歩いていこう

それはコーヒーブレイクでの会話だった。
合コンで知り合った女の子と海を見に行くと藤田が漏らしたのに、先輩社員達が喰らいついた。
「砂浜歩いて手をつないじゃったり?」
「夕日見ながらキスとかするんだ?」
「王道だねえ」
一番年下の藤田を一室のメンバーは可愛がっているが、藤田にすれば迷惑な可愛がれ方だ。
「佐伯君はデートで海に行ったりするの?」
二番目に若い克哉にも話がふられるが、克哉に対してはニュアンスは微妙に変わる。
忙しい合間を縫って、合コンに参加したり紹介してもらったりしているわりに彼女の出来ない藤田と違い、 「佐伯君にはいる」と誰もが密かに思っているからだ。
恋愛話の雑談には絶対乗ってこないので証拠はないが、佐伯君には「いる」
「海は、行ったことないですねえ」
思わず御堂を見てしまい、克哉は慌てて手元の書類に視線を戻した。
御堂はこういうとき一切発言しない。といって顔をしかめるわけでもないので、皆そんなものだと思って勝手に喋っている。
「ほーらー、やっぱりベタだよ、藤田」
「つまんない男は飽きられるわよー」
「あ、よく考えたら一度だけあります。海に行ったこと」 気を悪くする様子もなく笑っている藤田を助けるつもりで、克哉は口走った。
ブレイクタイムはそこで終わり、その後新商品の企画でミーティングは白熱し、克哉は他愛ない会話を忘れてしまった。
だから週末になり、いつものように朝寝をしていたところに、頭の上からばさばさと洋服を落とされて吃驚した。
「起きろ。出かけるぞ」
「どこへ?」
休日といえば金曜の夜からずっと抱き合って、そのまま気づいたら日曜の夜、というのが決まりのパターンで、 今日は特に予定はなかったはずだ。
すっかり支度を整えていた御堂が、克哉を見下ろして言った。
「海だ」

晴れた秋の日の海辺は輝いていて、海水浴シーズンは過ぎたが、潮風を楽しむ人は結構いた。
ここに来るまでだるくて眠くてたまらなかったが、小さな子が波打ち際で遊ぶのを見て、克哉は自然に微笑んだ。
「でもなんで海に?」
克哉は首を傾げた。
スニーカーを履いてきて正解だったが、御堂の革靴では砂浜は歩きにくいだろう。
日差しもやや強いので、暑いところの嫌いな御堂にとって、そう快適な場所でもないはずだ。
「御堂さん…?」
何度か問いかけたが返事はないので諦めた。
ほんの少し後ろを歩いて、シャツの背中を眺めるのも悪くはない。
もっと人がいなければ手をつなぐことも出来るが、誰でも名前を知っている有名な浜辺で、さすがにリスクが大きい。
「藤田君に会ったりして」
克哉が笑いを含みながら呟くと、御堂が足を止めた。
「それだ」
「え?」
振り向いた御堂に思わず笑顔を返すと、御堂のほうはなんともいえない顔をした。
「誰と来たんだ」
「え?」
「前に誰と海に来たのかと聞いている」
…ああ、と克哉は気の抜けた声を出した。
「あ、えーと」
「まさか本多か」
「なんで本多なんですか。大学生のとき付き合ってた彼女です」
映画とか遊園地とか海とか女の子が好きそうなところに、たいてい彼女のリクエストで行った。
「夕日を見ながらキスでもしたのか」
「御堂さん」
克哉は苦笑した。
「そんなこと言ったら、御堂さんだって来たことあるでしょ。今までに何度も」
オレじゃない、誰かと。
切り替えされて、ちょっと悔しそうに御堂は黙った。
また歩き出した背中を追って、克哉も歩き出す。
風景や空気を味わう以外に、海辺ですることはあまりない。
昔女の子と来たときも会話が途切れ、話題を探すのに苦労した。
今は平気だ。
たぶん御堂は少し気分を害しているのだろうが、理由がわかっているので不安にはならない。
克哉は少しだけ歩を速くして御堂の横に並ぶと、右手で御堂の左手に一瞬だけ触れた。
「このままずっと歩いていたいですね」
驚いた顔をするのを目の端で捉え、また一歩だけ後ろに下がった。

御克

Posted by ありす南水