恋人日和
その誘いを克哉は金曜の夜、御堂とのキスの最中に思い出した。
「あ」
「なんだ」
途中で顔を離した克哉に、御堂はあからさまに機嫌を悪くした。
「馬を見においでって誘われてたんです」
「馬?」
克哉は御堂の学生時代の後輩で、友人の恋人でもある男の名前を口にした。
「すごくきれいで速い子だって」
交差点を横断中にかかってきた電話はそれだけで切れ、それからなにも言ってこなかったので委細はまったく不明だ。
御堂の眉間の皺がますます深くなったので、克哉は困ってそこにキスした。
「えーと、オレはどこに誘われたんでしょう?」
「馬主!」
と聞いても全然ぴんとこないが、ともかく彼は競走馬を何頭か所有している馬主なのだそうだ。
日曜日、克哉はスーツを着て、御堂と一緒に馬主エントランスの前に立っていた。
「御堂さん、あの…ここまで来て聞くのもあれなんですが、馬主ってすごくお金持ちしかなれないんですよね」
「条件がいくつかあるな」
「なになさってるんですか、あの人」
知らないで電話やメールのやりとりをしていたのか、と御堂は呆れた顔をしたが教えてくれた。
彼は都内に数店舗ある高級エステティッククラブの経営者だった。
「…はあ」
思わぬことから、かねがねの疑問がひとつ解消した。
本人に聞けばすんだことだが、彼と連絡を取るときはたいていどちらかが恋人のことでなにか悩んでいるときで、それどころではない。
ちなみに克哉の側は男同士でもバレンタインはするのか、とかたいしたことではないが、 あちらは恋人がまた浮気した今度こそ刺してやるべきだろうか、とかたいしたこと大アリの悩みだ。
「克哉君、やあ、来たね!」
馬主席は男性はスーツ着用が決まりだとかで、この日は彼もスーツを着ていた。
自由業風の派手な顔立ちに個性的な高級スーツの彼は、正直ホスト以外の何者にも見えず、 通り過ぎる女性がちらちらと見ていくが、異性に興味のない彼は意にも介さない。
「すみません、御堂さん。克哉君をつれて来てもらって」
「人のパートナーを勝手に誘っておいて、その言い草か、君は」
「先輩の本気に手は出しませんって。
浮気者に克哉君とレースを見たって話して悔しがらせようと、今日は誘わせていただきました」
「ではあいつはこないのか」
「レースに呼んだことは一度もないですよ。
ぼくの可愛い馬たちと、あの人を同じ場に置くなんて冗談じゃない」
白い歯を見せてあくまで笑顔で言い放つ彼を、克哉はこっそり、
こわい…
と思った。
会うことは滅多にないが話をするときの内容が極めてプライベートなので、結構親近感のある友人?と言っていい間柄だが、 彼と恋人のスタンスはいまひとつ克哉にはわからない。
「俗なお話はいいから。ぼくの自慢の馬を見て見て」
克哉が生まれて初めてその目で直接見た競走馬はどれも本当に美しく、そのなかでも贔屓目が入るわけではないが、御堂の後輩の馬は気品溢れて綺麗に思えた。
「せっかくだから賭けなよ、克哉君。ぼくのコでなくていいから」
「でも御堂さんはギャンブルはしないって」
御堂がしないことは克哉もしたくない。
勝負運をすり減らしてしまう気がするから、賭け事は一切しないのだと以前御堂から聞いたことがある。
負けるとムキになるので、向いていないとも。
だが御堂は克哉の視線を受けてゆったりと笑った。
「私は君が決めた馬に賭けよう」
「え…」
その顔に見惚れて、克哉は頬が熱くなるのを感じた。
「えと、それは責任重大です」
「勝ち負けはかまわない。君の選んだ馬に賭けたい」
「孝典さん…」
パドックの真ん中で見詰め合うふたりに、御堂の後輩は両手を肩の高さに上げた。
「文字通り馬に蹴られそうだから、邪魔しないでおくよ」