体育祭編 1 AA学園の愉快な仲間たち 悩める天才少年
「それではお邪魔致しました」
挨拶をして門を出た途端、はあ、とマリューは息を吐いた。学校帰りにヤマト家を訪れるのは、週に一度のマリューの習慣となってしまった。
キラ・ヤマトはマリューのクラスの一員で、四月の始業式以来一度も登校してこない生徒だ。
IQ250の天才少年が、今更義務教育でもない高校に来なくてもたいして問題はなさそうなものだが、それでも在籍する以上、授業に出てほしい、そう思ってしまうのがマリューだった。
キラ自身はとても素直な少年だ。
半年近く通い続けるうちに、マリューとも打ち解け、色々話もするようになっている。
だがどうしても学校には来てくれない。どうして?と訊ねても、困ったように笑うばかりだ。
はあ、ともう一度息を吐くと、お疲れさん、と声をかけられた。
「フラガ先生」
門柱の横に同僚のムウ・ラ・フラガが立っていた。
「どうなさったんですか? 先生もキラくんに?」
「いや、俺はマリュー先生に用」
「私?」
「日が暮れるのが早くなってるからさ。仕事が終わってからここに来たんじゃ、ほら、この通りすっかり暗いでしょ」
フラガの言葉と同時に、ヤマト家の外灯がぱっと点いた。
「まあ、すみません。それなら先生も一緒にいらしてくださればよかったのに。キラくんもきっと喜びますわ。中等部の頃のキラくんをご存知なんでしょう?」
「うん、まあね。なんせ文武両道の天才だからね、あいつは。正規の試合は駄目だけど、練習試合とかだと、高等部の部員に混じって活躍してたよ」
フラガは体育教師で、体操のオリンピック強化選手だったこともある。彼が指導すると運動部はどこでも強くなるので、いくつも顧問をかけもちしていた。
「その頃は明るい子だったんですよね」
二人並んで、駅までの道を歩く。
「今もそう暗くはないんだろ?」
「ええ。とても優しくて。やっぱり幼馴染のアスランくんと違う学校になってしまったのが、ショックだったんでしょうか」
「あいつらいつも二個イチだったからなあ」
そのほかにも、キラの不登校の理由らしきことはある。
高等部に上がる直前、ふとしたことからキラがヤマト夫妻の実子でないことがキラにわかってしまったのだ。
しかもキラの実母は、知能容姿共優れた男性の精子を人工授精し、キラを意図的に容姿端麗の天才に「作った」のだということまでわかってしまった。
「そりゃ、ショックも受けるわな」
淡々とフラガは言い、その口調にマリューが俯いてしまったのに気づいて慌てる。
なにが苦手といって、マリューのこういう表情が一番苦手だ。はっきり言って、マリューがいつも笑っていてくれるなら、命を賭けてもいいくらいの勢いがフラガにはある。
「フラガ先生も、私のしていることは無駄だと思われます?」
「あ? いや、そんな」
思うような思わないような。というか、キラならば、そのうち自分で自分の問題にかたをつけるだろう。
だがまあ、それをこの、心根優しい真っ直ぐな人に言うのは憚られる。
「私のしていることは自己満足に過ぎないって、ナタルに言われてしまいました」
「あー、副担任サンね…」
いかにも言いそうだ。
フラガはあまりにクラブ顧問が忙しいので、例年なら受け持ちクラスを持たないが、この春から新任で来る教師がまだ若いので、補佐する意味で副担任を受け持ってもらえないかと、サザーランド教頭から打診されたことがあった。
めんどくさいので断ったことを、時折激しく後悔する。
引き受けていたら、マリュー先生と首をつき合わせてクラス行事の相談などが出来たのに~
結局副担任は教師一家で生まれ育った、ナタル・バジルールがなった。
これまたマリューと正反対のばしばしの締め付け教育推進派。またマリューが来なければ担任になれたということもあり、今や思いっきり対立している。
「すみません。家まで送っていただいて」
マリューは丁寧に礼を言うと、ハイツの中へ入っていた。
三階の一室に明かりがつくのを確認してから、フラガはそこを立ち去った。
いつかあの扉の中に入れてもらえればいいな、となんともいじらしいことを思いながら。
学園から近いので、独身教師はこのあたりに住んでいる者が多いのだが、フラガとマリューの家は格別近かった。
これもなにかの縁でしょう、と何事もポジティブ、ポジティブ、のフラガは考える。
しかしマリューは知らない。
何度も送ってもらっていても、フラガの家には行ったことがないので、近所と言っても、彼と彼女の住まいが驚くほど違うことを知ったら、さぞかし驚くだろう。
フラガの家は、とても二十代の独身男性が買える代物とは思えない、超高層マンションの最上階なのだ。
ひとりで住むのに、掃除が大変なだけの、だだっ広い部屋はいらないのだが、そこは税金対策等のいろんな問題があり、致し方ない。
こんながらんどうの部屋より、マリュー先生のこぢんまりとした、あったかそうな部屋に入りたいよなあ、などとまだしつこく思いながら、フラガは最上階ゆえ、なかなか辿り着かないエレベータの階数ボタンを見上げた。
フラガの生い立ちは複雑且つ奇々怪々だ。
まず金持ちの家に生まれた。だが両親は彼が物心着いたときには既に仮面夫婦で、フラガはほとんどメイドさんに育てられた。そして中学生になった頃、両親が別居したのをきっかけに、一人暮らし開始。
複雑なのは家庭。奇々怪々なのは、そんななかで一向グレなかった彼の性格。
あ、人生って、こんなもんなのねー
と、一体いくつのときから思っていたのか、フラガ自身にも思い出せない。
ただ、グレはしなかったが、家族がいないので、余計なことをする時間はたっぷりあった。
キラほどではないが、そこそこなんでも余裕でこなさせたので、学業もスポーツもそれほど苦労することなく、むしろ人より優秀で、体力も人並み以上にあり、夜通し遊んでも授業には休まず出れた。尤もほとんど寝ているのだが、成績がよければ教師も多少のことは多めに見る。
そんなわけで、十五のときには既に、いっぱし夜の街で顔がきくようになっていて、いつの間にやら彼の周りには、取り巻きみたいな連中も集まっていた。
弱いものいじめは嫌いなので、そいつらにもそういうことを禁じて、そういうことをしている奴らを見かけたら注意しているうちに、なんだか知らんが、正義の味方みたいに持ち上げられてしまった。
どっからどうネーミングされたのか、よくわからないのだが、「エンデュミンオンの鷹」といえば、
今では都市伝説になってしまったヒーローだ。
確かにあの当時は北は北海道、南は沖縄まで、フラガが一声かければ、日本全国の男気のある連中が集まった。
若かったよなあ、俺。
と、まるきり他人事のそれが、現在二八のフラガのかつての自分への感想。