4 クルーゼの挑戦
メモを見ながらフラガはクルーゼ邸を探した。
正確には行方不明の彼の妻、フレイの母親の家だ。父親関係で豪邸は見慣れているし、住んだこともあるフラガなので驚きはしなかったが、クルーゼ邸は大きかった。
アルスターと刻印された表札の下に、クルーゼ、と手書きした紙が貼り付けてある。
表札くらいちゃんとしたのつけろよ…
周りがボケだらけなので、すっかりツッコミ体質になったフラガは、嫌がらせにべりっとはがして、郵便受けに入れてやる。
それからインターホンを押した。返事がないが、クルーゼはいる、と直感したので、押し続ける。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、
「やかましいわっ!!」
インターホン越しではなく、本人が玄関から飛び出してきて、額に青筋を立てて怒鳴った。
「よう、クルーゼ」
のほほーん、とフラガは片手を上げた。
「…なんのようだね」
「カッコつけても、つっかけ履きだぜ」
「ついに私に敗北を認めに来たのかね」
都合の悪いことは聞かないふりのクルーゼだ。
「話があんだよ。ここ、開けろよ」
黒い鉄の門をがちゃがちゃと鳴らすと、壊されると思ったのか、クルーゼは慌てて開けた。
「ここで話していい?」
わざと大きい声で言うと、家の中に通された。足をぶるぶる震わせながら、チワワがきゃんきゃん吠えて出迎えてくれる。
「私はこれでも多忙でね。さっさと用件を述べてもらおうか」
「だろうなあ。AA学園のPTA会長をしながら、プラント学園の英語の非常勤講師をしてるんだもんなあ。おまえって、見かけによらず働き者だよなあ」
クルーゼはびくうっ、と体を震わせた。
「な、なんのことかな?」
「しらばっくれんじゃねえよ。もうバレてんだ。てめえ、なに企んでやがる」
クルーゼはくっ、と俯いたあと、
「ふっ、はははははっ! そうか、とうとう知ってしまったか!」
瞬時に立ち直った。
「そんで、理事長同士の関係にも、おまえが関わってんのか」
「ふははははっ!」
「だから笑ってごまかすなって!」
「よかろう! 勝負しようではないか!」
「はあ?」
まずい。クルーゼの流れに乗せられている、と思うがもう遅い。
「体育祭だ。体育祭でのPTA、職員合同の障害物競走。これにおまえも参加するがいい。そこを因縁の対決の場にしようぞ!」
嫌だ…
フラガは心底思ったが、さらに大きな声で「ふははははははは」とエンドレスでクルーゼが笑い出したため、意思表示することが出来なかった。
「まあ、障害物競走に?」
マリューは約束を守る女だった。
翌日昼休み、授業を終えて体育教官室に戻ったフラガの元に、三段重ねの重箱を持って現れた。
「フラガ先生、運動なさってるし、たくさん食べられると思って」
と、これが毎日続くなら、毎日が花見、いや、正月だ。
おまけに彼女の分もお重に入っているため、必然的に一緒にお食事、となる。
フラガは生きている喜びを生まれて初めてといっても過言ではないくらい噛み締めながら、ついでに弁当も噛み締めた。
「でも、先生。確か先生は、競技へは出ないことになっていたんじゃありませんの?」
マリューが玉子焼きを、フラガの持つ重箱の蓋に取り分けながら、小首を傾げる。
そうなのだ。
フラガが出れば、たとえ彼が遊び半分でも、ほかの職員の勝利などありえないため、競技へは出ないのが暗黙のルール。
「そうなんだよなあ。今からでもなんとか、教頭に申し入れてみるけど…」
無理なら、クルーゼへの言い訳にもなる。
「私、先生の一等賞を見てみたいです」
「え?」
マリューはにっこり微笑み、さながら勝利の女神様のよう。それだけでフラガは、グラウンド十周くらいできそうだ。
「それって、俺を応援してくれるってコト?」
思わず箸を握り締め、マリューににじり寄る。
「え、と、そうですね。クルーゼさんにも、勿論頑張っていただきたいですけれど」
「でも、俺を応援してくれるってコト?」
頬を赤くして、マリューは俯いた。
いよっしゃあああああああああ。
秋空に高く長く、フラガの心の叫びがこだました。
キラ・ヤマト参戦
その頃、キラ・ヤマトは高等部に進学してから初めて、AA学園校門の前に立っていた。
遠くから聞こえてくる生徒たちのざわめきに目を細め、愛しむように校舎を眺める。それからゆっくりと足を踏み出した。
「キ、キラ」
「キラ・ヤマト…!」
突然現れた不登校の天才少年に、学園は騒然とした。
「キラーっ」
駆け寄ったサイ、トール、ミリアリア、カズイにキラは微笑んだ。
「キラ、学校に来る気になったのかい?」
優しく問いかけるサイに、キラはゆっくりと首を振った。
「心配かけてごめん。ぼく…」
「いいんだ。おまえが来たくなったらそのときで。じゃあ、どうして今日は学校に?」
「うん…フラガ先生に用があって」
「そうか。フラガ先生なら体育教官室で、マリュー先生の手弁当を食べてるよ」
なぜか知っているサイ。
「ありがとう。行ってくるね」
興味本位でキラに近寄ろうとする生徒を、トールたちが遮ってくれた。
キラが体育教官室に入っていくと、ちょうどマリューがお重を片付けているところだった。
「まあ、キラくん!」
マリューの顔が輝き、キラは困ったように笑う。
「ごめんなさい、マリュー先生。ぼく、授業を受けに来たんじゃないんです」
「え…そうなの?」
途端にマリューの顔に失望が広がる。キラは机に肩肘をかけて、ふたりの様子を眺めているフラガに目をやった。
「フラガ先生。ぼく、体育祭のPTA、職員合同の障害物競走に出ます」
「へ…? なんで…?」
体育祭に出るのは結構だが、どうしてPTA、職員合同競技なのだ。しかも障害物競走…?
「夕べ匿名で電話がかかってきたんです。PTA、職員合同の障害物競走に出ろって」
「電話?」
「前にぼくの出生の秘密を教えてくれた電話の人と、同じ声でした」
「なに?」
「前回も今回も、すごくいい声で、ふははははは、って笑ってました」
「……」
推理する必要すらないのでは? それって、その匿名電話のヌシって…
「…クルーゼだろ。それ」
おまえ、もうちょっと工作しろよ…
他人事ながら、フラガは本気で忠告してやろうかと思った。
「あのさ、キラ。わかってるとは思うけど、そんな挑発に乗ることはないんだぞ?」
キラに向かいながら、フラガはマリューからすがりつく子犬のような視線を受けているのを感じた。
私の大切な生徒に危険な真似はさせないで…だ。「最高の子ども」であるキラは、実はフラガが本気になっても敵わないくらい運動能力が高いのだが、マリューにとっては可愛い生徒で一括りだ。
「わかってます。でもどうやらその人はぼくのこと、ほかにもいろいろ知っていそうでした。ぼくが一番になったら、その秘密を教えてくれるそうです」
「んな約束、クルーゼが守るかよ」
「守らないなら、守ってもらうまでです」
童顔のキラくんは、可愛い顔のままふんぞり返る。
「それで先生にお願いです。ぼくが障害物競走に出られるようにしてください」
「あー」
そりゃそうだ。キラは生徒。PTA、職員合同競技には出られない。
そういうことも考えて動けよ、クルーゼ…
ツッコミ体質の上に、愚痴っぽくもなってきたフラガだった。
それにしてもどうしてクルーゼが、キラの出生の秘密についてまで知っているのか。
さらに詳しく知っているというのは眉唾だが、少なくともクルーゼはキラが選ばれた精子を使い、人工受精で産まれたことを知っていた。
昼休みが終わり、キラが帰ろうと校庭に出ると、校門の前に赤い髪の少女が立っていた。
「フレイ…」
こうしてあらためて見ると、やはり美少女だとキラは思った。この少女の華やかさに、かつてキラは憧れたのだった。
「キラ、私…」
キラは黙ってフレイの横を通り過ぎようとした。
「キラ…っ!」
腕を掴もうとしたフレイの手は、ふわりとかわされた。
「もうよそう」
フレイの顔が激しい感情に歪む。
「なによ、それ…っ!」
「ぼくたち、間違ったんだ…」
「だから、なによそれ…っ!」
「さようなら」
キラは俯いて学校を出て行った。