まるごとカレー物語(下)
「きれいになれるレトルトシリーズ第一弾 コラーゲンたっぷりまるごとカレー」は、本来のターゲット層である若い女性だけでなく、 美味しく低カロリーで残業後の食事に最適と、サラリーマン層にまで浸透して大ヒット商品となった。
まるごととは銘打っていても、野菜や豚足がごろごろ入っているわけではなく、 「野菜(と豚足)をまるごと使っている(ヘルシーな)カレー」の意だ。
ドリンク業界の記録を塗り替えたすぐあとに、レトルト業界の記録を塗り替える勢いの商品を企画した御堂だが、 プロトファイバーのときとは違い、複雑な心境に眉間に皺を寄せていることを知るものはあまりいない。
「本日はお忙しいところ集まっていただいてありがとうございます。
それではこれから試食会を始めたいと思いますので、遠慮なくどんどん食べて、感想を言ってください」
伊勢島デパートの社員食堂にて、克哉がモニターとして集めた学生アルバイトを前に頭を下げると、なぜだか拍手が起こった。
シリーズ第二弾商品「イソフラボンたっぷり豆乳スープ」の先行発売も兼ねて、 伊勢島デパートの催し会場で「きれいになれるレトルト展」が開催される。
客寄せの目玉は「これが本物!まるごとカレー」食堂。
ネットでオリジナルを想像したものがいくつもUPされていて、消費者はオリジナルに関心がある、と踏んだ克哉の企画だ。
コラーゲンたっぷりまるごとカレーがMGNの子会社社員のオリジナルレシピで、 開発にあたり伊勢島デパートに勤める彼の友人が協力したことは、マスコミで何度か取り上げられたので有名な話となっている。
「克哉さん。こっちがほんとにまるごと入ってるまるごとカレーで、こっちがそこそこ切って、豚足はよけてあるカレー、なんだよね?」
急遽行われることになった試食会のモニターを集めてくれた太一が、勝手に鍋を開けてなかを覗き込む。
「うわっ、ほんと、まるごと入ってる! てか、なに、この豚足」
「それがうまさの秘訣だ。やっぱりまるごとカレーにはちゃんと豚足が入っていないとな」
是非とも立ち合わせてくれと、仕事を抜けてここにいる本多が、モニターの学生達に説明する。
「いや、なんかグロくないすか、これ」
正直な太一に、本多は顔をしかめる。
「なんだと? コラーゲンの元になってる豚足に対して失礼だろう!」
「本多。モニターさんにプレッシャーかけちゃダメだよ」
ごめんね、と太一に目配せしながら、克哉は本多を壁際で無表情に立っている松浦の隣まで引っ張っていった。
松浦は伊勢島デパート側の担当者だ。
本多と松浦は、「まるごとカレー」商品化の過程において、これまで松浦がカレーに手を加えていてたことがバレてしまい、 一時期前よりさらに険悪な関係になったらしいが、今はまた和解したらしい。
「…あんなものを商品として売ったら、伊勢島デパートの恥だ」
「松浦っ! おまえ、まだそんなこと言ってんのか!」
「事実だ。現に佐伯も絶賛などしていなかっただろう」
「う…っ!」
傷ついたような眼差しを本多から向けられ、克哉は横を向いた。
正直、御堂や松浦が言うほどあのカレーを酷いものだとは思わないが、金を払って食べるかと問われると困る。
モニター達の反応もおおよそそんなもので、正真正銘オリジナルはインパクトがあり面白がられるが、 有料を前提とすると普通のほうに手が挙がる。
この結果はある程度読めていたため、克哉はモニターを学生ばかりにした。
若い女性や年配者が豚足の浮かんだカレーを好んで食べるとは思えず、面白半分で注文するとすれば学生だ。
通常こういう場で得た情報は口外しないと約束させるが、今回は写真を撮ってブログやサイトに掲載してもかまわないことにしてある。
一日何皿と限定して本多のまるごとカレーを提供し、まるごとカレー食堂の通常カレーは普通のカレーにするつもりだ。
その限定数をいくつにするか、この試食会の目的はそれだ。
「ま、味はどっちもおんなじだよね」
試食を終えた太一が克哉のほうにやってきた。
ほかのモニターが大皿いっぱい食べているのに比べ、太一は一口二口しか食べていなかったが、味はしっかりチェックしていた。
「豚足も面白いけど、金出すなら普通のほうかなあ。俺、こう見えても結構繊細だから」
聞こえたらしい本多が猛烈に抗議しようとするのを、松浦が冷めた口調で諌める。
いいコンビだなあ、と遠目に克哉は眺めた。
「急に頼んだのに、人数集めてくれてありがとう、太一」
「ああ、そんなの全然。克哉さんのためだもん。
それより克哉さん。今日これからどうするの。就業時間ってもう過ぎてんでしょ?
たまには俺と遊ぼうよ。飲みに行かない?」
「あ、こら、おまえ。今日は御堂が出張だから俺が誘おうと」
割って入ってきた本多と太一の両方に、克哉はごめん、と言った。
「オレ、これから福岡に行かなきゃならないんだ。明日の朝イチで会議だから」
「えー、克哉さん、働きすぎ!」
太一が唇を尖らせ、本多は顔をしかめた。
「それって御堂がもう行ってるんじゃないのか」
「うん。今日の会議はオレなんかの出番はなかったんだけど、明日は手伝えることがあってさ」
ちぇっ、と太一がわざとらしく言った。
「デートっすね」
「ち、違うよっ! 仕事だよっ!」
思わず上擦った声を出してしまい、克哉は慌てて口元を手で覆った。
幸い皆試食に夢中で目立ってはいない。
確かに明日は仕事だが、明後日は土曜日なので御堂とゆっくり過ごしてから東京に帰ることになっている。
とはいえ、それは仕事が終わってからのプライベートの予定であり、克哉がこれから福岡に向かうのはあくまで出張のためだ。
「ひよこ」
松浦が片手を挙げた。
「へ?」
「土産だよ。俺はひよこ饅頭でいい」
「…ひよこって東京にもあるだろう」
「土産ってのはそういうことを問題にするもんじゃない」
「あ、じゃあ、克哉さん、オレ、カステラー!」
「太一、長崎じゃないんだけど…」
「いーじゃん。売ってるって。同じ九州だもん」
それならば伊勢島デパートの地下でも売っているはずだが、 週末を思って些か浮かれているのを見透かされている感のあるふたりに、四の五の言うのは憚られる。
菓子箱のひとつやふたつで鋭い追及から逃れられるのなら安いものだ。
本多の希望も聞いておくべきかと顔を上げると、モニターの女の子が本多へ向かってまっすぐやってくるところだった。
ストレートのロングヘアが雰囲気のある可愛い娘だ。
「あの…っ! オリジナルのまるごとカレーを作られた方ですよね!」
「ああ、はい」
頬を赤く染めて見上げられ、本多は余裕のある笑みを返した。
学生時代はファンが多かったバレー部のエースは、意外に女の子の扱いに慣れている。
心安さを覚えたのか、目一杯の笑顔になった女の子は声を張り上げて言った。
「まるごとカレー、素晴らしいです! こんな美味しいカレー、私食べたことがありません! 豚足に感動しました!」
ざわざわしていた食堂が、一気に静かになった。
「…出たよ。十人に一人が」
松浦がぼそりと呟く。
本多は一瞬ぽかんとしたが、なにを言われたか理解すると最高の笑顔になった。
「そうか! まるごとカレーの本当の良さがわかるか!」
「はい! 是非作り方を教えてください!」
あっという間にふたりは盛り上がった。
草バレーの練習後はカレーパーティをすることもあると聞いて、是非練習を見に行かせてください、と女の子は興奮している。
「本多さん、あのコと結婚しちゃえばいいのに」
見方によっては意地悪くも見える表情で太一は笑った。
「太一、子どもみたいなことを」
「だって味覚が合うって大事でしょ?
それにライバルは地道に潰してかないとね」
「え?」
最後のほうが聞こえなかったが、
「なんでもなーい」
と太一は笑った。
モニターたちが各々ブログや動画投稿サイトに事前に流したオリジナルまるごとカレーが反響を呼び、 きれいになれるレトルト展は大成功した。
まるごとカレー食堂は連日長蛇の列が出来る盛況ぶりで、第二弾商品の滑り出しも上々。
いざ目の前にすると怖気づくのか、オリジナルを食べるつもりで来たのに通常カレーに注文を変える客続出だったが、 限定数は克哉が計算した通り、平日午後四時、土日午後二時には完売した。
「まるごとカレーの御堂部長」と呼ばれることの多くなった御堂が、汚名?返上しようと以前にも増して精力的に仕事をした結果、 押しも押されぬヒットメーカーとなっていくことは、まだ誰も知らない先の話。