歩いていこう 2
水族館に行きたい、と克哉が言い出したとき、御堂は少し嫌な顔をした。
「混むだろう」
「かもしれませんけど。せっかく出てきたんだし」
結局週末の激しく混んだ水族館で御堂は仏頂面を通すことになるのだが、我慢が限界に達しそうになるたびに、 背中を押されたふりをして克哉がくっついてきて、うまく誤魔化された。
「うわあ、海が見える!」
部屋に入るなり、克哉は窓に張り付いた。
「御堂さん、夕焼けです!」
「そうだな」
窓辺の椅子に座った御堂は大きく息を吐いた。
正直相当疲れた。
本当の意味で相手に合わせたデートをしたのは、実は今日が初めてだ。
御堂がこれまで付き合ってきた相手は御堂のステイタスが好きな相手だったから、虚栄心を満足させる場所に連れて行けばそれですみ、 自分も相手を見下していたし、相手も自分をなんとも思っていなかったのだと、今になってみるとわかる。
「イルカ、可愛かったですよね!」
御堂のため息が聞こえなかったのか、克哉は頬を紅潮させて振り向いた。
「イルカがよかったのか? 私はてっきりシャコを気に入ったのかと思っていたが」
わざと意地悪く言うと、克哉はそれまでとは違う色で顔を赤くした。
食卓の魚コーナーで、うっかり克哉は「美味しそう」と呟いて、水族館でただ一度だけ御堂を笑わせた。
「あ、あれは、おなかが空いてたからつい」
食事するところはどこも混んでいて、コンビニのサンドウイッチを海辺で食べたあと、なにも食べていない。
このホテルに来たのも食事のためだが、ディナーには時間が少し早いな、と御堂が部屋を取ってしまった。
「ああ、そうだな。私も空いた。夕食には寿司もあるだろうから、堪能すればいい」
また笑い出した御堂に克哉はやや不満気だったが、ふと表情を変えて視線を上げた。
「夜はフレンチじゃないんですか」
「君は和食が好きだろう」
でも、と克哉はためらい顔になる。
「でも御堂さんはフレンチのほうが…今日は水族館に付き合ってもらったし」
「別に付き合ったつもりはない」
「え?」
「私は君の行きたいところに行きたかっただけだ」
「……」
嬉しいのか恥ずかしいのかその両方なのか、克哉はまた赤くなって俯いた。
「…すみません」
唐突に謝られる。
「オレ、今日、はしゃぎすぎですよね」
御堂は立ち上がると克哉に近づき、耳元に唇を寄せた。
「それがどうしてすみませんになるのかわからないな」
「御堂さんは大人でいつも落ち着いてるのに、オレは全然そうじゃないから…」
立ったまま抱き合ってキスを重ねると、克哉は鼻にかかった甘えた声を出した。
「七時に予約しているんだ。まだその気になるなよ」
このままベッドになだれ込むようなことになれば、朝まで部屋から出られなくなるに決まっている。
艶を孕んだ目で克哉は御堂を睨む。
快楽に浸ってすべてを忘れ去るようなところが克哉にはあり、それは媚薬であり劇薬だ。
「たまには週末遠出するのも悪くない。
毎回ホテルを取るのも面倒だし、このあたりに家かマンションを買ってもいいな」
空気を変えるために違う話をすると、察したのか克哉は御堂から離れた。
「買わないでください」
思いつきでも少しは本気だった御堂は、珍しくきっぱり否定の言葉を口にした克哉に驚いて顔を見た。
「いつかオレが御堂さんと週末過ごすための家を買いますから。御堂さんは買わないでください」
怒ったような口調なのは、キスを途中で中断したからだろう。
だが今の御堂にとって大事なのはそこではなかった。
彼らの関係は互いの気持ちだけでつながっている形のないもので、だから先の話はあまりしない。
御堂にとって最早克哉以上のパートナーが現れるとは思えないが、付き合いだして一年経たない今の時点であれこれと先々の話をしてしまうと、 かえって将来が崩れるような気がする。
克哉も転職したり引っ越したり、目の前のことで精一杯だろうと思っていた。
だから驚いた。
おそらく十年は先であろうことを、克哉が口にしたことに。
「本気で言ってるんですからね? オレは」
初対面の印象があまりに強烈で圧倒的だったことから、御堂が克哉を年下だと意識することはそうないのだが、 こんなふうにむくれたり、今日のようにはしゃいだりする姿を見ると、ああ、自分は七つも年下の男と付き合っているのだ、と思う。
「ああ。私も本気で楽しみにしている」
熱を煽らないように触れずに、しかし視線だけは絡めたまま言うと、克哉は少し悔しそうに俯いた。