撮影に影響が出るかも、と相談を受けたので、ちょうどいい機会だと判断した」
マクギリスの笑みは人をねじ伏せる笑みだ。わかっているので、ガエリオはマクギリスの隣に座った。
「おまえ、政治家か弁護士のほうが向いてるだろ」
「興味ないな」
「知ってる!」
ガエリオは仰向けに寝て、マクギリスの膝の上に頭を乗せた。
「知らないからな」
「心配ない。三日月は賢い子だ」
「おまえ、あいつをやけに気に入ってないか」
「そうか?」
顔を近づけてきたマクギリスの首に腕を伸ばし、ガエリオはさらに引き寄せた。
キスをするとき、マクギリスはぎりぎりまで目を閉じない。だからガエリオはぎりぎりまで緑の瞳を堪能する。
触れる直前、唇が動いた。
「おまえも気に入る」