愛のエプロン
御堂が執務室で克哉の報告を受けていると、大隈専務が現れた。
わざわざ足を運んでくるということは、機嫌がいいということだ。
大方先程までの役員会議で、対立する役員を牽制するのに成功したのだろうと御堂は踏む。
専務に場所を空け、克哉は脇に寄った。
「おお、佐伯君もいたのか。丁度よかった。ちょっと待っていたまえ」
いくつかの案件について、役員会で承認が降りたことを御堂に告げたあと、大 隈は克哉を振り返って手にしていた薄い包みを差し出した。
「オ、私に、ですか?」
「開けてみたまえ」
克哉が戸惑い顔で御堂を見たので、御堂は言われたとおりにするよう示す。
がさごそと開いた包みから出てきた箱は、真ん中が大きく窓になっていて中身 が見えていた。
え、と克哉が固まる。
「出してみたまえ」
大隈は上機嫌だ。
すがるように克哉はまた御堂を見たが、御堂もまた言われたとおりにするよう 示した。
「えと、あの、専務、これは…」
箱から出てきたのは、フリルのついた白いエプロンだった。
一般的なものよりかなり大きいサイズだが、形は非常に可愛い。
「先だって話をしたとき、佐伯君は自炊をしているということだったからな。
時間がないときは着替えないでキッチンに立つが、シャツを汚してしまうこと があると言っていただろう」
「は、はあ」
「エプロンがあれば便利だがサイズがない…という話を妻にしたところ、見つけてきてくれたというわけだ」
「はあ…」
克哉はエプロンと大隈を交互に見比べている。
「うむ、なかなかよさそうだ。佐伯君、ちょっと着てみなさい」
「えっ!?」
「万が一にもサイズが合わんと意味がないからな。さあ、早く」
克哉は三度御堂を見た。
今度は御堂はデスクから離れると、克哉の後ろに立った。
「上着は脱いだほうがいいな」
「み、御堂さん」
有無を言わさず上着を剥ぎ取られると、ありえない、という目をしながら克哉はシャツの上にエプロンをつけた。
「おお、これは予想以上に似合っているな。そうは思わんかね、御堂君」
「そうですね」
この狸、と思いながら、御堂はにっこり愛想笑いを作った。
なにをどこまでわかっていてかまをかけてきているのか知らないが、ともあれ、克哉にこのエプロンは本当に似合っていた。
180センチの25歳の男性で、フリルが不気味にならないのは奇跡だ。
「あの、でも、いただくわけには…」
「なにを言うか。君が受け取ってくれなければ、誰もそのサイズは着れんよ。 御堂君、君、いるかね」
「私は料理はしませんので」
「ほら、見たまえ。やはりそれは君のものだ」
克哉の目が「裏切り者」と訴えていたが、御堂は無視した。
ありがとうございます、奥様によろしくお伝えください、とエプロン姿の克哉 に送り出され、大隈は笑顔で執務室を出て行った。
「…御堂さん」
「私を恨まれても困る。
いいじゃないか。欲しかったんだろう、エプロン」
「こんなんじゃなくて…」
大隈がいなくなり、気を使う必要がなくなったので、克哉はがっくりと肩を落 とした。
「気に入った部下に着るものを贈るのがあの人の趣味らしいが、昨今女性の部 下だとセクハラ扱いされかねないので、 専ら男性社員がターゲットになる。私も君くらいの年齢のときに、これをどうし ろと、という形と柄のナイトガウンを貰ったことがあるぞ」
「ナイトガウン…」
「そのエプロンは、専務にしてはまだ趣味がいいほうだ。うっかり似合ってしまっ たのは、君の可愛さゆえだ。諦めろ」
「…なにをどう言ったらいいのか、オレにはもうわかりません」
克哉は力尽きたようにソファの背もたれに腕だけかけて横座りする。
少し離れてその姿を見下ろした御堂は、ふむ、と腕組みした。
「どうせならピンクがいいな」
「は?」
「それは料理用にしたまえ。どうせ専務からの贈り物だしな」
「…エプロンは普通料理用ですよね?」
「ものには色々使い道がある」
近づいて、克哉のシャツの襟元を人差し指でつい、と引っ張った。
御堂がなにを考えているのか一瞬でわかった克哉は、真っ赤になって飛び上がる。
「みみみ、御堂部長っ!」
「安心したまえ、佐伯君。君の素肌に引き立つエプロンを、私が責任をもって見立ててあげよう」
「素肌って…」
怯えなのか期待なのか、克哉の瞳になにかが浮かぶ。
照れるわりにはこういうことが大好きなのだ。
ちょっと悪戯してやろうかと思ったが、生憎鍵をかけていない。さて、とドアを見ると同時にノックの音がした。
「御堂部長、明日の会議の資料をお持ちしました」
入室を許可する前にドアが開く。
「失礼しま…おわっ! なんですか、佐伯さん、その格好!」
ドアノブを持ったまま、藤田はのけぞった。
「大隈専務から佐伯君へのプレゼントだ」
うろたえる克哉に代わり、御堂が答える。
「専務の…あ! 噂の専務のプレゼントですね! すごく微妙だけど、貰うと絶対出世するという!」
克哉がひきつり笑いを浮かべた。
「そ、そんなジンクスがあるんだ…」
「はい! 佐伯さん、すごいですね! そしてすごく似合ってますね!」
「そ、そうかな…ははは、ありがと」
最早反論する気もなくなったようで、情けなさそうに克哉はエプロンを取った。
御堂がデスクに乗っていた上着を渡すと受け取って、袖を通す。
「あ、勿体無い…写メ撮らせて欲しかったのに」
藤田の呟きを、御堂は聞き逃さなかった。
新卒で一室に配属された藤田は、優秀だがそれを鼻にかけたところがなく、いずれかなり使える人材になるだろう。
この男、ストレートだが克哉には興味がある。
おそらく克哉が誘えば断らない。
克哉の周りはそういうのばかりだ。
「くだらないことを言っていないで、ふたりともさっさと仕事に戻りたまえ」
仕事の声に切り替えた御堂に、素早く克哉が反応した。
「あ、すみません…っ」
「藤田君は資料を置いて。佐伯君はまだ報告が残っている」
「は、はいっ! 失礼しました!」
藤田が出て行ったあと、御堂は鍵をかけようかと思ったが、どう考えても歯止めがきかなくなりそうなので止めた。
上着の釦をかけて、再び報告書を手にした克哉を、デスクに肘をついた御堂は見上げた。
ぱっと見これといった華やかなところのない、おとなしげな男なのに、一体なにがそんなに人を惹きつけるのか。
よく見れば姿形は整っているとか、ぼんやりしているようで本当は切れ者だとか、そんなことは直接的な理由にはならない。
君はやはり私を苛つかせるな。
少し笑って御堂はそう思った。
「撮らせるんじゃないぞ」
「え?」
「写真だ」
「…当たり前です」
「それなら結構。で、試作品のテスト結果についてだが」
「えと、詳しいデータをパソコンのほうに送ったんですが…」
「ああ、これか」
なんでもない顔で仕事の話に戻りながら、御堂は克哉に似合う色合いを考えていた。
原色のピンクは羞恥心を誘って刺激的だろうが、白い肌に映えるのは淡いピンクだろう。
素材とデザインと色にこだわった御堂が、オートクチュールの店に発注したエプロンが、マンションに届けられるのはそれから三ヵ月後。
料理するとき大隈からもらったエプロンを身につけるのに、克哉がすっかり抵抗がなくなった頃だった。