幸せのツリー
マンションに戻ると、玄関に出かける前にはなかったものがあった。
さらにスーツケースを引っ張りながらリビングに入った御堂は、克哉を発見した。
暖房はついているが12月も後半に入った時期に、毛布一枚被ったままでソファの上で眠っていた。
取締役の代理で急遽ボストン本社に出張することになり、年明け早々に始動するプロジェクトの準備を克哉に任せた。
毎日届く業務上の報告メールとプライベートの電話から、克哉と一室のメンバーがフル回転で働いていたことは知っている。
金曜だった昨日も深夜まで会社に残っていたことも。
しかしそれなら、風呂に入ったあとはパジャマに着替えてベッドにもぐりこめばいい。
「なんだってトレーナーにジーンズで、こんなところで寝るんだ」
名前を呼ぶと、克哉はうるさそうに顔をしかめた。
「克哉。寝るのはかまわないが、ベッドルームに行きたまえ」
「ここでいいです…御堂さんを迎えに行くから…」
顔を隠そうとする克哉の手首を御堂は掴んだ。
「私はここにいるぞ?」
軽く握られた手を唇に押し当てると、克哉は突然目を開けた。
この十日、御堂がうっかり夢にまで見たガラス玉のような瞳だ。
「御堂さん?」
「ああ」
「御堂さん」
「今帰った」
ぱちぱちとまばたきを繰り返したあと、克哉は飛び起きた。
「御堂さんっ! 帰ってきちゃったんですか!」
フローリングに膝をついていた御堂はバランスを崩しかけたが、克哉が勢いのまま両肩を掴んだのでなんとか姿勢を保った。
「御堂さん…!」
この世の終わりのような表情で顔を覗き込まれ、御堂は鼻白んだ。
「なんだ。帰ってこないほうがよかったのか」
「違いますっ!」
ずるずると頭を落とした克哉は、御堂に抱きついた。
「会いたかったんです…だから空港まで迎えに行こうと思って…」
「到着は早朝だったし、今日はたまたま定刻どおりだったが飛行機は遅れることもままある。
毎日遅くまで働いている君が来る必要はない」
「それでも行きたかったんです。
だから本気で寝ないように、ソファで仮眠のつもりだったのに…」
素直なくせに頑固な克哉は寝起きのせいもあって駄々をこねているようで、御堂を自然と微笑ませる。
「髪を乾かすのも面倒なくらい眠かったのにか?」
頭の後ろの髪を指で摘むと、克哉は顔を上げた。
「髪を跳ねさせて、私を迎えに来るつもりだったのか?」
無理矢理笑みを意地悪いものに変えると、克哉は目元を赤くして御堂を睨んだ。
「それは誘っている顔だな」
「誘ってません」
「私に会いたかったのだろう? なぜ会いたかったんだ?」
「それは…いろいろ」
「具体的に」
言葉を詰まらせた克哉は、視線を彷徨わせたあと観念した。
「あなたに、触れたかったんです…」
数時間後、ソファから転がり落ちたふたりは毛布に包まってラグの上で寝ていた。
ひとりでいた頃には床に転がった経験はなかったなと、御堂は左手の薬指に自分の同じほうの手の薬指をぶつけている克哉を眺める。
「指輪、本当にずっとつけてたんですか」
「私が嘘をつくとでも」
「時々」
くすくす笑いながら、克哉はまたこつこつと揃いの指輪をぶつけあった。
御堂が贈った指輪を克哉は普段からつけているが、プライベートの集まり以外で御堂の指にこれがあるのは初めてだ。
「こっちに伝わったらどうするんですか」
「そんな暇人はいないさ」
口では心配そうでも、克哉もどこか嬉しそうだ。
「そうだ。君に似合いそうなのを見つけたから、スーツをオーダーしておいた。
クリスマスプレゼントのつもりだったんだが、届くのは年明けになるそうだ」
呆れたのか、克哉は口をあんぐりと開けたが、なにも言わずにまた閉じた。
なんと思われようと、克哉に似合うと思えば手に入れずにはいられないのだから仕方ない。
「ところで玄関のあれはなんだ」
「あ、えっと、ツリー?」
「それはわかっている。あんなものはここにはなかったはずだが?」
御堂が帰宅して最初に見つけたのは、御堂の背丈ほどもあるクリスマスツリーだった。
「一昨日広報の忘年会に参加したんです」
「聞いてない」
「一次会だけで、すぐ会社に戻って仕事してたので…
で、ビンゴゲームで一等が当たってしまって」
子どものいる人に譲ろうとしたが、皆既に持っているということで、結局克哉が持って帰ってきたらしい。
「広報はなにを考えているんだ…」
御堂が思わず呟いたのは、ツリーがそこそこ立派だったからだ。
ゲームの景品ならほかにもっと有用な品がありそうなものだ。
「でも綺麗ですよね。夕べ飾り付けしたんですけど」
「睡眠時間をさらに減らしてどうする」
「御堂さんが帰ってきてあれを見たら、疲れが和らぐかなあって」
馬鹿みたいですね、と自嘲する克哉が、滅茶苦茶にしてやりたいくらい可愛い。
「…ない」
「え?」
「悪くはない」
今しょんぼりしたかと思ったら、御堂のたった一言でもう満面の笑みだ。
疲れを吹き飛ばすのはほかでもない、自分自身なのだと、克哉はいつ気づくのだろう。