一番好き
蔦の絡まるレンガの建物、中庭に小さな噴水、アンティークの家具。こじんまりとしているが温かみのある屋敷だった。
尤もこじんまりというのは比較がボードウィン邸だからで、一個人の邸宅としては十分広い。
アポなしで来たが名を告げるとすぐ通された。
「只今主はお医者様の診察を受けておりますので、しばしお待ちください」
紅茶を供してくれる執事に、見覚えがあった。
ファリド家に昔いたマクギリス付の従者だ。
ガエリオが思い出したことを察すると、執事は微笑んだ。
「お久しぶりでございます。ガエリオ坊ちゃま」
「坊ちゃまはやめてくれ」
「さようでございますか。ご立派におなりあそばしました」
子どもの頃、ふざけすぎて叱られたことがある。
厳しいが信頼のできる男だった。
「いつからここに」
「お屋敷を辞してからいくつか職を変わったのですが、主に声をかけていただいて数年前から」
マクギリスが実家に居つかなくなり、ガエリオもファリド家に行くことが少なくなったのではっきりと覚えていないが、いつの頃からか姿を見なくなっていた。
彼だけではない。マクギリスに優しかったメイドやほかの使用人も。
ガエリオの前にティーカップが置かれる。
「ここには私のほかに、ガエリオ様の知った顔がおりますよ」
「おまえたち、全員解雇されたのか」
にこりとしたまま答えはない。
「知らなかった」
七家門それぞれの家で家人を支えるのは使用人だ。
マクギリスがそれらを全て引き剥がされていることに、ガエリオは気づかなかった。
「そんなに酷い状況だったのか?」
お喋りな使用人は失格だが、少し間を置いて執事は話し出す。
「マクギリス様は旦那様に家を出たいと申し入れされたのです。けれど旦那様はお許しになられませんでした。マクギリス様が聡明で、既に家のなかのことをよくご存じだったからでしょう。そのあとは私は暇を出されたので存じません」
ガエリオが初めて聞く話だった。
あとから実子が生まれようと、最悪家督を譲ることになっても、マクギリスの立場は守られてしかるべきだと思っていたガエリオは、ファリド家で起こっていることをなにも知らなかった。
なぜ言わなかったのかと思うが、言われたところで当時の自分が理解したかどうか。
「医者の診察と言ったな。悪いのか」
考えても仕方のないことから、話題を変えた。
「定期的なものでして。ですがまあ、起きたりそうでなかったりです。なにしろあの状態から半年です」
その節はありがとうございました、と礼を述べられる。
ほとんど死んだようなマクギリスを連れ帰ったのはガエリオだ。
本人は死にたかったのかもしれない。
あとから彼に協力した者たちに話を聞いてそう感じた。
だとしたら我儘につきあわせてしまった。
診察が終わったとメイドが告げに来て、ガエリオはマクギリスの部屋に案内された。
命を取り留めたのは知っていたが、姿を見るのはあれ以来だ。
マクギリスはベッドに上半身を起こしていた。
周囲に端末やディスプレイがいくつもあり、ここで仕事をしているのがわかる。
ガエリオを見てマクギリスは笑った。
ガエリオは胸が詰まった。
恨まれているのではないかと思っていた。
命を助けたことだけではない。そこまでに至るすべてのことを。
近寄ると、頭を胸に抱きしめた。
「泣いているのか。子どものようだぞ」
「うるさい、黙れ」
小さいときからマクギリスが一番好きだった。
ほかのやつらは退屈で、マクギリスだけがガエリオの興味を引いた。
「おまえ。馬鹿野郎」
うん、とマクギリスこそ子どものような返事をした。
一度離れてから、再び顔を寄せて触れるようにキスをした。
「嫌か?」
「別に、特には」
拒否ではないと受け取って、頭を枕につけさせた。
目覚めて状況を理解したとき、まず思ったのが、失敗したのだ、ということだった。
生かされてしまった。
死ぬのに失敗した。
あとはもうなにも思わなかった。
辛くもないし恨めしくもない。
また生きなければならないのだと思うと、げんなりした気分になるだけだった。
一度大失敗したことをもう一度試みようと思うほど、マクギリスは愚かではなかった。
したあとに、嫌か、と聞く自信家に、別に、特には、と答えた。
家の後ろ盾を失ったあとは、使えるものはなんでも使って目的を果たしてきた。
利用できるものがひとつ多いという点で、この見た目に生まれて得はした。
だが自分が元々そうでないように、彼もそういう趣味ではないだろう。
ガエリオのなかでいろんなことがごちゃまぜになっている。
もっと早くに手を離しておくべきだったが、すがるものがほかになかった。
結果的に死に損なって、こうしてベッドで絡み合っている。
自分の低さまでガエリオを落としてしまった。
胸に広がる気持ちが罪悪感なのか背徳感なのか、マクギリスにはわからなかった。