あなたまかせ
相手がつっかかる物言いをしてきたときには、さり気なく受け流す。
御堂は自分が年長であるという矜持から、克哉は恋人のすることはほとんど許容できる大雑把さから。
そうやって、ふたりはこれまで円満に生活してきた。
事の発端は、野外ライブに誘われたのを断った、と克哉が御堂に告げたことだった。
「ちょっと行きたかったかな」
その一言が余計だった。
「行けばいいだろう」
険のある言い方に、克哉もむっとした。
「行けないですよ。遠いから一泊しないといけないし」
「すればいいだろう」
克哉は些かよくない目つきで御堂を見た。
「行ってもいいんですか」
「いいも悪いも君のことだ。好きにしろ」
「好きにしたら怒るくせに」
いつになく生意気な克哉を、御堂も真っ直ぐ見た。
「怒る? 私が? そんなことで?」
「もう怒ってるじゃないですか。大体オレは行かないって言ってるのに」
「行かないんじゃなくて、行けない、と君は言ったんだ」
「同じです」
「それでは私が君を束縛しているように聞こえる」
「してるでしょう? オレが誰かと遊びに行こうとしたら、嫌な顔するじゃないですか」
「当たり前だ。君には隙がある」
押さえつけた声での言い争いが、どんどん深みにはまっていく。
リビングの真ん中でスーツを着替えもせず、ふたりは睨み合った。
「私が止めなければ君は誰にでもついていって、いいようにされるんだ」
「御堂さんみたいな人は、滅多にいませんよ」
目も逸らさずに言われて、御堂の頬が引きつった。
御堂の口が立つのは勿論だが、克哉も本気になれば負けてはいない。
「前から思ってたんですけど」
「なんだ。言いたいことがあるなら言え」
「ほっといたら、外でなにしてくるかわからないみたいに言われるのは、心外です」
「事実だろう」
克哉は怒りに息を飲んだ。
「オレのことなんだと思ってるんですか!」
「淫乱なんだ、君は!」
言った途端に場が凍りついた。
御堂は、しまった、という顔をしたがもう遅い。
セックスの最中にはよく出てくる言葉だが、なんでもないときに使うと、いい響きを持った言葉では当然ない。
克哉は泣きそうな表情になった。
気まずい沈黙がリビングを包み、 なんと言っていいのか迷う御堂をきゅっと睨んで、克哉はリビングを出ていってしまった。
キッチンから乱暴に食器を扱う音がする。
夕食に買ってきたデリを、皿に移しているのだろうが、 おとなしい克哉がそんなふうに物音を立てることは滅多にない。
相手の弱味を突きつけて気概を損なわせるのは、優位に立とうとするときの御堂の常套手段だが、 克哉に対してそんな手を使うつもりはなかった。
口が過ぎて、つい本音が出てしまっただけとはいえ、克哉にとって謂れのない誹謗をされるより不愉快だろう。
ふたりは黙々と食事をした。
表情を消してしまった克哉は、 御堂がバスルームを使っているあいだに、リビングに持ち込んだ毛布を頭から被って、ソファを占領した。
「…シャワーくらい使えばどうだ」
ようやく御堂が声をかけても、毛布からはみ出た色の薄い髪はぴくりともしない。
「勝手にしろ…!」
どうして自分がこんな負け惜しみのような言葉を吐かねばならないのか、と思いながら、御堂はひとりベッドルームに向かった。
克哉分の余白を残し、ひとりベッドに寝転がった御堂だが、自分が間違っている、とは思わなかった。
克哉は人の注意を引く。
俯いて殻に閉じこもっていたときでさえ、わかるものにはその異質さが伝わっていた。
顔を上げ、笑うことが増えた今は、克哉が思っている以上に周囲の歓心を引いている。
本当は部屋から出したくない。
自分だけが触れられるところに閉じ込めておきたい。
だがそんなことをしたら、克哉はいつか笑わなくなるだろう。
それは本意ではない。
それにリミッターをはずした克哉がどんな仕事をするのか、どこまで伸びるのかを見たかった。
克哉が可能性を広げるための道を、御堂は示してやることが出来るし、長じてさらに必要であるなら後方に下がって支えてやってもいい。
そこまで思うようになったのはごく最近だが、だからこそ腹が立つ。
克哉の無自覚さが。
考えても埒が明かず、寝ようと薄手の羽毛布団を引っ張って、心許ないことに気づいた。
いつもはこの上に毛布をかけているのに、克哉が持っていってしまったせいだ。
ほかにも毛布はクローゼットに入っているが、御堂はリビングの克哉が気になった。
エアコンのいらない過ごしやすい季節だが、ぐっと気温が下がる時間帯がある。
「えいくそっ!」
布団をはねのけて、御堂はからだを起こした。
リビングのあかりは消えているが、闇に慣れた目は廊下の照明で充分だ。
相変わらず顔が見えないように毛布を被った克哉は、起きているのか寝ているのかわからない。
毛布を剥ぎ取って、無理矢理ベッドに引きずって行こうかと思ったが、辛うじてこらえた。
嫌がることは付き合う前に散々した。
克哉の嫌は言葉どおりでないこともあるが、今は無体なことはしたくない。
足元にタオルケットを置いて、御堂はリビングを出ようとした。
がば、と毛布がどけられたのはそのときだ。
素早く起き上がった克哉は、戸口に立つ御堂にいきなり枕にしていたクッションを投げつけた。
「なっ…!」
なにをするんだ、と御堂が言う前に近づいてきた克哉は、今度は両手で御堂の頬をきつくつねった。
「か、かふぅや!?」
「あなたは、酷い人です」
克哉に睨まれて、御堂は両頬をつままれる、という人生初の体勢のまま動けなくなった。
「酷いくせに優しくて、最悪です」
指の力が緩められ、頬に手を添えたまま、克哉は御堂にキスをした。
唇を離した克哉は、御堂の目を覗き込む。
「もしかしたらオレはあなたの言うとおり、男なら誰でもいい淫乱なのかもしれないですけど、 オレがしたくてこんなことしてるのは、あなただけです。
それに、気持ちがいいだけじゃなくて、御堂さんといるとオレは幸せなんです。
だから、御堂さんとキスしたいし抱きしめたいし、抱きしめてほしいんです」
最初に告白したときのように真剣に気持ちを説明しようとする克哉を、御堂は見つめた。
克哉はいつでも御堂にとって予想外だ。
「幸せ…」
御堂の呟きに、克哉は顔を歪める。
「あなたは知らないんです。オレがあなたをどのくらい好きか」
「いや…違う。そうか。あの気持ちを幸せと呼ぶのか」
「は?」
やや据わっていた克哉の目が丸くなる。
「私も君と同じように感じている。と、思うが、なんだか得体の知れない感情だと思っていた」
克哉の両手が御堂の頬から、パジャマの襟に移動する。
間の抜けた空気が流れた。
「もしかして御堂さん…今気づいたんですか。オレといて、その」
幸せだと。
御堂は答えないが、否定もしない。
パジャマの襟を掴んでいた手は、今度は腕を掴んだ。
「ふ…あははっ」
突然克哉は笑い出した。
「…克哉」
「だって、御堂さん、なんでも出来るのに」
どうして克哉に関してだけ、なにかが抜け落ちるのだろう。
克哉は御堂の頭に腕をまわして抱きしめ、髪の毛に指を通して撫でた。
「オレ、こうしてもらうの好きなんです。頭乾かしてもらうときとか。大事にされてるなあって思うから。御堂さんはどうですか」
「…するのは好きだが」
「されるのは嫌ですか?」
「…態度に困る」
まだ笑いながら、克哉は御堂を解放した。
気が緩んで右目から涙が少し流れたのを、なんでもないふうにして、御堂も気づいたが知らないふりをした。
代わりに抱き合ってキスをする。
「ベッドで寝る気になったか?」
合間に耳元でささやくと、克哉は潤んだ瞳を細めた。
「喧嘩しましたね」
「…そうだな」
「初めてですね」
「最後にしてほしいものだが」
少し考える素振りをしてから、克哉は御堂の耳朶を噛んだ。
「それは孝典さん次第です」