7 いざ決戦!(1)

「肋骨が折れてますね」
AA学園保健の先生は、童顔なのにとってもクールだ。フラガは診てもらうために上げていたシャツを下ろして、笑って見せた。
「でも大丈夫ですよ、とか。心配ありませんよ、とか言えよ」
ノイマンは横目でフラガを見た。その顔には呆れと諦めが、半々に浮かんでいる。
「病院に行ったほうがいいですよ。今だって随分痛いでしょう」
「病院、嫌いなんだよね」
「子どもですか」
「それに今日、体育祭だしさ」
フラガは保健室の丸椅子に座ったまま、くるくる回った。そんなことをしても痛みが紛れるわけではなかったが。
「まさか出るつもりですか。PTA、職員合同障害物競走」
「おう。おまえだって賭けてるんだろう」
ノイマンは眉をひそめる。
「俺はキラに賭けましたので、先生が不参加でもかまいません」
「俺はかまうんだよ。俺が怪我してること、誰にも言うなよ」
「死にますよ」
大袈裟だが、意外に本気なノイマンの言葉に、フラガは肩をそびやかした。
「馬鹿言うな。それより痛み止めとか打ってくれよ」
「学校の保健室にそんなものないです。とりあえず鎮痛剤飲みますか?」
気休めですけどね、と言いながら、ノイマンは市販の錠剤をくれた。既に飲んでいたし、まったく効いていないのだが、とりあえず水と一緒に飲み下す。
肋骨程度なら、無茶していた頃に折ったことがある。ヘンなふうに折れて、内臓に刺さったわけでもなさそうだし、それなら痛いのを我慢すればいいだけだ。
別にフラガは障害物競走にこだわって、今日出てきたわけではない。襲ってきたのが連中だったことが心配なだけだ。
連中が心配なのではなく、連中を信用しているマリューが心配。元から、なにが起こるかわからないと思っていた体育祭だ。
「先生、こんなところでさぼってたんですか? 急いでください。もうすぐ開会式ですよ」
体操服のトールが保健室に駆け込んできて、フラガの腕を引っ張った。
なにも言うなよ、とノイマンに目で釘を刺して、フラガは運動場に向かった。

教師や生徒会メンバーが、忙しく出入りするテントに、女子生徒用の体操服とグレーのタイトスカート着用のマリューがいた。
「フラガ先生。今日は頑張りましょうね」
フラガにとっては、痛みも吹き飛ぶ最高の笑顔だ。つられるように微笑んでしまう。
「あのさ、あいつら来てる?」
「あいつら?」
「ドミニオンからの三人組」
「ああ。オルガくんとクロトくんとシャニくんなら、さっき挨拶してくれました。彼らがなにか?」
「いや、来てるんならいいんだ」
マリューは少し変な顔をしたが、そこにアスランとザフトの面々が現れたので、話が途切れた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるアスランに、サイが出てきて頭を下げる。
開会式でマードックの歌う、校歌のピアノ伴奏をすることになっているニコルはともかく、なぜかイザークとディアッカまでついてきている。
体育祭を荒しにきたのか、と思わず勘繰ってしまいそうだが、彼らの目的はすぐに知れた。イザークは小さな花束を持っていて、いそいそとマリューに近づいた。
「あの、マリュー先生」
「まあ、イザークくん。見学に来てくれたの?」
「はい。…名前、覚えていてくれたんですね」
はにかむイザークなど、滅多に見られるものではない。それこそ、イザークの母上くらいしか見たことがないだろう。イザークは拳を握り締めると、くるっと後ろを向いた。
「…ああっ、この声、やはり母上と同じだ…!」
「え?」
再びくるっと元に戻り、花束を差し出す。
「これ、よろしかったら」
「まあ、ありがとう」
なんだか体育祭にそぐわない遣り取りをしているふたり。一方ディアッカは、マイクテストをしているミリアリアに近づいていく。
「おい、おまえさあ」
ぞんざいに声をかけられて、ミリアリアはむっとした顔で振り向いた。
「あんたにおまえ呼ばわりされる覚えはないけど」
睨まれて、ディアッカは少し怯んだ。
「えっと、名前、知らないんだけど」
「ミリアリアよ。みんなミリィって呼ぶけど、あんたは呼ばないでよね」
「俺もディアッカって名前があんだけど」
「そう。で、」
なに? と聞かれてディアッカは困った。実はディアッカは先日のプラントの文化祭でミリアリアを見て以来、その姿を夢に見ること三回、思い出すこと度々なのだ。
だからアスランがAA学園に行くのに、便乗してついてきた。だが黙っていてもモテる者の宿命で、これまで本気で女の子を口説いたことのないので、まさか素っ気無くされるとは思っていなかった。
「いや、俺さ」
「ミリィ!」
ディアッカが口篭りながら言いかけたところに、トールがミリアリアを呼びにきた。
「トール!」
ミリアリアがそれまでの仏頂面が嘘のように、ぱっと笑顔になる。
「俺のほう終わったけど、ミリィ、まだかかりそう?」
「ううん。もう終わる」
そこでトールが、突っ立っているディアッカに気づいた。人懐こいトールは条件反射的に満面の笑みになる。
「あ、ザフトの! 見に来てくれたんだ。楽しんでいってよね!」
この瞬間、ディアッカの負けん気に火が点いた。
現在ミリアリアに彼氏がいることはわかった。だがそれがなんだというのだ。明日のことなどなにも定まっていない。
ミリアリアを巡って壮絶なバトルの幕が上がったことを、トールも当のミリアリアもまだ知らなかった。

「じゃあ、アスラン。ぼくはちょっと行ってきます」
「ああ、ニコル。頑張れよ」
その場にいる人たちに軽く頭を下げ、ニコルは音合わせのためにテントを出て行った。ちなみにニコルはプラント学園の中等部の学生だが、特に優秀なので高等部のザフトに加わっている。
ニコルを見送ると、アスランはすみっこにいたフラガに近づいた。
「先生」
「おう、アスラン。わざわざご苦労だな」
「いえ、あの」
アスランは一度俯き、それからなにかを決心したように顔を上げた。
「キラ、は来ていますか」
「まだだ。昨日マリュー先生が電話したら、必ず行くと言ったらしいから、大丈夫だとは思うが」
「そうですか」
ふっ、と前髪を揺らして憂い顔を隠す。
中等部の頃からキラとアスランは目立っていたから、フラガもよく知っているが、それはそれは仲が良かった。どちらかを見かけると、必ずどちらかが傍にいる、といった具合だ。
こいつかキラかどっちかが女だったら、間違いなくできちゃってるよなー、などと、フラガは無責任に思った。
「フラガせんせー、おはよーございまあーす」
間延びした、しかし主張のある声が響く。
「あれ、フレイ。中等部は授業あるだろ」
「だあってえ。パパとキラが出るんだもーん。今日は学校休んじゃったあ」
フレイがいるだけで、華やかになるのと同時に、場に落ち着きがなくなる。どこか人の気持ちを逆撫でするようなところがあるのだ、フレイという少女には。
元婚約者のサイは、複雑な顔で遠くからフレイを見ている。なにがあったのか知らないが、ふたりはいつの間にか婚約解消していた。
「観覧席にいたら日焼けしちゃうから、ここにいさせてくださあい」
返事を待たずに、フレイは貴賓席の後ろを陣取る。
「ああ、アスラン、おまえも、出番が来るまでこっちで…」
言いかけて、フラガはアスランの表情にぎょっとした。クールを通り過ぎて、ぼんやりしているようにさえ見えるアスランの顔に、非常にわかりやすい感情が浮かんでいる。

この女のせいでキラは…、キラは…っ!

ぎりり、と歯軋りの音が聞こえてきそうだ。フラガは本能的にアスランから一歩離れた。
  おーい、アスラン、おまえ、なにか間違ってるぞー
心の中で呼びかけはするが、人のなんとかには絶対口を挟むつもりのないフラガだった。

いよいよ開会式の時間が迫り、貴賓席に理事長やらPTA会長やらがお着きになる。
アズラエルはいつものスーツ、クルーゼもいつもの白いひらひらした服だ。ふたりともこのまま競技に参加はしないだろうから、あとで着替えるのだろう。やや遅れて、ハルバートン校長も誰かと談笑しながら現れた。
「校長先生?」
呟いたのは、アスランだ。
「やあ、アスラン。プラントを代表して、今日は頑張ってくれたまえよ」
片手を挙げて、バルトフェルドは笑った。そして笑顔のまま、フラガにも手を振る。普段でも男にそんなことをされても嬉しくないが、時期が時期なのでさらに嬉しくない。
「なんでおまえまで来るんだよ」
「いやあ、こちらの校長にも誘っていただいてねえ。それになんだ? 楽しいイベントがあるそうじゃないか。教えてくれないとは、友達甲斐のない奴だ」
フラガもなんでもかんでも冗談にしてしまう質だが、バルトフェルドはその上を行く。
「あのなあ、俺、今、おまえと友達だからって、プラントのスパイ呼ばわりされてるんだけど」
「おお、それもこちらの校長から聞いた。いやあ、愉快だねえ。おまえの何億するか知らんマンションを
賄賂として渡したなんて、ボクも大物だと思われたものだ」
心底楽しそうなバルトフェルドは、ハルバートン校長と話をしているマリューを目敏く見つける。
「で、あれが例の彼女だな。アイシャから聞いた特徴とぴったり合う」
おい、余計なこと言うなよ、とフラガが注意するより先に、バルトフェルドはマリューと目を合わせて会釈した。礼儀正しいマリューが、そのままにしておくはずがない。フラガとバルトフェルドの方に近づいてきた。
「プラント学園高等部の…?」
「アンドリュー・バルトフェルドだ。はじめまして、というのもヘンだが」
「…?」
「フラガがからお噂は色々と。あなたのイメージでブレンドしたコーヒーは、お気に召していただけたかな」
ああ、とマリューが笑顔になる。
「あのコーヒーの…! とてもおいしかったです。ありがとうございました」
マリューとの遣り取りを見ていたフラガは、バルトフェルドの背中に、跳び蹴りを食らわしてやりたい衝動に襲われた。
 おいこら待て。俺はおまえにマリュー先生について、ひとっことも話してねえ! なんて調子のいい奴だ!
自分の調子のよさは棚に上げて、憤る。
「フラガとは腐れ縁でねえ。お望みなら昔話をお聞かせしよう」
「まあ」
だから、おいこら待て。
思わず拳を握り緊めたとき、校庭にピアノの音がぽーん、と響いた。

どうやって運んできたのか、グランドピアノがどーんと置かれ、その前にニコルが座り、マードックと音合わせをしていた。
ザフトの赤を着たニコルはともかく、作業服の襟元にいつもの汚いタオルを巻いたマードックは、
どう見てもテノール歌手には見えない。
しかしニコルは少し興奮気味だ。
「うわあ、マードック先生の伴奏を務められるなんて、ぼく、本当に光栄です。先生の出されているCDは全部持っていますし、先日のコンサートにも行かせていただきました」
「そうかい。あんたも留学が決まっているんだってな。頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
世界的なテノール歌手、コジロー・マーッドクがなぜAA学園の音楽教師をしているのかは、学園七不思議のひとつだ。
 ヘンな学校。
自分がそこの教師であることを忘れたフラガの感想だ。
「プラントとAAの未来を象徴するような、素晴らしい光景ではないか。なあ、フラガ」
フラガはどこまで本気なのかわからないバルトフェルドを、横目で見る。
「いやはや、バルトフェルド校長の仰るとおり、これから両校の関係も、あのふたりのようにありたいものですな」
「いやいや、是非とも」
ハルバートン校長と握手するバルトフェルド。ふたりとも狸だ。貴賓席に目をやると、理事長と教頭が、けっ、といった顔をしていて、クルーゼはほくそえんでいる。
「フラガ先生、生徒を入場させてよろしいですか?」
進行表を手にしたマリューに訊ねられる。
「そうだな。そろそろ」
指示を出すためにアナウンス席に行こうとしたフラガの腕を、バルトフェルドがちょい、とつついた。
「顔色が良くないようだが、大丈夫かね」
さすがに砂漠の虎は鋭い。フラガは思わずぎくりとしたが、表情に出す代わりに、にやりと笑った。

体育祭はマードックの歌うAA学園校歌で始まった。
ニコルの伴奏も素晴らしく、ブラボー、ブラボー、と拍手が止まらない。アンコールに応えて三回ばかり校歌が繰り返され、マードックとニコルはピアノの前で固く握手し、退場した。
順番では次は校長の挨拶だが、勢いよく理事長が立ち上がった。生徒会がプログラムを作るにあたって、理事長に挨拶しないかお伺いを立てたとき、
「なんでボクが生徒の前なんかに立って、挨拶しなくちゃなんないんですか~あ。お子さまにボクの言葉のありがたみなんか、わかるわけないんですからあ」
などと、片眉を吊り上げて言ったのを、忘れたらしい。壇上に立ち、マイクをスタンドから外し、まずはポーズをつける。
ちなみにスーツはいつもと同じ水色だが、同じ色、形のスーツを理事は百着持っている、との噂がある。
「理事長のムルタ・アズラエルだ」
どこにでも権力に弱い者はいる。生徒のあいだから、ぱらぱらと拍手が起きるのを、理事長は満足気に受け止めた。
「さて、では今日はボクの出場する素晴らしい障害物競走を、勿体無くもありがたく、きみたちに見せて差し上げよう」
違うだろう、と生徒一同が心のなかで突っ込むが、世界は自分のために、の理事長には届かない。
「では、この場で発表しておこう! 障害物競走の勝利者には、AA学園の天使長から、祝福の口づけが与えられる!」
おおおっ! と、生徒がどよめく。教職員もプラントからの客たちもどよめく。
 なんかやるとは思ったが、そうきたか、理事長。
クルーゼがまたほくそえんでいるが、理事とどこまでつるんでいるのか。
考えながら、景品にされてしまった隣に立つマリューを見ると、全然平気そうな顔をしていた。フラガに見られているのに気づいて、マリューもフラガを見る。
「フラガ先生。天使長ってなんですの?」
体中の力が抜けて、フラガは思わず地べたにへたりこみそうになった。
天使長、それはあなたのことです。マリュー先生。
おそらくあなたを除く、この場のすべての人がわかっています。
「フラガ先生?」
「さ、さあ。俺にもよくわからないなあ」
「そうですの? 理事長もおかしなことを仰いますわね」
「そうだなあ、ははは」
マリュー先生、いくらなんでもちょとニブすぎ…
フラガはなんだかすごく不毛な気持ちになった。

波乱の幕開け、開会式が終わり、競技が始まった。
例年ならばフラガはあちこち動き回り、生徒と一緒に大はしゃぎするのだが、今日はテントの隅に折りたたみ式の椅子を持ってきて座った。
障害物競走に向けて集中しているのだとか、さすがのフラガ先生も緊張しているのだとか、周囲は好きに解釈してくれるので助かる。
ノイマンが合間を見つけて近寄ってきて、フラガに耳打ちする。
「看護士をしている友人に、きつめの鎮痛剤を持ってきてくれるよう頼みました。昼過ぎには届きますから」
「悪りぃな」
「いえ」
じっとしている分にはなんでもないが、走るとなればちょっときついかもしれない。クルーゼとアズラエルの存在感をひしひしと感じながら、フラガは歯を食いしばった。
オルガ、シャニ、クロトも競技はさぼっているが、いつもと変わらない態度だ。とりあえず競技までなにもないことを祈りつつ、校庭を見渡したが、虚しい願いだったことがすぐにわかった。学園関係者以外の知った顔を見つけて、フラガは立ち上がった。
「おーい、こんなとこでなにしてるんだよー」
保護者席にいた美女が、手にしていたオペラグラスを下ろした。
「あら、フラガ。久しぶりねえ」
「ああ、ほんとに。で、オーブ学園のエリカ・シモンズ教頭が、うちになんの用だよ」
オーブ学園。
AA学園とプラント学園が東の雄ならば、オーブは西の雄。教育評論家のウズミ・ナラ・アスハが自らの教育理念を実践するために作った学園で、AA、プラントと同じく、自由な校風と独自のカリキュラムで優れた人材を輩出している。
そのオーブ学園高等部教頭、エリカ・シモンズがどうしてAA学園の体育祭に来ているのか。招待席にいないということは、来ることをAA側に連絡していないということで、ということはお忍びだ。
「うち、今いろいろ取り込んでるんだよ。厄介ごとなら勘弁してくれよな」
「やーねえ。人を疫病神みたいに。まあ、ぴりぴりする気持ちもわかるけど。貴賓席にいるのはクルーゼ? あなたと彼って、ほんとに腐れ縁なのねえ」
エリカは片手を口の前で立てて、ほほほ、と笑った。
「障害物競走ですってね。最終決戦だから時間のある者は見に来いって、砂漠の虎が皆にメールしてたわよ」
 あのヤロー、面白がりやがって。
フラガはバルトフェルドの方にガンを飛ばす。
「まさか、見に来たわけじゃないだろ」
「来たからには、見るわよ。でも、ま、私はヒマ人じゃなくてね。おシゴトよ、おシゴト。うちのじゃじゃ馬姫の転校先を探してるの」
「って、アスハ代表のお嬢さん? 転校するの? オーブ学園を?」
「うちの姫、今反抗期なの。それがひどくってね~困っちゃってるのよ。で、外の世界でも見せようってことになったのよね~かといって、よく言えば自由奔放、悪く言えば野放しで育った姫を普通の学校に入れるわけにもいかないし。AAかプラントあたりがいいかなってことなのよ~」
エリカがやたら語尾を伸ばして話すときは、たいてい話の内容に問題がある。フラガはアスハ代表のひとり娘が十五、六歳だということしか知らないが、どうやらかなり手のかかる姫らしい。
「うち、いろいろ揉めてるぞ。おまえなら知ってるだろうけど」
「あー、あのキレやすそうな理事長ね。けど、あの人、こんなところで遊んでいていいのかしら。本業の方、周辺騒がしくなってるみたいだけど」
オーブ学園の経営にも携わっているエリカには、様々な情報も手に入るらしい。
そういえば、アズラエルコンツェルンの株価が動いていたなと、フラガは今朝家を出る前に見た株価サイトを思い出した。
思わず顔が険しくなったとき、
「あら、あなたの天使長さんが来たわよ」
「フラガ先生」
エリカとマリューの声が重なって、かなり素に近くなっていたフラガはちょっと慌てた。ひょっとするとマリューといるときが素なのかもしれないが、長らくこれが自分だと思っていた状態とあまりに違うので、こういうふうに同時だと切り替えが難しい。
そんなフラガを、エリカは心底楽しそうに眺めた。
「そういえば、鷹、遂に落ちるって、バルトフェルドのメールに書いてあったわね~」
うふふ、と笑って、エリカはマリューと反対の方向へ身を翻した。
クルーゼとの決着が着いたら、バルトフェルドを一発殴ってやろうと、拳を握り締めてフラガは誓ったが、ふと気づくとマリューにすぐ近くでじっと見上げられていた。
「フラガ先生、次の競技が終わったらお昼ですけど、どうなさいますか?」
職員には弁当が至急されるが、マリューは弁当を持ってきていた。一緒に食べようと誘ってくれているのだとわかったが、今日のフラガはとてもなにかを食べられるような状態ではない。
「あー、俺、ちょっと用が」
マリューの顔からすっと笑みが消え、フラガが見たことのない表情が浮かんだ。
目を伏せ、唇を噛み、悲しそうというか悔しそうというか。
「そう、そうですの」
「あ、いや、その」
いつもと違うマリューの反応に、フラガは途惑う。
「まあ、おなかでもこわされているんですか?」とか大真面目な顔で聞き返してくると思っていたのに、なんだかものすごく酷いことをされたかのような、斜め四五度への視線の落し方。
「先に約束しちまって」
言わなきゃいいのに、取り成そうとして余計なことを言ってしまう。
「先程の女性の方とですか?」
「え? あ、エリカ?」
当たり前だが、約束などというのはでまかせだ。それに間に合わせでも、エリカと飯なんか食う気はない。そんなことをすれば、嫌味とからかいと高笑いで腹が一杯になるに決まっている。
「いや、エリカは昔のダチで、偶然会っただけ」
マリューが顔を歪めた。
「…フラガ先生って、女性のお友達が多いんですね」
「え?あ、そう?」
そんなことは、ない、と思う。昔ならいざ知らず、今は。
マリューがなにを言いたいのかわからず、フラガは益々途惑う。マリューはそんなフラガを睨んだ。
「もう、いいです」
「え? マリュー先生? なにがもういいの?」
背を向けかけたマリューの腕を掴むが、勢いよく振りほどかれた。
マリューは瞳を潤ませて、怒鳴った。
「ほっといてください! 先生はお友達と仲良くされていればいいでしょう!」
フラガに向かってマリューが、大きな声を出したのは初めてだった。呆気に取られたフラガの顔をもう一度睨んでから、マリューは走っていってしまった。

マリューを怒らせた。
どうやら泣かせてしまったらしい。
そのことがショックで、フラガは生徒と保護者が見ているのにも関わらず、その場に立ち尽くした。
だが理由がわからない。
昼食の誘いを断ったからか?
忙しくて、手弁当を一緒に食べることのできなかったことは前にもあったが、そのときはフラガの分を、体育教官室の机の上に置いてくれていたマリューが?

フラガ、いっぱい遊んだノニ、女ゴコロ、わかってないネ。

突然アイシャの声が頭に響いた。
あのときは、なに言ってんだ、と思った。
マリュー先生がそんなことで、感情的になるわけがないじゃないか、と。だが今回はそうだと思わないと説明できない。

ひょっとして、マリュー先生、ヤキモチ焼いた…?

Posted by ありす南水