初詣
十二月三一日午後十一時。アルテミス神社駅前。
それがAA学園生徒会ぷらすアルファの、初詣のための集合場所だった。
「ほら、マリュー、行くよ」
「ちょっと待って。あと少し」
口紅の蓋を閉めたマリューは、慌てて手で髪を撫で付ける。
「遅れたら、生徒に示しがつかないだろ」
「さっきまで用意できてたのに、あなたがぐしゃぐしゃにしちゃったんじゃない!」
「あ、ごめん」
マリューに睨まれて、フラガは素直に謝った。
「マフラー、マフラー、あーん、もういいっ、マフラーなしで!」
「外、結構寒いぞ。そこのストール巻いてけよ」
「じゃ、そうする」
くるくる表情を変えて、ちょこちょこ動き回るマリューを、フラガは幸せを噛み締めながら眺めていた。
ブーツを履いて、マリューがにっこり顔を上げる。
「はい、お待たせ。行きましょう」
バッグを持ってやって、手を取って握ったまま自分のコートのポケットに入れて、それでフラガの支度も完了だ。
靴箱の上には、マリューの作ったおせち料理の入った重箱が、風呂敷に包まれて置かれている。
生徒たちの初詣に付き合ったあとは、バルトフェルドの店での新年会に行くことになっているので、一旦戻ってきて、おせちを持って、すぐ出かける算段だ。
「どきどきしちゃう。あなたのお友達がたくさんいらっしゃるのよね」
「…連中がなに言っても、あんま気にしないようにね」
どういうわけか、はるばるオーブ学園から、キサカやエリカ・シモンズまで来るらしい。
エリカは旦那の実家がこっちなのでまだわかるが、キサカは絶対「フラガを墜とした女」を見に来るのだけが目的だ。
そのほかにも、フラガのろくでもない過去を知っている奴らばかりだ。フラガとしては欠席したいくらいだが、バルトフェルドに言葉巧みに誘われたマリューが楽しみにしているので、仕方がない。
駅に着くと、もうほとんどのメンバーが集まっていた。
「せんせー!」
ミリアリアが手を振ってくれる。
「あら、ミリアリア。着物、よく似合っているわね」
「へえ、可愛いじゃないの、お嬢ちゃん」
「ありがとうございまーす」
マリューとフラガに誉められて、ミリアリアは袖を持って、ポーズをつけた。
「マリューも着物着ればよかったのに」
フラガの言葉に、全員の耳がぴくりと反応する。
マリュー?
「持ってないのよ。そんな高価なもの」
「じゃあさ、来年のクリスマスには着物をプレゼントするよ」
「いいわよ、そんな。滅多に着ないのに、勿体無いですから」
「だって俺、マリューの着物姿、見てみたいもん」
「…もう、ムウったら」
ムウ?
また全員の耳がぴくりと動いた。彼らがフラガとマリューに会うのは、終業式以来だ。たった数日前だが、ふたりの雰囲気がなにか違う。
先生方、うまくいったんだー
というのが全員の感想。
マリューの部屋に同居したものの、進展している気配がないことは、生徒にさえもバレバレだった。
しかもただ手を握っている、とかそういうことではなく、ふたりが発するオーラがどうにも違う。関係ない擦れ違う人まで、フラガとマリューを振り返っていくのは何故だ。
「なんかさ、ふたりの周りだけピンク色だよね…」
カズイが陰気な声で呟いた。
「結構人手あるなあ。マリュー、離れ離れになると困るから」
「ん」
フラガは手を離すと、マリューの腰を引き寄せる。
「…あんだけくっついたら、歩きにくいだろ」
サイが呟く。
「…ノイマン先生」
「はい」
拳を握り締め、押し殺した声を発するナタルから、ノイマンは一歩離れる。
「あのふたり、今後、学校でもずっとああだと思うか」
「そうですねえ。全然人前だって、意識ないみたいですからねえ」
あれがあの人達にとっては自然な状態なんじゃないですか、とノイマンが言うと、ナタルの拳に血管が浮かび上がった。
「ふしだらだ…あまりにもふしだらすぎる…」
そういうナタルは潔癖すぎるのだが、確かに世の中にカップルは数あれど、目の前のフラガとマリューほどいちゃいちゃしているカップルは少ない、と思うノイマンだった。隣で若いカップル、ミリアリアとトールが早速感化されている。
「フラガ先生はわかるけど、マリュー先生までメロメロになっちゃってるみたい」
「ミリィ、僕たちも負けないように…!」
フラガの真似をして、ミリアリアの腰に腕をまわそうとして、トールはビンタされる。
「先生たちは大人でしょ!」
独り者同士、サイとカズイは虚しい思いを隠しつつ、点呼を始めた。
「あと来てないのは、キラだな」
「オルガくんたちもまだ…」
マリューが言いかけたとき、だらだらと歩くオルガ・クロト・シャニの姿が見え、マリューは大きく手を振った。
「マリューせんせー!」
駆け寄ってくる三人。
「マリュー先生、明けましておめでとうー!」
「それはまだちょっと早いわね。…あら、ちょっとお酒臭い?」
マリューにくんくんと匂いを嗅がれ、クロトは飛び上がった。
「未成年なんだから、お酒は飲んじゃ駄目よ。冬休みでもハメを外しちゃ駄目。わかった?」
三人は焦った様子で頷いた。
「お幸せそうですね。フラガ先生」
突然背後から声をかけられて、フラガが振り返ると、紺のダッフルコートを着たキラが、にっこり笑って立っていた。
「よう、キラ」
「ぼくのクリスマスプレゼント、役に立ちました?」
「おかげさまでな。おまえのクリスマスは血を見ることもなく終わったのか?」
キラはさらににっこり。
「お正月の予定も立て込んでますから、目下の目標は、こちらを平穏無事にスルーすることです」
がんばれよー、とフラガはキラの肩を叩いた。そしてふと思い出す。
「そういえば、おまえの双子のきょうだい、とかいうクルーゼの話。あれはどうなった。あっちはガセだったのか?」
「…いえ。どうやら本当にいるみたいです。クルーゼさんもそれが誰かまでは知らないようですが」
キラは少し目を伏せた。
「捜すのか?」
「縁があるなら、いつかどこかで会えますよ。新しい年はぼくは前向きに生きるんです」
底知れぬ雰囲気を持つキラが、前向きに生きたらなにか怖いような感じがするな、とフラガは思ったが、口にはしなかった。
道沿いに出ている屋台などをひやかしながら、一行はゆっくりと神社に向かった。マリューが腕に頭をもたせかけてくる。
「なに?」
促さないと、マリューは時々自分の思っていることを言葉にしない。
「来年もこうして、あなたと初詣に来られたらいいなあって」
「そりゃ、行くでしょ」
即答すると、マリューは上目遣いにフラガを見上げた。
「…絶対?」
「絶対。指きりしようか?」
マリューが胸に手をあててすぐに離したのに、フラガは気づかない振りをした。
ペンダントはそのうち、彼女が自分ではずすときが来るだろう。
フラガがひとつひとつ、彼女とのささやかな約束を守っていけば。
小指を差し出すと、マリューの細い指が優しく絡んだ。